日常的に思うことを書くのもよいものですね
作家や日常的に何かを書く人たちは自分の考えがあるものだけど、価値観や常識、因習といった情報というものにふとすると人は流される面もある
テレビを見れば流行りのアニメやドラマが流れていて次の日になれば話題に上がるのだろうし、印象的なCMが15秒感覚で放送され、人は直ぐに釘付けになり、民放やテレビ局の見せたいニュースもしきりに流されている
結局、情報網のなかに住んでいる人に干渉するのは、とても簡単なことなのでしょう
かつてポル・ポト派が人々を従わせるために処刑を行っていた時、眼鏡をかけていた人を優先的に選んでいたらしいですが、知識人というものは、やはり政治や歴史学人間の行動心理といったものへの理解が深く、無理に従わせる事が難しく、そして自分達のやっていることの矛盾が見抜かれることを恐れていためだったといいます
かつて開拓者や宣教師たちは未開の地の人々に自分達の教えを伝え教育していったといいますが、人を何の疑いもなく教育するためには相手に知識がないことが前提になってくる
特に人々を従わせようとするときにはなおさらのことで
文化というものは過去からの情報の伝達で養われてきたものですが、殆どの人々は因習や刷り込みにしたがってて、自分から選んでその生き方をしている人は少ないらしいのです
だから過去の一切の文化の記憶をリセットされた人々を自分達の文化の規準に合わせるように教育するのは簡単なことで、ある意味戦敗後の日本というものも自分達に否があったという刷り込みを受け、相手側の要求にしたがっていったとするとそれに似た面はあったのかもしれません
皆が同じような考えをしているときにその常識の裏を捉えられる人は少ないもので、ナチ政権時のアドルフ・ヒトラーが台頭していた時多くのドイツ市民は彼の考えに賛同しナチスドイツがうまれてしまった訳ですが、実際はヒトラー一個人だけでは国というものは動かせず、国民全体が彼の政権に同調してしまった結果あのような軍事国家がうまれてしまった
当時にしてはナチ政権に従うということがドイツ市民にとっての常識で、一人一人がどのようなことを意識していたにしろ人々が動くことによるパワーというものを自分個人としては、あのような歴史から感じてしまうのです
そのパワーの使い方が誤解的なものだったにせよ
文化というものは伝える相手がいなくなるとそこで途絶えてしまう。それはゼロになるか遺産、形骸と化してしまう
歴史を司る女神「クリオ」は最も内気な女神といわれ、そのような人々のいくつもの営み、数えきれない程の選択を見守ってきたのでしょうか
かつてのローマにしろあれだけ繁栄していた文明もあることがきっかけで衰退しその生き方をする人は途絶えてしまった
意識的に生きるとはよく言われます
自分は完璧な人ではないけれど一人のひととして今の文化というものがどこに辿り着くか、それを興味深く見守りたい
それが正直なところです
作家や日常的に何かを書く人たちは自分の考えがあるものだけど、価値観や常識、因習といった情報というものにふとすると人は流される面もある
テレビを見れば流行りのアニメやドラマが流れていて次の日になれば話題に上がるのだろうし、印象的なCMが15秒感覚で放送され、人は直ぐに釘付けになり、民放やテレビ局の見せたいニュースもしきりに流されている
結局、情報網のなかに住んでいる人に干渉するのは、とても簡単なことなのでしょう
かつてポル・ポト派が人々を従わせるために処刑を行っていた時、眼鏡をかけていた人を優先的に選んでいたらしいですが、知識人というものは、やはり政治や歴史学人間の行動心理といったものへの理解が深く、無理に従わせる事が難しく、そして自分達のやっていることの矛盾が見抜かれることを恐れていためだったといいます
かつて開拓者や宣教師たちは未開の地の人々に自分達の教えを伝え教育していったといいますが、人を何の疑いもなく教育するためには相手に知識がないことが前提になってくる
特に人々を従わせようとするときにはなおさらのことで
文化というものは過去からの情報の伝達で養われてきたものですが、殆どの人々は因習や刷り込みにしたがってて、自分から選んでその生き方をしている人は少ないらしいのです
だから過去の一切の文化の記憶をリセットされた人々を自分達の文化の規準に合わせるように教育するのは簡単なことで、ある意味戦敗後の日本というものも自分達に否があったという刷り込みを受け、相手側の要求にしたがっていったとするとそれに似た面はあったのかもしれません
皆が同じような考えをしているときにその常識の裏を捉えられる人は少ないもので、ナチ政権時のアドルフ・ヒトラーが台頭していた時多くのドイツ市民は彼の考えに賛同しナチスドイツがうまれてしまった訳ですが、実際はヒトラー一個人だけでは国というものは動かせず、国民全体が彼の政権に同調してしまった結果あのような軍事国家がうまれてしまった
当時にしてはナチ政権に従うということがドイツ市民にとっての常識で、一人一人がどのようなことを意識していたにしろ人々が動くことによるパワーというものを自分個人としては、あのような歴史から感じてしまうのです
そのパワーの使い方が誤解的なものだったにせよ
文化というものは伝える相手がいなくなるとそこで途絶えてしまう。それはゼロになるか遺産、形骸と化してしまう
歴史を司る女神「クリオ」は最も内気な女神といわれ、そのような人々のいくつもの営み、数えきれない程の選択を見守ってきたのでしょうか
かつてのローマにしろあれだけ繁栄していた文明もあることがきっかけで衰退しその生き方をする人は途絶えてしまった
意識的に生きるとはよく言われます
自分は完璧な人ではないけれど一人のひととして今の文化というものがどこに辿り着くか、それを興味深く見守りたい
それが正直なところです