河村龍一の「月の癒し」~銀河鉄道の夜

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「大阪高槻事件」~日教組主導・戦後教育の犠牲者……今こそ教育維新!

2015-09-02 00:56:53 | 日記

今宵、「河村龍一の銀河鉄道の夜」に訪問されましてありがとうございます。

先月、大阪府寝屋川市の中1男女(平田奈津美さん=13歳と星野凌斗君=12歳)が殺害された事件で、ロリコン(男児性愛)犯罪歴のある山田浩二容疑者(45歳)が逮捕されました。

同事件の背景には、発生しても当然というべきいくつかの要因が横たわっていました。

まず、山田容疑者のような「性犯罪者(特にロリコン犯)」の再犯率が著しく高いのにもかかわらず、当局は何ら再犯の対策を講じていなかったこと。
国は、性犯罪者が出所後、彼らの所在について当局が常に把握できるような法を早急に整備すべきです。

「被収容者(受刑者)の人権を尊重する法律」により、現在の刑務所は「犯罪者天国」と化してしまいました。
その結果、山田容疑者のような幼児性愛犯罪者たちでも、塀の中では「目を背けたくなるようなロリコン雑誌」を自由に購読できるようになってしまったため、彼らは反省どころか次の犯行を計画するなどして喜んでいる始末です。

私は現職時代、その異様な光景を目撃する都度、何ともやり切れない思いをした経験がありました。
「これじゃあ、性犯罪者は必ず再犯を繰り返すだけだ」と、常にこの国の法の甘さに強い危機感を抱いていました。

悪徳人権弁護士が発案した「刑事収容施設法」は、現在の刑務所を管理・運営する法律です。
同法第1条から「受刑者の人権を尊重する法律」と明記されており、そのことがこの法律全てに反映しているから最悪でした。

例えば、受刑者の待遇は三食にテレビと入浴付き、月数回の映画鑑賞と慰問演劇(一流歌手による歌謡ショー)などの娯楽+お菓子付きです。
しかも、刑務作業を怠けようが、規律違反して懲罰になった者が昼間から寝転んでいたとしても、「正月のお節料理」と「クリスマスケーキ+鳥のモモ」が彼らには必ず配給されます。
さらに、冬期の休業日は、午前中から「風邪防止」と称して彼ら受刑者は布団の中で寝ていられるのです。

もちろん、あらゆる病気に罹患しても「タダ」で医師が診察し、高度な手術が受けられるし、高額な治療薬も処方されています。
それらの全ては、皆さまの血税(犯罪被害者の税金も含めて)で賄われています。
実は、犯罪者の年間収容費用ですが、数千億単位の税金が投入されているのです。
詳細については

に掲載してあります。

犯罪者の人権擁護に偏重した法律は再犯を助長するだけですから、この悪法を廃止しない限り、山田容疑者が犯したような事件も含めて殺人・強盗などあらゆる凶悪犯罪が後を絶たないのです。

それにしても、中1男女が真夜中に繁華街を歩き回る光景は特段に珍しいことでなく、少なくとも東京では「ごくありふれた光景」ですね。
私が東京から被災地に転居する前などは、時々、そのような光景を見かけていましたから。

数年前のことですが、神奈川県内H市の某スーパー駐車場周辺で、真昼からけたたましい爆音を発しながら暴走しているバイクに、なんと小学生たちが同乗している光景を見たことがありました。

昨年の夏に目撃した都内H市でのお話ですが、肩や両腕に入れ墨をした30代のヤクザものらしき人物が、幼稚園生くらいの息子と、男の女房、友人たちと一緒に真夜中の飲み屋街を歩き回っていた光景には、さすがに私も愕然としました。
その時の幼児の風体が、「茶髪でモヒカンカット」のヘアースタイルでしたから。

そういえば先日、都内M市の中学校教諭がこぼしていました。
「生徒が校内で虞犯行為に及んだので、家庭訪問してその生徒の母親に相談したところ、『父親には絶対言わないでほしい』と、強く念をおされました……」

その理由は、父親がどうしょうもないヤクザものだから、息子の行状について担任の先生が報告した途端ブチ切れてしまい、息子と先生がどうなるか(殺されるか)保障できない、というものでした。

どうでしょうか?
日本の教育崩壊は非常に深刻な問題ですね。

「大阪高槻事件」について、赤いテレビ局の報道番組では、「まことしやかに」親や学校の先生、地域社会の人たちは何をやっているんだ、と某キャスターらが得意げに批判していました。

「おい、ふざけるなよ、おまえらの仲間(日教組)の教育が、善悪の分別がつかない無責任な親たちをつくってしまい、その親たちの子どもまでも危険極まりない生物に育てあげたんだろうが」と、私は憤慨したのです。


「大阪高槻事件」の背景については、「教育崩壊」「→「社会崩壊」といった図式が浮上していますね。

そこで、日本の崩壊を危惧した私は現在、「教育維新」と題した作品を執筆中ですので、このブログ読者だけに同作品の概要をお知らせいたします。

教育維新とは、現在の教育制度を全て廃止し、新たな教育制度を設けることです。
新たな教育制度の具体的な施策として、「クラス制度の全面廃止」について簡単に説明します。

人間は、対個人では良い思考が芽生えるのですが、ひとたび集団になれば「悪い思考に支配されてしまう」生物です。
「いじめ」などが、その典型例ですね。

そこで、小学校から「いじめの温床」であるクラス制度を全面廃止し、授業を単位制に切り替えてしまうのです……。

では、それらを含めまして「教育維新」から一部引用し、次にご紹介します。

≪他人の尊厳を踏みにじる陰湿ないじめや凶悪犯罪を生み出すような病理的現代社会を根本的に改善することが重要ではないだろうか。
ひとたび凶悪殺人事件が発生すれば犯罪被害者や遺族が生まれ、犯人が逮捕されて死刑になったとしても、人々の恩讐の彼方に存在するのは、生命の尊厳が連綿と失われていく殺伐とした社会だけだ。

そこには知的文明など存在できない。現存する子どもたちの未来を考えたとき、人間の尊い生命を軽視した野蛮な社会を残すべきでないと思う。
では、日本の将来のために私たちは何をなすべきだろうか……。

そこで私は、半世紀のスパンで捉えた均等(万人の)教育の導入という、『教育維新』ともいうべき教育制度の変革を政府に進言したい。
子どもたちが新たな教育概念を理解し、同化吸収し、成熟させるにはある一定の『時間』が必要だ。
犯罪者や予備軍が完全にこの世から死滅し、また、常に悪影響を及ぼしている劣悪なる環境から子どもたちを隔離させ、歪んだ社会構造を修復するために最低でも半世紀という期間が必要なのである。

平和な国家を実現させるためには、倫理と道徳心がかん養でき、理性と知性の原点を学べる教育に託すしかない。
政権が変われば政策も変わる。「コンクリートから人へ」から、再び「人よりコンクリート」に変わってしまった。しかし、今、日本に必要なのは「コンクリートから教育へ」の政策転換ではないか。

政府は教育学者、科学者、精神科医、脳科学者、人類学者、倫理学者、宗教学者などのグループを一堂に会して論議し、いじめと犯罪のない平和な社会構造の在り方と、それに付随する新たな教育制度の導入について、科学的な根拠を明らかにしつつ、早急に提示してほしい――中略

1 脳科学及び医学的知見からの検証(教育の重要性)
文部科学省から入手した『情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会』2005年度報告書や、矯正教育学などの参考資料から一部引用し、医学的、科学的知見から少年犯罪と教育について検証した。
さらに、ロシアの科学者イヴァン・パブロフが発見した『条件反射』という神経生理学の概念を応用した『条件反射による教育論』から一部転載し、乳幼児における教育の重要性について記述する。

(1)誤った親子関係か脳機能の異常か~人格障害の誕生
 「子どもの頃、親から厳しく育てられた」という受刑者が少なくないのに気づいたのは、受刑者たちと面接を始めてからしばらく経ってからだ。厳しく育てられた者がどうして非行や犯罪を繰り返すのか、その意味がわからなかった。聞いているうちに、それは親からの体罰や虐待を受けて育てられたということだった。

受刑者が親から受けたという体罰は、殴られた、蹴られた、布団叩きやハタキの柄やズボンのベルトなど手近の物で叩かれた、熱い湯茶を浴びせられた、タバコの火を体に押し付けられた、針で刺された、紐で縛られ物置で一晩明かした、食事を与えられず外に締め出された、バケツの水の中に頭を押し込められた……。親の気に入らないことをするたびに体罰と罵倒に見舞われたというものだった。これはもう、しつけのための罰どころではなく、親の気に入らないことをただ子どもに向けて発散し、しつけの範疇を超えた凄惨な虐待だった。

それ以来、面接ごとに全員の記録をとったところ、3分の1以上の受刑者が、虐待を受けていた。特に、暴力団関係者など粗暴犯受刑者(傷害、暴行、恐喝など)、少年院歴のある者、累犯者に多かった。
親から虐待を受けて育てられた受刑者は、親と同様に、思い通りにいかないと、直ぐにいら立ち、攻撃的な衝動が抑えきれず、暴力的言動を現わす者が多かった。子どもの頃から暴力を振るう親のもとで、その被害を受けているうちに、次第に自分も同様な行動を学んできたのだ。

例えば、子どもを虐待して殺人、傷害致死の罪名で、栃木刑務所に服役中の女子受刑者372人の調査結果では、37パーセントの者に幼少時に親からの虐待経験があったという報告があるという。虐待は世代を超えて移っていくのだ。
体罰をする親の方は、子どもを良くするための『しつけ』と信じ、決して無闇に暴力を振るっているわけではないと主張する。
しかし、体罰などのしつけ方によって、子どもが親の望む方向に矯正されたとしても、体罰への恐怖の結果であり、自制心、善悪の判断力、良心が育ったのではない。

生まれ落ちた子どもは、親、特に母親の保護なしには普通、生きていけない。赤ん坊は、母親から食事が与えられ、排泄物の始末をしてもらい、体を清浄に保ち、暑さ寒さから守られ、愛撫され、安心して眠りにつくことができる。赤ん坊にとって母親は生きていくための守り神である。そのご利益(愛情)を受けるために母親の望むことに応え、同調し、その喜ぶ顔を見て、受け入れられたことを早くから学ぶ。
こうして、次第に両親が喜ばない行動を自制し、保護者の生活態度、道徳感、価値観を取り入れて育つ。これが良心の最初の芽生えで、その発達とともに社会適応の仕方を学習する。
 
しかし、信頼と愛情に満ちた親子の関係が、突如、打ち切られ、体罰という恐ろしい目に遭い続けると、頭が混乱し、体罰の意味がわからないまま、泣き叫び、ただ罰を避けることに過敏になり、不安緊張から神経症様の行動を現わす。その一方で、罰を加える者への怒りと敵意が生まれ、次第に親だけでなく、周りのだれをも信頼できなくなり、いつ危害が加えられるか分らないと、警戒・敵視し、相手が攻撃的でないのに先制攻撃に出る衝動的、暴力的な態度が身についてくる。
 
行為傷害のある非行少年や反社会性人格障害を持つ犯罪者に特徴的なことは、幼児期から周囲との暖かい人間関係が妨げられ、正常な感受性、良心及び道徳心が育たず、他人の苦しみや悲しみに無関心で、相手に苦痛や被害を与えても、相手の痛みが分らないなど、よい対人関係を続けるのに必要な感受性の希薄さが感じられる。
自分と付き合う人間は、自分の利益に役立つ間だけ価値のある人であり、相手を道具として利用するだけの関係でしかない。「彼らは人間関係の儀式だけを学び、その意味を学んでいない」(G・R・ロ―ヴ)のである。
 
このような人間性を欠いた感情の持ち主をK・シュナイダ―は『情性欠如者』と名づけた。『情性』とは暖かみのある感情のことで、それが欠如した思いやりのない冷たい人物のことをいう。

この種の人格障害者のもう一つの特徴は、その時々でやりたいと思ったら、その衝動を自制できないことである。
小動物を意味もなく惨殺し、衝動的に物を盗み、無謀運転し、賭博に大金を賭けて興奮し、些細なことに激怒し、破壊、暴行、殺人に及んでも、それによって衝動を発散し終えれば気分がすっきりし、反社会的行動をした意識も罪悪感も湧かない。自分のした行動の結果を予測することもできない。それらはどうでもよいことなのだ。したがって、中には、犯行を隠すこともせず、殺害現場で一服し、遺体に小便を掛け、道路わきに放置したまま去った者がいた。

幼児期の誤った親子関係が成長後、反社会性人格障害の誘因になる可能性を心理学の視点から捉えたが、その一方で、大脳機能の生来的な異常性を重視する研究報告もある。

例えば、人の脳波は、5歳児くらいまでは周波数が4~7サイクルの徐波が多くみられるが、成長するに従って、8~13サイクル波(アルファ波)が増えてくる。しかし、衝動的、攻撃的な人格障害者には、成人後も徐波が、特に、感情の動きと関係のある大脳の側頭葉域に現れることが多く、これは情動面で未発達の脳の状態を示唆するものとして以前から注目されてきた。

つまり、人格障害の誘因は、誤った親子関係か脳機能の異常か、という問題である。
親子関係重視説は、乳幼児への過大なストレスが大脳の発達を歪め、生理的、心理的外傷(トラウマ)を招く可能性を主張している。

一方、神経心理学説は、大脳の機能異常が情動面の発達を遅らせ、幼児的な攻撃性と衝動性を発揮させる原因になると主張している。現在までのところ、いずれが正解かは分っていない。今後、脳波研究以外にも神経心理学分野の研究成果を見守る必要がある。
私の経験上から得た結論としては9対1の割合といえる。もちろん、9は親子関係重視説である。人格障害者の乳幼児期における家庭環境であるが、そのほとんどの者が劣悪な家庭環境であった。

さらに、説明を補足すると、前著を寄贈するため私の母校の高校を訪れたとき、教頭先生から教育の基本的重要事項についてある説明を受けた。私の母校は進学校として有名な高校であり、私が在校していたころより時折、東大に現役で合格している生徒を輩出している。
「各高校において、非行生徒と一般生徒の落差は、遺伝的なものに起因しているのでしょうか」と、私が訊いたところ、教頭先生は間を置くことなく「環境です。幼少時などにおいて、父親の存在と教育が重要です。母子家庭が悪いとはいえませんが、家庭が、きちんと勉強できる環境でない子どもは、次第に学校が嫌になり、家庭に帰ってもつまらないなどの理由で、どこにも居場所がなくなり、やがて非行化すると思われます。小さいころの環境が大切です」と、きっぱり言い切られたのである。

なお、脳と教育に関連した問題で、育児放棄(ネグレクト)の環境を受けると脳の神経が信号を伝えにくくなっている可能性が高いことが、横浜市立大学などの動物実験でわかったという。ネグレクトが招くと指摘される、うつ病など精神疾患の治療法開発につながると期待されるそうだ。やはり、乳幼児期の家庭環境が重要だ、という結論に帰結するのか……。


(2)情動の科学的証明報告書
近年、重大な少年事件が多発し、突発的な攻撃性(いわゆる『キレる』言動)、反社会的行動など、さまざまな問題が報道され、大きな社会的関心を集めている。これらの問題は、要素的には、認知、感情、行動の制御などの問題とすることができるが、それは、まとめるならば、『こころの問題』ということができるであろう。

こうした、子どもたちのこころの問題は、もはや看過できないほどに大きなものとなってきており、適切な対応策が講じられなければ、少子化時代の我が国の将来をも危うくするものとさえいうことができるであろう。子どもたちのこころの問題の解明と適切な対応策の設定、さらには、こころの健全な発達支援のための対策構築などは、現代の我が国の緊急検討課題ということができる。

この発達途上にある子どものこころの諸機能のうち『好き、嫌い、喜怒哀楽』などの情動の発達におけるひずみが最も重要な因子ではないかと思われる。
近年、医学的な知見の蓄積や人の脳機能の非侵襲的計測が可能になったことなどから、医学・脳科学的な視点から子どもたちの情動やこころの発達上のひずみの背景を探り、さらに前述した子どものこころの問題に対して効果的に対処し、ひいては子どものこころを健全に育む方策を見出すことができる可能性が高まってきた。

こうした状況を受け、文部科学省の『情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会』では、平成15年7月の『脳科学と教育』の検討成果を踏まえ、特に、子どもの情動やこころの発達上の諸問題について対象を絞って議論し、各学問分野間の連携の在り方や、研究と教育等の実践現場との連携の在り方等について検討した。
なお、本章で記述した新たな教育制度の骨子については、同検討会で得られた知見の一部を活用した。

(3)条件反射による教育論
条件反射による教育論は、神経生理学者、思想家、神学者、精神科医、教育学者らが一堂に会して、人類の完成に向けての総合計画の基本方針を見直し、新たに考案した科学的教育理論である---後述

フランスの理学博士ジャン・ピエール・プチ氏を始めとした、数学者、論理学者、理論物理学者たちが支持しているが、その科学的な教育理論の一部を紹介する。
「それは一言で言うと、条件反射というパブロフの発見で昔からおなじみの神経生理学の概念の応用である。
このメカニズムを教育の場で徹底的に活用条件反射教育論は、犯罪のない理想的な社会を構築する上で最も重要な要素である子どもの教育について、有意義なアドバイスを提示している。
本作で述べる新たな教育制度について考案する際、前述した『情動教育』とともに同理論で得られた知見を取り入れたい。

第三章 教育制度の変革
国は、科学的理念に基づく反射教育と、文部科学省の情動教育を融合させた、新たな教育制度の導入について早急に検討すべきだ。
本作で提起している教育、それも乳幼児及び幼少期の教育がいかに重要であるか、理解していただきたい。

『いじめ』『体罰』『校内暴力』『非行』『虞犯』といった問題や、その言葉さえ存在しない教育現場が実現されることを願い、また、それらが促進されるよう、新たな施策の私案について次のとおり記述した。

(ア)現行の教育制度を廃止し、六・三・三年生制度に代わり、文部科学省の『情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会』の提言を取り入れて、五・五・五・三年生制度を導入する。その骨子は次のとおり。
① 子ども園(零歳から5歳までの乳幼児が入園できる国家的教育機関)
② 初等科学校(5歳から10歳までの生徒を対象に教育する学校)
③ 中等科学校(10歳から15歳までの生徒を対象に教育する学校)
④ 高等科学校(15歳から18歳までの生徒を対象に教育する学校)
(子ども園から高等科学校まで全て義務教育とする)
⑤ 専門大学制度(高等科卒業生が入学できる、四年制の教育機関)

(イ)第二章で記述したように、教師は聖職である。したがって、先ずは、教える側から教育する必要がある、という実状を認識し、教育制度の変革において、教員の資格取得及び採用試験などについても現行の制度を全て廃止し、新たな制度を設ける。
新たな教育制度の導入に際し、教える側の教師の資質も非常に重要となってくる。
そこで先ずは、教職に就く者から教育すべきであり、今回第二章で述べたとおり、聖職である教師を養成する機関としての専門大学制度について記述する。
① 教師の資格取得を希望する者については全て、公務員大学教育学部に入学し、『教育士』
資格取得科コースで4年間、ベテランの教員による講義や、実践的教育指導など専門教育を学ぶ。
② 実際に各学校などで教育実習も行い、不適正者と判断された場合については、その者は『教育士』資格取得試験が受験できない。
③大学卒業時に実施される『教育士』の資格取得試験合格者が、各学校を所管する地方自治体の採用試験に受験できる。
④ 採用試験合格者については、各地方自冶体の教育委員会、採用する学校の長及び有識者などの第三者委員による面接試験を実施し、採用の可否について最終的に決定する――中略

(1)子ども園
国は、0歳~5歳までの乳幼児を対象とした、保育園と幼稚園を合体させた新たな国家的教育施設『子ども園』を設立する。
子ども園創設の目的は、巻末資料4に記載した『平成17年度学校法人の運営等に関する協議会配布資料~情動の科学的証明報告書』の提言の一部や、条件反射による教育論などを取り入れて、犯罪のない社会を実現させるための、新たなる人間形成を目的とした、教育機関の原点となること。
特に、乳幼児の5歳までの教育が、生涯の人格形成に最も重要であるという。

また、乳幼児の生まれ持った脳神経構造が、一定のパーセント不十分であり、アンバランスなものだとしても、幼児期のうちに科学的な反射教育を受けたなら、社会に適応し協調できるように、人格形成の上で補えるという。
そのような科学的観点からも、子ども園における教育の重要性が理解されると思われる。

【子ども園の要旨】
(ア)子どもが安定した自己を形成するには、他者の存在が重要であり、特に保護者の役割が重要である。
子どもが自己を形成するには、他者と出会い、他者を他者として受け入れ、他者と自己との違いを体験・認識し、その他者との違いがある自己を体験することが重要になる。それによって、自分を客観的に見ること、すなわち「他者の眼差しの内在化」が可能になる。
そのためには、特に乳児期からの保護者の役割が重要である。

例えば、乳児の場合、他者(保護者)が乳児の不快な情動を受け取り、それを和らげて乳児に返すことによって、乳児は自分の情動を自分のものとして感じ、細やかな喜怒哀楽の感情に分化させていく事ができる。

このような他者の眼差しの内在化が希薄になっているのが今日の状況である。現在の子どもを取巻く状況においては、これまで以上に子どもの情動・感情を受け取り、それを磨き上げて返す他者、主として保護者の存在と役割が重要になってきている。

(イ)子どもの対人関係能力や社会的適応能力の育成のためには適切な『愛着』形成が重要である。
愛着とは、人と人との間で形成される相互の親和性(相手と一緒にいることを望み、一緒にいることで大きな安心感、満足感を感じられる関係)のことである。愛着には、『相互的な関係』、『情緒的満足感』、『身体接触的関係』という要素が不可欠であり、『身体接触的関係』という点で友人関係とは異なるものとなる。
子どものこころの健全な発育のためには適切な『愛着』形成が重要である。
 
愛着は、情動、さらには他人とのコミュニケーションや対人的適応能力を発達させるための機能的準備系になると考えられる。保育者との愛着によって、子どもの対人関係能力や言語能力が伸長することから、乳幼児期からの親子関係をはじめとした人間関係が重要であることが分かる。虐待体験のある子どもでは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)やその他の神経症性障害などの他、集団逸脱行動・非行・犯罪などの社会的行動の問題が見られやすいことからも、愛着形成が適切な対人行動・社会性の発達に重要なことが理解される。
 
もちろん、初期の母子関係のみが人間関係を発達させる決定要因なのではなく、乳幼児期に十分な『愛着』体験がない場合でも、後に適切な愛着形成が行われたことにより人格的に大きく成長した事例が報告されており、後からでもやり直しがきく部分があると考えられる。
 また、近年では、『愛着』体験の不足だけでなく、過剰な『愛着』体験が子どもの自我の確立や自立性・社会性の発達を損なうことも指摘されてきている。
いずれにしても、愛着を考慮して、乳幼児期から対人関係能力や社会的適応能力を涵養する教育が重要である。

(ウ)情動は、生まれてから5歳までにその原型が形成されると考えられるため、子どもの情動の健全な発達のためには乳幼児教育が重要である。
乳幼児期に感覚・知覚・認知・行動・睡眠リズム等が『学習』されること、この学習は感受性期(臨界期)と呼ばれる生後発達の一定の時期に生じることが明らかとなっており、これらの知見は乳幼児期の教育の重要性を示している。
 
情動の形成は、生まれてから5歳くらいまでにその原型が形成されるとする知見がある。また、1~3歳の時の記憶・感情は普段は忘れているが、脳の中には残っていて、ある引き金が引かれると動き出すという説もある。
 
適切な情動の発達については、3歳くらいまでに母親をはじめとした家族からの愛情を受け、安定した情緒を育て、その上に発展させていくことが望ましいと思われる。生まれてから5歳までの情動の基盤を育てるための取組は大変重要であり、その後の取戻しは不可能ではないが、年齢とともにより困難になると思われる。
 
また、最近の脳研究によると、ヒトは過去の体験によって脳の各領域の発達度合いが異なってくると想定されるが、このことは、子どもの心の問題については、特に乳幼児・学童期の経験が重要であること、そして、学校教育についてみるならば、特に小学校までの教育が重要であることを示していると考えられる。

(エ)高い科学性を備えた専門的人材の育成が必要であること、など。
我が国では、児童虐待や発達障害、さらには反社会的行動などの子どものこころの問題に対処する専門家の需要が増加している。一方、子どものこころの問題についてのアセスメントとそれに基づく適切な援助を行う専門家が少ない状況があり、これらの専門的人材育成が求められている。この点に関しては、厚生労働省において『子どものこころの診療に携わる専門の医師の養成に関する検討会』が開催され、検討が進められている。
 
また、実践現場では、一部の各関係者が自分の所掌以外の専門的な知識に乏しい場合があり、そのことで、異常な兆候の安易な決め付け、又はその逆に見逃しが生じたりして、混乱をきたすことがある。このような事態に対処するためには、高い科学性を備えた専門的人材の育成が必要である。
 地方行政でもたれている全ての出生児を対象とする前方視的、縦断的発達のフォローアップ体制に専門家、及びそれへの教育課程にある学生などの参加を促進していくことが専門家養成の一方法である。

(オ)子どもの持って生まれた脳神経構造が、一定のパーセント不十分であり、アンバランスなものだとしても、幼児期のうちにその反射メカニズムを社会の他の人々と協調するように作り変えることができる。
反射の基礎教育を受けない社会の構成員は、他の人間の基本的人権を損なうような振る舞いに及ぶことになる。そうなれば人間は、『自分を理解してくれず』『精神的苦痛を与える』ような腐敗した社会に埋没してしまうしかない。

社会現象がこのような緊張を個人に強いる結果、個人は無意識的にも自己『防衛』に傾き、『攻撃的反射』を次々と作りだす。
それがその都度、本人の身体組織をさらに腐敗させる。もっと深刻なことには、時とともにこうした反射メカニズムが遺伝形質として子どもたちに引き継がれてしまうのである。こうして社会は悪循環の中でしだいに崩壊する。
これを防ぐには科学研究の目覚ましい進歩や宗教思想が強烈に作用して社会全体が活性化し、このような腐敗した反射メカニズムの退行的破壊作用を食い止めるしかない。

社会構造の陥っている悪循環を抜け出す方策は、一つしかない。ただちに子どもの教育の国家規模のプログラムを作ることである。教育の心理、生理学的法則にのっとった手段を用い、条件反射によって、科学的に習慣を身につけさせるのだ。
現代の社会構造は、とても一世代だけでは修復が覚束ぬほどズタズタになってしまっている。

すぐに成果をあげることは断念しなければならない。多かれ少なかれ人工的な手段で得られるような目先の快適さを捨て、来るべき世代の教育を計画的に行うという壮大な目的を実現することにある。

以上、(ア)(イ)(ウ)(エ)の提言を基軸として、子ども園では母子家庭、共働きの家庭など低所得者層の主婦たちが、子ども園で保育士の補助職員として雇用され、国で賃金を支払い経済面で支援を受けられるなど、絶えず乳幼児に付き添える環境を作り、保護者も一緒に科学的知見を活用した子育て教育を受けることができる。

なお、両親のいない子どもたちについては、子ども園の専門スタッフが親代わりとして就く。
 
保育士については、神経生理学者、脳科学者、教育学者、矯正教育学者、宗教学者、科学者から形成された教育専門スタッフの指導を受けている、高い科学性を備えた保育士を採用する。

(1)子ども園では、『情動教育』及び『反射教育』を主体として様々なプログラムを計画して実行し、子どもたちの他者との適応性及び良心・道徳観念を養い、算数・国語・英語などの初歩的な教科も学ばせる――中略

(2)初等科学校(5歳から10歳までの生徒を対象に教育する学校)
小学校に代わり、新たに五年制の『初等科学校』を設立し、原則として各学年のクラスは、いじめの温床になるため廃止する。

初等科学校では、各学年の単位取得制度の教育方針に変遷させ、既存の教科目に加え、新たに倫理・道徳教育、宗教学などを加えて十歳までの間、個人の能力と希望に合わせながら、各生徒が自由に各教科目の授業に出席できるものとする。また、親の授業参観や送迎も常時自由とする。
各学年の科目の単位を取得した生徒は、次学年に進級できる。放課後は本人の希望によ
り、好きなクラブ活動に参加でき、真の集団生活を学ばせる。さらに、各生徒の持つ潜在能力を開発させる。
 
初等科学校では、次に掲げる提言に重点をおいた教育指導を行っていく。各保護者にも周知徹底させ、子どもたちの健全なる育成に参加してもらうなど、学校と保護者で連携した教育制度を浸透させていく――中略

【子どものこころの健全な発達のためには基本的生活リズムの獲得や食育が重要である】
毎日の生活習慣行動が、時間的にある程度一定していることの重要性が指摘されている。特に、就寝・起床のリズムは、生物としてのヒトの体内時計のリズムと密接に関係しており、両者の大きなズレが長期間持続することは、子どもの心身の不調を来すことになりかねない。乳幼児期は、一般的には、決まった時間に就寝し、起床するという生活リズムが定着しやすい時期である。そのリズムが、学齢期以降も乱れないようにしなければならない。
 
食事は生命にとって大事なものであると同時に、親子関係をはじめとした人間関係づくりの観点からも、栄養的な観点からも、生活習慣の育成の観点からも、こころの成長にとって重要なものである。例えば、『朝食摂取』と『疲れ』との関連性の調査では、食べてない子どもの方が疲れを感じ易いというデータが出ている(「児童生徒の食生活実態調査報告書」平成十二年度日本体育・学校健康センター)。

また、生活リズムの乱れにより、「朝起きられない」又は「朝は食欲がない」といったことになり、結果として朝食を取れないことも推定される。さらに、孤食又は個食等の食習慣が子どもの身体のみならず精神的な発達に及ぼす影響も懸念される。
 
一方、最近の基礎的研究によると、環境物質が脳発達に影響を与え、子どもの味覚嗜好性を偏向させる可能性も指摘されている。また、肥満と摂食行動に関する知見としては、人の肥満は、脳の食物に関する感情、認知、学習、記憶などの機能が異常となるために過食となり肥満が起こっていることが考えられるとする知見もある。

このようにいずれにしても摂食行動には、家庭、学校、塾など種々の社会的・環境的因子が複雑にからんでいる。逆に、食育を各家庭できちんと行うことで、子どもの成長や家庭外での子どもの行動に良い影響を与える可能性もある。

【前頭連合野や大脳辺緑系の機能が子ども達の健やかな発達に重要な機能を発揮しており、前頭連合野の感受性期は、シナプス増減の推移から推論すると8歳くらいがピークで20歳くらいまで続くと思われ、その時期に、社会関係の正しい教育と学習が大切である】

大脳皮質の前頭連合野と海馬や扁桃体を含めた大脳辺縁系は相互制御の関係にあるとされ、情動を考える上で、いずれも無視できないが、前頭連合野がコミュニケーション機能、意志、意欲、記憶、注意等人間にとって非常に重要な高次の機能を担っており、この機能が子どもたちの健やかな発達に大切な役割を果たしていると考えられる。

この前頭連合野の機能が充分に発達することが、『前向きで計画的、個性的で独創的、優れた問題解決能力を持つこと』等に繋がると思われる。
 前頭連合野の感受性期(臨界期)は、シナプス増減の推移から推論すると8歳くらいがピークで20歳くらいまで続くと想定される。
この時期に、社会関係をきちんと教育・学習することが大切である。
 初等科学校及び中等科学校において、以上の提言について重点的に取り組んでいく。

(3)中等科学校(10歳から15歳までの生徒を対象に教育する学校)
初等科学校と同様に、原則として各学年のクラスは、いじめの温床になるため廃止する。

中等科学校でも、各学年の単位取得制度の教育方針に変遷させ、既存の基本的必須科目に加え、刑法、倫理・道徳教育、宗教学などを加えて15歳までの間、個人の能力と希望に合わせながら、各生徒が自由に各授業に出席できるものとする。また、親の授業参観や送迎も常時自由とする。
各学年の科目の単位を取得した生徒は、次学年に進級できる。

中等科の最終学年に達した15歳未満の生徒は、15歳まで自宅や熟などで自由に学習できるため、卒業までは学校に行かなくてもよい、という利点がある。
中等科学校において、生徒が『理数系』あるいは『文学系』のいずれが得意なのかを在学中に識別させて、高等科学校に進学する上で参考にさせる。
*高等科学校は、理数系と文学系に分かれているため。

(4)高等科学校(15歳から18歳までの生徒を対象に教育する学校)
中等科学校を卒業した生徒は、三年制の高等科学校に入校させる。同校において学生たちの能力に合わせた専門分野の学業を学ばせる。基本的には『理数系』と『文化系』に分かれており、具体案として、理数科系の高等科学校に入学した生徒は、エンジュニアなど将来本人の希望する職業の専門知識について学ばせる。

少子高齢化の現代社会において、介護の問題は重要課題である。高等科の生徒たちには介護教育を義務化させ、卒業時には全生徒に介護福祉士の資格を取得させる。

高等科学校は全寮制とし、平和な社会を構築するための科学的知見にもとづく新たな集団生活を学ばせる。

生徒には現自衛隊員と同様な規則正しい生活及び日課訓練を定着させ、武道を必須科目にする。
特に、体力のある強靭な学生は本人の希望があれば、有事の際に我が国を防衛するための、自衛隊に代わり新たに設置された国防隊の隊員として採用され、防衛大学に進学でき、将来の幹部候補生として養成される。

高等科学校では、それぞれの適応能力のある学生たちが、あらゆる分野に活躍できるよう、徹底した英才教育を受けさせる。卒業生たちは、本人の能力と希望があれば、新たに設置された専門制の大学に進学でき、世界で通用する優秀な人材を育成するものとする。

(5)専門大学制度(高等科卒業生が入学できる、四年制の教育機関)
大学については、国立と私立の専門大学を設立する。専門大学とは、卒業後各職場において即戦力となる人材を育成する目的の教育機関である。従来の大学と、各種専門学校を融合させた新たな大学である。
 
専門大学の具体案としては、国は、国立公務員大学(仮の名称)を創設し、同大学に公安学部を設置する。
他に『行政学部』『教育学部』など、聖職と言われる公務員を養成するための学部を設置する。
 
専門大学は、政治、経済・産業、その他各業界のエキスパートを育成する教育機関である――中略

【財源】
文化省は、幼児教育無償化(3~5歳児が対象)に必要な財源を7900億円と試算している。したがって、子ども園設立など新たな教育制度を導入すれば、財源の問題がネックとなる。
現在、高校生向けの奨学金は国が交付する約2000億円を基に都道府県が独自財源を加えて運営している。また、全高校無償化に必要な金額は年額4000億円である。
両者の合計金額は6000億円以上である。さらに消費税を5パーセント上げて、その税収分を『教育税』とし、前記6000億円を加えて新たな教育施策の財源に充てればよい。

日本が世界に先駆けて、教育国としてトップレベルの国に変革すれば、日本は平和な先進国家として国際的に信頼される。
そのことは結果的に国益にも繋がるだろう。

日本が構築した新たな教育の重要性が世界に浸透すれば、およそ半世紀後、世界の各国が教育国家として生まれ変わり、戦争や犯罪の存在しない世界の実現に繋がる可能性もあると思われる。
新たな教育施策が国際平和に貢献すると捉えたならば、国は、明らかに無駄と思われる官僚の天下り先機関の独立行政法人などを撤廃するなどして、教育施策の財源をねん出すべきだろう……以下省略≫


以上ですが、暇な時にでもゆっくりと閲覧してください。
ただ、私が「アルコール満タン状態」で記載したため、記事が正確な内容にいなっているのか自信がありませんのであしからず。

コメント (2)
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