3月5日木曜日。戸田教室
PM2:00、何時ものように、詩吟の練習を始める。
雑談を交えながらの練習である。
何時もと同じように、詠い、雑談、そして詠った。
わたしは、如何しても自分の物にしたい詩を詠った。
「先生、最後の「ん(hiB)」が苦しそうだよ」
松ちゃんが言った。
「あ、そう、じゃぁもう一回」
「あぁー、それなら良いよ」
松ちゃんが先生である。
pm6:00からは夜の部の始まりだ。
「松っちゃん何やる?」
コンクールの課題吟である。
「早に白渟帝城やってよ」と、近ちゃんが言う。
模範吟である。
わたしは、コンダクターを弾く。
詠い終わって、手直し箇所を何箇所か指摘し、其れを注意しながら吟じた。
近ちゃんは其れを参考に吟じた。
そして、手直し箇所を一箇所づつ直していくのだ。
「次、○○さん行って見ようか」
9時に終了して、雑談しながらの楽しい食事。
10時に帰途に着いた。
松ちゃんに変わったところは無かった。
3月9日松ちゃんの奥さんからのTELが鳴った。
「松ちゃんがお腹の調子がおかしいから病院へ行って来る」
「どんな具合?」
「何時もと違う痛さだって言うから心配で・・・」
「じゃぁ、早いほうが良いよ」
と、言うことで、電話を切った。
12日稽古日の朝、松ちゃんの奥さんからのTELがまた鳴った。
「他の病院へ行って見るから稽古は休みにする」
との事であった。
13日松ちゃんの奥さんから電話があった。
「来週ガン研ヘ言って検査するから、当分稽古は出来ないかもしれないよ」
「なっ何ぃっ!ガン研!」
次の言葉が出なかった。
18日自宅近くの病院へ転院して来た。
膵臓、肝臓がやられていて、持って二ヵ月との宣告を受けての転院であった。
19日教室のみんなで見舞いに行く。
色艶の良い顔。とても病人とは思えない。
しかし、食事はもう摂れない。
点滴で補っていた。
夜、家に有った蓮根を持って走った。
「蓮根汁飲ませてあげて」
24日館山で掘った蓮根を持って行った。
「スプーンに1杯か2杯しか飲めないんだよ」
と、奥さんが言う。
28日病院へ行くも病室へは入れなかった。
談話スペースで、奥さんと暫らく話を交わした。
兎に角、体力を付けないことには、治療に入れない。
先生は「治験も含めて方法を考えている」と、言っているそうだ。
「動けるようになったら、酵素風呂へ行こう。兎に角、体力を付けなきゃ」
わたしは、そう言い残して病院を後にした。
30日夜、突然TELのベルが鳴った。
「先生。松ちゃんが逝っちゃった」
「えぇーっ!・・・何で・・・」
次の言葉に詰まった。
何も考えが浮かばない。とりあえず走った。
静かな寝顔だった。
線香を立て、念仏を唱えた。
「我昔所造諸悪行皆由無始貪瞋癡従身口意之所生一切我今皆懺悔」
とてもその場にいられなかった。
4月1日通夜での手伝いを申し出て帰途に付いた。
30年来の友であり、仲間であり、生徒で有り、
また、師でも有った松ちゃん。
齢も1つしか違わない松ちゃん。
一緒に詩吟をやって来た松ちゃん。
じっと見ていると、息をしている様な松ちゃん。
起きろよ、起きてくれよ松ちゃん。
早すぎるよ。まだ、心の準備が出来て無いよ。
PM2:00、何時ものように、詩吟の練習を始める。
雑談を交えながらの練習である。
何時もと同じように、詠い、雑談、そして詠った。
わたしは、如何しても自分の物にしたい詩を詠った。
「先生、最後の「ん(hiB)」が苦しそうだよ」
松ちゃんが言った。
「あ、そう、じゃぁもう一回」
「あぁー、それなら良いよ」
松ちゃんが先生である。
pm6:00からは夜の部の始まりだ。
「松っちゃん何やる?」
コンクールの課題吟である。
「早に白渟帝城やってよ」と、近ちゃんが言う。
模範吟である。
わたしは、コンダクターを弾く。
詠い終わって、手直し箇所を何箇所か指摘し、其れを注意しながら吟じた。
近ちゃんは其れを参考に吟じた。
そして、手直し箇所を一箇所づつ直していくのだ。
「次、○○さん行って見ようか」
9時に終了して、雑談しながらの楽しい食事。
10時に帰途に着いた。
松ちゃんに変わったところは無かった。
3月9日松ちゃんの奥さんからのTELが鳴った。
「松ちゃんがお腹の調子がおかしいから病院へ行って来る」
「どんな具合?」
「何時もと違う痛さだって言うから心配で・・・」
「じゃぁ、早いほうが良いよ」
と、言うことで、電話を切った。
12日稽古日の朝、松ちゃんの奥さんからのTELがまた鳴った。
「他の病院へ行って見るから稽古は休みにする」
との事であった。
13日松ちゃんの奥さんから電話があった。
「来週ガン研ヘ言って検査するから、当分稽古は出来ないかもしれないよ」
「なっ何ぃっ!ガン研!」
次の言葉が出なかった。
18日自宅近くの病院へ転院して来た。
膵臓、肝臓がやられていて、持って二ヵ月との宣告を受けての転院であった。
19日教室のみんなで見舞いに行く。
色艶の良い顔。とても病人とは思えない。
しかし、食事はもう摂れない。
点滴で補っていた。
夜、家に有った蓮根を持って走った。
「蓮根汁飲ませてあげて」
24日館山で掘った蓮根を持って行った。
「スプーンに1杯か2杯しか飲めないんだよ」
と、奥さんが言う。
28日病院へ行くも病室へは入れなかった。
談話スペースで、奥さんと暫らく話を交わした。
兎に角、体力を付けないことには、治療に入れない。
先生は「治験も含めて方法を考えている」と、言っているそうだ。
「動けるようになったら、酵素風呂へ行こう。兎に角、体力を付けなきゃ」
わたしは、そう言い残して病院を後にした。
30日夜、突然TELのベルが鳴った。
「先生。松ちゃんが逝っちゃった」
「えぇーっ!・・・何で・・・」
次の言葉に詰まった。
何も考えが浮かばない。とりあえず走った。
静かな寝顔だった。
線香を立て、念仏を唱えた。
「我昔所造諸悪行皆由無始貪瞋癡従身口意之所生一切我今皆懺悔」
とてもその場にいられなかった。
4月1日通夜での手伝いを申し出て帰途に付いた。
30年来の友であり、仲間であり、生徒で有り、
また、師でも有った松ちゃん。
齢も1つしか違わない松ちゃん。
一緒に詩吟をやって来た松ちゃん。
じっと見ていると、息をしている様な松ちゃん。
起きろよ、起きてくれよ松ちゃん。
早すぎるよ。まだ、心の準備が出来て無いよ。
ずっと一緒にやってきた仲間とのお別れ・・。
突然だったんだね。
最初この記事読み進めていた時は、
私も「近ちゃん」って呼ばれてるんだよ~ぉなんて書こうと思ってたのに・・・。
今日お通夜。
昨日眠れた?気をつけていって来てくださいね。
こう、書いているだけで…
涙があふれてきます。
「30年」つみかさねた「宝物」ですよね…(T_T)
どうか、彼をおくる詩吟を、精一杯やってあげてください。
そして、涙枯れるまで泣いて…
しっかりと「お別れ」をしてきてください。
残された者は、悲しみを乗り越えて、また歩き始めるしかないですからね。
よぼ黄門さまには、笑顔が似合いますよ…
しばらくは、赤い車から降りてはどうでしょうか?
気持ちの整理に、役立ちますよ…
では、ご友人の方のご冥福をお祈りいたします。 合掌
ほんとに突然のお別れですね。
3月は、別れの季節というけれど、あまりにも早く、辛く悲しい別れです。
どうぞ、少しでも長くお側にいて 差し上げ下さい。
睡眠不足でしょうね、体に気を付けて下さい。
ご冥福をお祈りします。
でも…なにか書きたくて。
すみません。
よぼしゃん、突然のお別れ本当にお辛いと思います。
だって、ずっと仲間だった方ですものね。
なんとお声をかけていいのか…
いい言葉が見つからなくてすみません。
ご冥福をお祈りいたします。
天と地からの祝福のあらんことを心よりお祈りします。
準備が出来ていなくて
受け止めることが出来ない
良くわかります
一昨年前に40年の付き合い
弟が突然逝ってしまいました。
未だに受け止めることは難しいです
よぼじぃ
お疲れが出ませんように
よぼじぃの所を訪ねて 初めて事を知りました。
30年は長いです。
そのお友達も きっと もっといろんな事を
よぼじぃや 奥様に話して置きたい事が
あったでしょう。
お通夜の時は また いっそうつらいと思いますが
どうか 元気をだしてくださいね。
合唱。
半年近く生きました
本人も周りも出来る限りの事がんばったし、
覚悟もできたし
悔いのないように送ってあげたつもりです
それに比べたら ほんとに急過ぎますね
もう少し時間があれば ある程度の覚悟なり 対応が出来たと思います
ご落胆でしょうが
よぼじいもお体大切に頑張ってください
何とお声をかけていいのか・・。
よぼさんも体調崩されませんように・・・。
ご友人の方のご冥福をお祈りいたします。
合掌
あっと いう間に 逝ってしまわたんですね
辛くて寂しいですね
私の父も 肺がんで 末期に
御医者様にきました
それから 半年で逝きました
癌と戦う 父は
見るのも 悲しいほど 痩せて
人は ここまで 痩せることが できるもなのだ と
思うほどでした
お葬式の時 母と 弟は 大声だして
泣いてました
だから 私が しっかりしなければ と
なきませんでした
だから 一人になったら ず~と
涙がこぼれました
(母と弟は 立ち直れたのに
私は 泣いてばかりでした)
よぼじぃさんは そんなことに
なりませんように
お体も心も 大切にして
お友達を おみおくりしてください
お友達のご冥福をお祈りいたします