信長の野望オンライン 思い出話

伊達家実装後、しばらくして引退した人が,信ONの思い出話を延々と述べます。

このゲームを実際の歴史に照らし合わせてみたら その1

2023-07-10 19:02:18 | 信オン
信長の野望というゲームをしているからと言って、歴史に興味があるわけではない、というのは開始してから1週間後ぐらいに理解をした。
だから、歴史に興味がない方にとってはつまらない内容かもしれないが、ご了承願いたい。そこまで深い話をするつもりはない、と思う。

この話題の第1回目は、いったい何年ぐらいの時期を想定しているのか、を考察してみようと思う。
まずは、今川義元が生きていることに注目したい。彼は1560年の桶狭間の戦いにて戦死しているから、少なくともそれ以前となるだろう。
そして、発売当初にあったサーバーでは、甲相駿三国同盟が成立していた外交となっていたことから、1554年以降、今川義元を中心とすると1554~1560年まで絞ることができた。
ここでさらに、大きく絞れる情報を発見した。今川家の軍師が太原雪斎であることだ。まさしく、義元の右腕であった雪斎は惜しむらく1555年に死去している。
となれば、1554、55年付近がひとまず議論の中心としていいのではないかと思う。
それでは、各大名家にどれぐらいの矛盾があるかを検証していこうと思うが、きっと大量にあるはずなので、軽くだけにしておこう。

①武田信玄と名乗ったのは、1559年。上杉謙信と名乗ったのは1570年。武田信玄はともかく、上杉謙信は10年以上後の話である。
とはいっても、双方、出家したあとのこれらの名前のほうが有名だし、仕方ないよね。

②徳川家康が独立している。
まぁ、これはもうゲームの都合上どうしようもないよね。家康を出さないのはそれで問題だし、今川家を氏真にするもの何か違う。
ちなみに、正式に徳川家康と名乗ったのは1566年のことで、ずいぶんと年代がずれている。

③真田昌幸と伊達政宗が大名である。
詳しくない人でもわかるよね!

最後は面倒くさくなって省略したが、ちゃんと調べたら死ぬほど出てくると思う。でも、だからどうしたというのだ。
武田晴信や長尾景虎としたとして、誰がうれしいのか。
浅井家の大名が浅井久政?浅井賢政という名前だったら?
雑賀衆・伊賀忍って大名じゃないから屋敷でいいよね?

歴史のまま実装していたら何とも言えない、微妙な感じだったと思う。歴史好きでそこそこうるさいと自覚はしているが、このゲームに関しては今の状態がいいに決まってる。
それでも、たまに突っ込みを入れてみようと思う。

秘薬と呼び出し 今とは全く異なる戦場編その5

2023-07-10 17:09:47 | 信オン
蘇生不可にできる技能が充実している今、NPCが蘇生を使ってくる機会もだし、そもそも使う設定になってないことが増えている様子。
合戦場だけではなく、フィールドのボスも含めて1が蘇生・壱をするのは普通の出来事で、合戦場に至っては職業不問で、大名なら1から7まで、四天王ですら1から3まで準備で蘇生をしてきた時代もあった。
今であれば、僧と薬がせいぜい使ってくるぐらいだと思われる。

今から紹介するのは、今では使用されなくなった復活技能の話だ。

①蘇生の秘薬
体感では、10年前ぐらいまで色んなところで使用されたりしていた気がするので、馴染みのある方は多いかもしれない。
こいつを防ぐには蘇生不可にするしかないのだが、2012年に黒縄が実装されるまでは、蘇生不可にできる技能でとどめを刺さない限り蘇生不可にすることができなかった。
実際にこの技能を使われると、準備なしで生命が7割ほど回復した状況で蘇生されるという恐ろしい技能で、プレイヤーに絶望を与えていた。
こいつは合戦場よりは、独眼竜の野望(通常伊達D)で猛威を振るっており、1回の戦闘で4回使われたなどの被害報告が入っている。


②呼び出し
こいつは、蘇生の秘薬より恐ろしい技能だった。なんといっても、生命満タンのNPCを1体呼び出すというとんでも技能だったからだ。
主に生命が低くなった時に使用し、準備動作後、ランダムでNPCを呼び出す。
まず、準備バーが紛らわしく、侍の4秒バーが3連撃や釣り技能ではなく、呼び出しでスルーしてしまったという悲劇もたびたび起きていた。
ウエイトも2とかなり早く、低速がついていると間に合わなかったり、術技能でもないので沈黙でも止まらないと非常に厄介であった。
蘇生・壱を通した方が100万倍マシで、ただでさえ見なければいけない状況の中、呼び出しは非常に厄介な技能だった。

今では色々なやり方で蘇生不可にできると聞いているので、まさに過去の遺産というべき技能だろう。
NPCだけが使えるインチキ技能だったので、評判も大層よくなかったことも付け加えておく。

ワールドサーバーの歴史

2023-07-10 14:00:07 | 信オン
今は「天下布武」サーバーの一つしかない信長の野望オンライン。当時いなかったプレイヤーでも、当初は複数のサーバーがあり、最大で7つのサーバーがあったことを知っている人は多いのではないか。

サービス開始直後、「群雄」「風雲」「覇王」の三つからスタート。1週間後に「天翔」サーバーが追加され、実質4サーバーでの開始となった。
オフゲーの信長の野望をやっている方は馴染みの名前だが、そこからとっている。
天翔と他の違いは、前者三つは実際の歴史の外交を反映させてスタートしており、織田と徳川が同盟していたり、上杉が武田と北条と敵対していたりといった具合だ。
天翔はすべて中立から始まり、武田と上杉が同盟を組んだり、織田と徳川が敵対したりと、全く違う展開となった。


4か月後には、「将星」サーバーが追加。実際には、浅井・朝倉・本願寺が追加されるタイミングで新サーバーを立ち上げたかったと思うのだが、予想以上にプレイヤーが多かったのだろう。唯一の和製MMOとして順調に人数が増えていたことがわかる。

さらにその4か月後には「烈風」サーバーの追加。9大名になってからの新規サーバーとあって、色々と注目された新規サーバーでもあったらしい。
2か月後に足利・三好・雑賀・伊賀が追加されたこともあり、新勢力にある程度の人が初期から仕官していた。
ちなみに、作者は雑賀衆で忍者を作成して信長の野望オンラインをスタートさせている。


プレイヤー減が感じられ、もはや鯖増加よりが合併した方がいいのではないかと思われている中、なんと4年ぶりの2008年に新サーバー「嵐世記」の追加されることが決まった。
コーエーの意図は、正直なところよくわからなかったが、「九州三国志」が追加された時期もあって、三好家に他鯖から移籍してきた新規プレイヤーが集まったり、他鯖ではない文化であったのはある意味新鮮だったといえよう。


ところが、プレイヤー減により徒党を組むのもままならないことが問題視されるようになり、「嵐世」サーバー追加された僅か2年後、7つのサーバーを4つのサーバーに合併することが発表される。
将星録+烈風伝が真紅、群雄伝+嵐世記が紺碧、風雲録+覇王伝が萌黄、天翔記は合併はしないが山吹へと名称を変更した。
合併して初めて起きた合戦に参加したが、指揮統制は取れていたものではなく人数もすごくいたので、ある意味楽しい合戦ではあった。

これから4年後、共有エリアの「安土」や全サーバー共通ダンジョンも存在しているということで、ついに5つのサーバーを「天下布武」サーバーとして一つになることになった。
まー、20年経てばどうしようもないですよね。過去の1プレイヤーとして、まだまだ続いてくれることを祈っております。

武将の格差問題 今とは全く異なる?戦場編その4

2023-07-10 12:56:51 | 信オン
今回の内容は、もしかしたら今も少しあるかもしれないが、昔のほうがバランスが悪かったということで述べていこうと思う。

①武将の固有技能
ほとんどの武将に固有技能があるが、昔は一部の武将、大名や軍師、強いて言えば四天王ぐらいにしか固有技能がなかった。
そんな中、固有技能を超絶優遇されていた大名がいた。それが武田家である。
後陣武将まで固有技能が用意されていて、それがさらに強烈な性能を持っていた。
一つが、甲州軍学・林である。
全体沈黙であり、沈黙の霧・参と比べて使用頻度が高く、後光系の技能を使っても半分ほどは貫通する性能で、武田信玄・高坂昌信の本陣以外にも武田勝頼、武田信繁、山本勘助、武田義信、飯富虎昌の後陣武将も使用する。
これ一発だけなら…と思うのだが、頻度が高かったことが凶悪さを増していた。

もう一つが、甲州軍学・山である。
全体眼光、約1分の痺れでほぼレジ不可能な極悪技能であった。武田信玄・真田幸隆・内藤昌豊・武田勝頼が使用し、勝頼のみが後陣武将にもかかわらず使用する。
今の英傑が使用する、全体麻痺が飛んで来たらどうなるかを想像してもらえば、この技能の凶悪さがわかると思う。

②構成職業が固定化されていなかった。
今では、1の職業で残りの職業の順番がほぼ決まっている(伊達と真田は例外?)が、当初は神が2いたりと陰が2いたりと規則性がなかった。
どちらかといえば神や陰がいた方が強く、攻略困難な武将が存在していたのも事実である。

他にもあったと思ったのだが、記憶があいまいなのと、もうどこにも情報が残っておらず、あんまり書くことができなかった。
どちらかと言えば、①のほうが格差としては深刻で、今でも固有技能はあるけど、技能の有能さでは結構格差があるのではないかと思う。