信長の野望オンライン 思い出話

伊達家実装後、しばらくして引退した人が,信ONの思い出話を延々と述べます。

忍法でよかったと思った瞬間

2023-07-18 19:45:25 | 信オン
筆者はメインキャラが忍者なのだが、作成してからずっと忍法一筋である。

ずっとプレイをしていたわけではないが、忍者というくくり、アタッカーとしてのくくりでいうと、どちらかと言えば不遇のほうになるのではないかと思っている。
アタッカーとしては、正直火力不足が凄まじく、それなら暗殺に特化を変更するか、芸や鉄砲、陰陽師を新キャラとして作った方がまだいいと思われる。
ということで、サブアタッカーやサポ枠として暗殺や術忍と枠を争うのだが、火力では暗殺には敵わず、さらに言えば守護抜けの点でも絶妙に劣っている。サポートでいえば術忍には劣っており、どっちもつかずという特化だった。
特に、コーエーがどういう方向性なのかがよくわからなく、釣り技能を与えられる割には、盾として動くのはかなりの無理があった。

そんな忍法でもよかったと思えた時があったのか、振り返ってみよう。

①陸2の最初のボス「魔鬼」
破天侵攻型ダンジョン 「陸海空」が実装されたときである。どうせ忍法なんて誘われないでしょ、と思っていた時、廃な知人から対話があった。
「陸2のボス、ぽっぽ活躍できるよw!」
もう一つのボスでもいいから枠があるならそれでいいと思っていたので、ついに来たか!と思い、早々に陸1をクリアして、陸2で募集していた密教さんに意気揚々と対話を入れたのだ。
「忍法だと厳しいな」
あれ?忍法がいいボスじゃなかったの?と。
まぁ実際は、4と5が釣りを無視する狙撃間接攻撃を行ってくるので、空蝉の術がそこそこ発動し、悪くない働きはできていた。
正直、忍法でなくてもいいのだが、忍法ならラッキーかなという程度ではあったが、指定の募集はそこそこあった。
特化が追加されて、忍法指定募集はこの時は初めてかもしれない。
ちなみに、この時に特化目録四が実装されたが、まだ三連撃で殴ってました!


②九州三国志の対島津
復帰したら九州三国志がエンドコンテンツになっていて、飛跳神速というアタック技能も追加されていた。
それでも火力は暗殺とは差があったのだが、募集指定が暗から忍という形になることが増えてきていた。
その中で、対島津家のときは、相手に鉄砲が多いということで、たまーに忍法という指定もあったような記憶がある。


自身がプレイしていて感じたのは上記の2回だけだったと思う。
ただ、筆者が引退してから、「麻痺針連射」という技能が追加され、修正を食らうまでは結構優遇だったと聞いている。
もしかしたら、もう少し続けていたら、初めての優遇感を味わえたかもしれない。

とはいえ、忍者そのものの性能が悪くなかったため、ある程度は誘われていた、と思う。

にんぽっぽの信on記 その3 合戦へ参加してみよう編

2023-07-18 16:24:40 | 信オン
活動範囲も美濃まで広げ、習得や金策もほどほどに行っていた中、そろそろ雑賀衆でも合戦があるじゃないかという噂を聞いた。
当時は同盟国からや港からの遠征もなく、雑賀衆が合戦をするには相手が三好家しかいなかった。

そして、烈風伝雑賀衆は、上杉や武田、斎藤の超大国というわけではないが、そこそこ人口がいるという立ち位置であったため、開戦機運は盛り上がっていた。
で、レベルが20以上か身分が与力であれば参戦できるという情報を確認し、18レベルの足軽大将であった。
ということで、さっそく与力試験を発動させ合戦までに与力になろうと抜忍狩りを開始した。

まだ特化技能も出ていない時期であったので、ソロに一番向いていたのは忍者だったと思うし、ソロでも狩りをしていたからある程度慣れているつもりではあったが、レベル21の抜け忍は見た目のレベル以上の火力と回避力があって、とてもではないが太刀打ちできなかった。
事情を説明して、先輩方に助力を頼んで1,2時間ほどで抜け忍のマゲが集まりめでたく与力になった。
徒党を組んでしまえば大したことなかったが、ドロップ率がかなり厳しかった。


そして、ついに雑賀衆としても、自身としても初めての合戦が始まったのである。相手は三好家だ。
実際の歴史からみれば、この時期の三好家は飛ぶ鳥落とす勢いで、全国でみても天下に一番近かった大名家と思われるが、いかんせん、現代における人気が全くなかった。
圧倒的な人数差の中、雑賀衆の廃徒党が次々と陣を落としていき、あっという間に全陣が陥落してしまった。
三好家は、徒党が組めるほどの人数がいなく、ほぼ無抵抗の状態。
20レベルにも満たないキャラが、武将やN狩り、対人で役に立つとはさすがに思っていなかったので、囮や偵察、伝令などで役割を果たそうと思っていたのだが、物量がすべてを解決していた。

正直、やれることもなかったからレベル上げや習得いていた方がいいと思ったのだが、今後のためにも合戦場の雰囲気を味わうために4日目ぐらいまでは参戦していた。

三好家が滅亡するまで合戦はしばらく続いたのだが、活躍できる日を夢見て、レベル上げに精進するために戦場を後にするのであった。

釣り技能を使える職業・特化

2023-07-18 14:31:58 | 信オン
どのMMOも盾役がいてアタッカーがいてヒーラーがいて、と役割分担がされている。
もともと、侍と鍛冶が盾(タンク)として想定されており、特化に入る前から釣り技能が用意されていた。
ただ、特化の技能が多数実装されてた中で、他特化にも釣り技能が追加されていった。
もちろん、メインを張るような性能ではなかったが、その歴史を紐解いていこうと思う。

①侍・鍛冶
当初から盾をメインでやってきた職業、特化でいうなら武士道・軍・鎧・刀。特化によって特徴は随分と異なるようになったが、基本的に盾として動ける特化たち。
鉄砲も、「轟砲」「囮誘導」と釣りができる技能が用意されており、簡易盾なら可能であった。


②僧「捨身飼虎」と僧兵「捨身虎牙」
実は侍の次の生命の伸びがある僧も当初から全体釣り「捨身飼虎」が使えていた。もちろん、使う機会はほぼなかったのだが。
僧兵が、相手を攻撃しつつターゲットととり自身に結界を張れる技能「捨身飼虎」を習得したが、この技能をバンバン使うという話は聞いたことがなかった。
両技能とも、ゲリラの時に僧兵が入れて緊急時に使うぐらいだったと思う。


③殺陣「禁獄~咆哮」と「禁獄~虎威」
前者が通常技能で、徒党員を一人選び、そのプレイヤーの代わりに単体釣りと行う、後者は奥義で代わりに全体釣り+不死状態を追加。
この後紹介する、変わり身挑発と変わり身陽動とよく似た技能ではある。
正直いうと、殺陣とあんまり組むことがなかったのでほとんど見たことないのだが…後者は不死状態になるということで、緊急回避によかったのではないだろうか。


④忍法「変わり身~~」「雲霞」「挑発」
変わり身~~に関しては殺陣と似たようなもの。陽動のほうは、通常技能なので不死状態にはならなかったが。
変わり身挑発に関しては、術の痛いN陰陽師を道に擦り付けて有効活用させてもらっていた。
雲霞は、攻撃とともにターゲットを取り、自身に回避を上昇させる緑とつけるという、誘い水の強化版の技能。
忍結界・四と組み合わせると結構受けられて、緊急用の盾としてはそこそこの性能をもつことができた。

そして、見慣れない技能が一つあると思う。「挑発」だ。
忍法に挑発なんてねーじゃねーか!と思うかもしれないが、当初はあったのである。
ここで注目したいのは、挑発のモーションだ。
初期の挑発系の技能は、技固有のモーションがあるわけではなく、装備している武器で変化する。
全職装備できる装備品があるため、全部確認できそうだが、侍・鍛冶にはできない装備が実は一つだけある。
それが、懐剣二刀流での挑発である。もはやロストテクノロジーなのかと思いきや、敵NPCで使ってくる敵がいる。
筆者の記憶が確かなら、松島の大黒天の7が使ってくる。
忘却の魔境の区間13の大黒天の6も同様なので、そこでも見ることが可能だ!

合戦の勝利条件 今とは全く異なる 戦場編その8

2023-07-18 09:47:40 | 信オン
20年経過しても、合戦は大幅に変化しつつも「信on」の代背景を象徴するメインコンテンツとして継続している。
今の仕様では、1週間決められたスケジュールにて陣が発生し、その中で総戦果が多い方が勝利、2倍以上差がつくと大勝となることになっている。

ただ、初期の仕様ではタイムスケジュールも決められていなければ、1陣の開催時間も内容次第となっていたのだ。
今とは大きく異なり、合戦の勝敗が決められていた。


①1週間に開催された陣の中で勝利した陣の数が多い勢力が勝利
昔は陣ごとに勝利判定があって、その勝利した割合で合戦後の処理が決まっていた。
ちなみに、高校野球が如く、コールド勝利が存在していたので、勢力差がある場合は凄い勢いで陣が消化されていたのである。

②陣の勝利条件その1 12 時間が経過した時点で、相手の2倍の戦果があり、かつ戦果が 1000 以上の場合、勝利。
単純に言えば、相手の倍の戦果を稼いでいれば勝利ということだが、最大で12時間経過するまで陣が終了しないということだ。
今では4時間と決まっているが、戦力差によって開催される陣の時間が異なるような仕様だった。

③陣の勝利条件その2 6 時間以上が経過しており、戦果が 10000 以上あって、相手の3倍の戦果がある場合、その時点で勝者となり、「陣」 は終了となる。
いわゆるコールドゲームである。戦力差がある場合、ほとんどの陣が6時間で終了となっており、もはや蹂躙であった。
ちなみに、陣と陣のインターバルは2時間あり、最短で8時間ごとに陣が開催されていた。
今だと1週間で20陣らしいが、今思うと今のほうが陣が開催されているということだ。
ただ、深夜の1時に陣が終了すれば開始が3時、終了予定が15時とスケジュール自体は不定期でめちゃくちゃであった。

④陣の勝利条件その3 6 時間以上が経過しており、自軍の大名が健在で、相手の大名が討ち取られた場合、その時点で勝者となり、「陣」 は終了となる。
実際の歴史背景を重要視した勝利条件だと思われる。というより、大名が討ち死にしたらもっと大騒ぎになったと思うが、これはゲーム。次の陣になれば生き返っている。
プレイヤーの強化により大名がぼこぼこ落ちていた時代もあったようだが、その際はコーエーによる神の手が入ることが多かったと思う。


ちなみに、②や③の条件に当てはまらなかったり、6時間以内に双方の大名が倒された場合は引き分けとなった。
当時はカウンターを防ぐために、必死に引き分けを取りに行った勢力が多々いたという。

正直なところ、勝利条件というよりは陣のタイムスケジュールが決まっている方がいいよね、という話です。