東京都心の中で打ち上げる花火は、約1万3500発。
例年の人出は、55万人。 人気度は全国13位
東京都内では、「浅草の花火」に次いで2位。 つれあいは、玄関先から眺めます。
花火のお供は、日本料理「宇豆基野(うずきの)」の「夏風弁当」。
春夏秋冬に合わせて食材が変わるお弁当、夏はご飯の上に牛肉がのっています。
今年は、銭湯「タカラ湯」を前景に「足立の花火」を撮影してみます。
上手くいくでしょうか、その前に気持ちいい湯船に浸かってのんびりします。
打ち上げが始まりました。 タカラ湯の前にカメラを構えパチリ。
【「足立の花火」の起源は?】
明治に千住大橋(隅田川にかかる橋)の落成を祝って、花火を打上げたのが始まりだと伝えられています。
大正13年8月13日、千住新橋の開通を記念して、「千住の花火大会」という名称で足立区に登場し、本格的に開催されました。
この当時、「両国の花火」と「千住の花火」は、夏の風物詩として多くの人に親しまれていたようです。
打上玉も4号玉(直径約12cm玉)が現在では最大ですが、当時は尺玉(直径約30cm玉)も打上られていました。
しかし、区民に愛されていた花火も戦争の影響を受け、昭和14年を最後に姿を消します。
【戦後に「千住の花火大会」が復活】
戦争が終わり、混乱と経済情勢が安定しない中、昭和24年8月13日に区民待望の「千住の花火大会」が復活しました。
当時の記録を見ると、「仕掛け花火30基、打上花火520発、人出60万人」という記録が残されています。
しかし、河川改修により昭和34年を最後に「千住の花火大会」は幕を下ろしました。
【「足立の花火」が再登場】
昭和50年頃になると、区民の間に足立の花火の復活を望む声が強くありました。
足立区及び足立区観光協会(現在の足立区観光交流協会)では、昭和53年8月の区民納涼大会で約800発の花火を打ち上げたところ大変な人気を呼びました。
そして、昭和54年8月に「千住の花火大会」から「足立の花火大会」へと名称を変え、登場します。
20年ぶりの復活です。
観客30万人余が見上げる中、3,700発の花火が打ち上げられました。
途中、中断もありましたが、約100年の歴史を誇り、将来に残すべき文化、伝統でもあります。
今年も眺めることができた23回目の「足立の花火」、お先にいただきました。
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