最愛の父はさる2019年2月6日未明、89歳にして安らかに旅立ちました。
仕事を愛し、妻と家族を愛し、伊豆高原を愛し、パソコンと憩い農園を愛した
父の晩年はとても穏やかで幸せなものでした。
皆様に永らく父のブログをお読みいただいことを深く感謝申し上げます。
また、皆様の今後のご健勝を祈念致します。
家族一同
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大手術を終えられてきっと春には、お元気になられると信じておりました。本日のブログは、悲しくて読めませんでした。悲しい気持ちで心がふさがっております。奥様をはじめご家族様、お気持ちを強くおもちになってくださいませ。心よりご冥福をお祈りいたします。長い間伊豆高原ブログを楽しませていただき有難うございました。 合掌
びっくり致しました 残念でなりません
生前 コメントさせていただいたことはありませんが隠れフアンの一人でした
ハンドルネーム「もともと」と申します
横浜に居住しております
すでに亡き家人の父親が伊豆 上加茂近くの毛倉野と言うところの出身で
墓参りだけで20回以上小旅行など含めると少なくとも30回は135号線を走行しております
暮れの12月29日~30日にも 墓参りに伺ったところです
ご自宅は大室山の「ねこの博物館」から近いところですね
正月にアップされたのでそろそろ連続にもう一度---と期待しおりました-----
もう一つ残念なのは四季折々に見せていただいた吊るし雛---これも残念です
ありがとうございました ご冥福をお祈りいたします
ご冥福をお祈りいたします。
私も移住して16年ですが偶然にこのブログ拝見以来
熱烈なファンになっていました、格調高い文章で伊豆高原を堪能されているご様子いつもうらやましく思っていました、手術以来更新が1月の3日から切れていたのでもしやと心配していたのですが非常に残念です、ご冥福を祈ります。合掌。
昨年、具合を悪くされてから、掲載の間隔が長くなり、心配しておりました。逝去の案内を拝見し、本当に残念でなりません。ご冥福をお祈りします。
昨年末に大病をされたものの、手術も成功しブログも再開され喜んでおりました。 しかし1月3日以降の更新がなかなか届かず、とても気になっていました。 今回ブログにて訃報をお知らせ頂き、非常にショックであると共に深い悲しみを覚えます。 数あるブログの中で、このブログは最も格調高く教えられることばかりでした。 毎日、真っ先にクリックするブログでもありました。 特にご高齢にも拘わらず、常に新しいことに挑戦される姿勢は自分にとり良き指標となりました。 なかでもドローンを飛ばすに至っては驚愕でした。 三金会の記事もユーモアに溢れ楽しく読ませて頂いたものです。 こうしてコメントしていても自然と涙ぐんでしまいます。 いつしか伊豆高原のどこかのレストランあたりでお目に掛かれるかと思っていたのですが、それも叶わずとても残念です。 長い間、本当に有り難うございました。 故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
一昨年にこちらのブログを見つけ、毎回の更新を楽しみにしていました。
こちらのブログを読みますと、足元にある自然や広がる景色、毎日の生活では気づかなくなってしまったことを思い返し、小さな幸せをこちらのブログで発見する喜びを気づかせていただきました。
稚拙なわたしにはとても高尚なブログに思い、拝読するたび心が洗われる気持ちになりました。文章や、語彙の豊富さ。あ、日本語ってこんなに素晴らしい言葉なんだ。とつくづく思い、勝手にいつかお会いして色々なお話を聞いてみたいと孫になったような気持ちでいました。
悲しくて仕方ありませんが、このブログで小さな足元にある幸せを気づかせて頂き、勝手ながら拝読しておりましたが本当にありがとうございました。楽しかったです。
心よりご冥福をお祈りいたします。ファンより。
胸が詰まる思いで読ませていただきました。たくさんの方が父のブログを楽しみにしていらした事を知り、父の生きた証として、このブログを大切にしていきたいとあらためて思いました。天国の父も本望だと、きっと喜んでいると思います。
もうブログを更新することはありませんが、時々は思い出して、また足を運んでくださると幸いです。
本当にありがとうございました。
お会いしたこともないのに なんだか 涙が出てきます。
自分で思っていた以上に 親近感を持っていたのですね。 お父上は とても 素晴らしい方でしたね。
ブログだけで 人となりが伝わってきていました。
伊豆高原の 様々なことがらから始まり 生き方まで
随分と参考にさせて いただきました。 生きていらっしゃる間は 恐れ多くて コメントもできませんでしたが 最後に コメントできるのは せめてもの幸せです。
(一碧湖の近くに住むものより)