ひとり ときどき ふたり旅 さんぽ 壱

浅草 第17回 一葉桜まつり 江戸吉原 おいらん道中

 
見ごろの一葉桜(八重桜)が咲く
 
「一葉桜・小松橋通り」には、多くの人が詰めかけます。
 
 
 
吉原にも近い浅草寺のうら
 
江戸情緒を今に伝える「花魁(おいらん)道中」を見に行きます。
 
 
 
先頭には、当時の吉原遊郭でおおみそかに行われた「狐舞ひ(きつねまい)」
 
ひょうきんな踊りで場を盛り上げます。
 
 
 
 
 
※「大晦日の狐の舞ひ」と言えば、こんなお狐さんも見ました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
"シャンシャン"と音をたてる「錫杖(しゃくじょう)」を鳴らしながら
 
吉原の芸者さんが男装したという「手古舞(てこまい)」さん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

遊女の見習い「禿(かむろ)」と呼ばれる女の子
 
花魁の身の回りのお世話をしながら、将来の太夫を目指したそうです。
 
 
 
 

三枚葉の高下駄を履いた花魁「象潟太夫(さきかただゆう)」
 
豪華な花魁衣装30㎏(お値段は壱千萬円とか。)見ごたえがあります。
 
 
 
 

もうひとりの太夫の前にも「禿」が歩きます。
 
 

こちらは、もうひとりの太夫「藤浪太夫」
 
 

円を描きながら「外八文字」の足運びで進みます。
 
 

その後ろには、次期花魁候補の「振袖新造(しんぞう)」がつらなります。
 
 
 
ステージに向かって進みます。
 
 
 
「長柄傘(ながえがさ)」を持つ傘持ち、かつぎ方が粋ですね~
 
 

絢爛優雅な行列に、江戸っ子たちも湧いた! 雑学
 
吉原は、1617年(元和3年)に幕府公認のもと設置され、
1657年(明暦3年)の「明暦の大火」をで現在地に移転したそうです。
300年間、灯をともした最大の遊郭です。
最盛期には 3000人の遊女がいたとされ、遊女には格があり、その頂点に君臨したのが「花魁」です。

「花魁」になるには、容姿や気だてばかりではなく、幼い頃からの教育で身につけた詩や音楽、文学などの教養が必要とされていました。
見世の屋台骨を支える稼ぎ頭だっ た「花魁」は、人気だけでなく実力を兼ね備えた、素養豊かな大スターだったのです。
そのため、「禿」や「新造」などさまざまなお世話をする者がついていました。
花魁がお客から指名を受け、自分の部屋から茶屋へ出向く道中行列を「花魁道中」といい。
禿や新造、妓太夫、やり手などに付き添われて行く華やかな行列はひとつの「見せ場」でした。
そのため、有名な花魁の道中には、数多くの見物人が集まったそうです。
 
 
 絢爛豪華な行列に ひとときの江戸町民になった気分です。
 

  

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