内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

転期にあるNHK「公共放送」のあり方 -NHK改革案ー

2007-05-19 | Weblog
                         <不許無断転載・引用>
 転期にあるNHK「公共放送」のあり方  
  -NHK改革案ー                    
                          2007年5月15日
 NHKデイレクターの不正経理問題に端を発し、受信料不払い等が70万件にも達すると言われている中で、2007年度NHK事業を含む政府予算案が、衆議院の審議を終え、参議院での審議に移る。他方、今国会に提出が予定されている放送法改正案に関し、菅義偉総務大臣は、2月27日、閣議後の会見で、NHKが受信料値下げの方針などを示さない限り、放送法改正案に「義務化」を盛り込まない可能性に言及した。同大臣は、先に、2割程度の受信料値下げを求めていた。
07年度事業予算は、6,350億円規模となっており、従来より若干削減されてはいるが、受信料徴収に要する費用は約760億円に達しており、所管する総務大臣が「約6,000億円徴収するのに800億円近く掛けるのは異常」と指摘し、外部委託の活用による経費削減策を求める発言を行うなど、国民感情を考慮しての発言と見られる。
 その事業費総額は、総額約6,000億円を超える膨大な規模となっており、そのほぼ全額が国民よりの受信料、補助金から賄われている。2004年の日本テレビ放送網(株)の放送・文化事業の総売上高(連結決算額)は、3,300億円弱であるので、放送事業として、NHK事業がいかに巨額であるかが分かる。その上、集金人などに800億円近く(総事業費の約13%)も掛けている事実を見ても、テレビが日本の隅々まで普及しているのに、テレビ化、IT化時代に対応した事業形態ではないこと物語っている。
NHKは、テレビ放送が未だ普及せず、娯楽等も少なかった時代から、その普及、発展を目的とする公共放送事業を展開し、この分野の発展に大きな貢献をして来ている。しかし、今日では、各種の民放テレビ、ラジオは日本全国に顕著に普及すると共に、核家族化と相まって、受信料支払い対象者も飛躍的に増加し、受信料も増加の一途を辿って来た。同時に、情報通信手段や番組等も、国際衛星放送やインターネットによるものなど視聴者が自由に選択出来る時代になっており、NHKがこれまで公共放送として担ってきた役割の多くは達成されていると言える。
現在、視聴者が義務的に受信料を支払い、放送事業を普及・振興していた時代から、視聴者が自由に番組等を選択し、この視聴者のニーズに各メデイアが答える時代になっている。不祥事を契機として、不払い者が加速しているが、それは不祥事そのものへの幻滅よりも、視聴者が時代の変化に気付いたということなのでもあろう。
 このように、放送事業や情報通信事業・手段の飛躍的な発展と共に、視聴者のニーズの変化や選択の多様性に対応し、NHKも概ね次のように抜本改革して行くことが望まれる。  
放送法を改正するのであれば、国民から受信料を徴収してまで維持しなくてはならない「公共放送」の番組・事業の分野や役割などを明確に示し、国民の理解が得ることが必要なのであろう。
1. NHK放送は、放送事業の普及・振興という本来の役割を概ね果たした今日、BS放送を含め、視聴を希望する者に対する「有料個別契約」とすることが最も望ましい。例えばBS放送が何故3チャンネルも必要かなども説明を要する。総合受信料とは別に、BS料金を徴収する必要性も良く分からない。テレビ放送のデジタル化に伴い、視聴希望者には受像解読装置を提供し、有料とすることは十分可能だ。
 「有料個別契約」とすることが当面困難な場合には、芸能・娯楽、スポーツ部門等を切り離すと共に、テレビ放送については、総合放送、教育放送、及びBS放送の3つのチャンネルにするなど、ラジオ放送等を含め簡素な形に再編・統合する。「公共放送」の対象とすべき事業・番組などを十分精査の上、事業予算も大幅に削減する。
切り離した芸能・娯楽、スポーツ部門は、コマーシャル等を認め、民放化するか、時間帯を売却出来ることとする。それにより、文化、芸能、スポーツなどの分野で新たな事業が生まれ、また、各地方それぞれの特色や創造性が出て来る可能性があり、この分野が活性化される可能性がある。重要なことは、NHKの番組・事業を単に縮小するということではなく、「公共放送」として残すべきは残し、それ以外は、民営化を含め、それぞれ適当な形態で発展させて行くということであり、また、残すべき「公共放送」につき国民の理解を得て置くということであろう。
2. NHKの「公共放送」事業については、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきであろう。 
 特にニュース番組については、日本の各地方の産業、地方議会、の動きなど、地域に密着したニュースも充実させると共に、在留邦人や旅行者の多い各国など、世界各地の情報も充実させる。
 地震、台風その他の緊急な放送については、公共放送の大きな役割ではあるが、放送事
業やインターネットなどが多様化している今日では、緊急時に多くの人がNHK以外の放送を見聞きしている可能性が高く、民放各社やインターネット・携帯での配信がより重要になっているので、緊急報についての民放・プロバイダー各社の協力に関し、現実的な改善も必要になって来ている。
3. 受信料(有料個別契約)については、現在の5分の1程度に引き下げ、年1回の徴収(分割払い可)とし、振込み制を原則にするなど、集金体制を簡素化する。
有料個別契約制とすることが困難な場合には、報道番組を中心とする新たな独立行政法人型事業体とし、政府予算の委託事業とすることも検討する。これだけで、800億円もの集金費が節約出来る。但し、報道の中立性は確保する。
上記に述べた通り、外国語海外放送は、別途NHKの関係部局他、民放各社等との「海外放送事業体」とし、アジアの本格的な放送発信局を構築する。
日本放送協会(NHK)は、1950年に設立され、58年にテレビ放送が開始されてからは、ラジオとテレビの受信契約がそれぞれ行われていたが、ラジオの一般化とテレビ事業が軌道に乗った1968年には、ラジオ受信料は廃止されている。そしてテレビ受信契約件数は、オリンピックなどを契機としてテレビが普及していた68年の2,248万件強に、そして2004年には3,815万件強に飛躍的に増加しており、この間事業予算も倍近くに膨らんでいる。他方、テレビ放送等の開発・普及のための全国的な基盤投資はほぼ完了していると言ってもよいであろう。本来であれば、68年以降にNHKの役割を再検討し、受信料を引き下げて行くべきであったのであろう。
他方、テレビの普及率は99%を越えおり、また、平均的の一家に2台以上となっているので、テレビ受信者は契約件数の2~2.5倍に達すると見込まれる。潜在的な未払い者に対する集金活動を強化すれば、契約者数、従って受信料徴収額は更に増加する可能性が強い。ましてや支払いを「義務化」すれば一挙に増える可能性がある。逆に言えば、受信料未納者から徴収出来ないほどテレビが一般化しており、戸別集金の制度自体が時代に取り残されているとも言える。
そもそも公共放送に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるのであろうか。2割程度の値下げでは不十分で、その程度で「義務化」すれば、実際の徴収額は増える可能性もありそうだ。法律により国民の受信料支払いを「義務化」し、他方でNHK側の「報道の自由」を認めよとの主張は、どうもしっくりしない。国民の側の表現、思想、信条の自由や選択の自由は認められないのであろうか。「義務化」するのであれば、「契約」の概念が不可欠だ。
 各種の情報、特に娯楽、音楽・演芸、スポーツ、演芸その他の趣味などについては、選択が限られていた戦後直後の時代とは異なり、今日では、視聴者が「選ぶ」時代であり、「与える」時代ではないのではないか。 
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「日本版」NSCって何?

2007-05-19 | Weblog
                  <不許無断転載・引用>
新味の無い「日本版」国家安全保障会議(NSC)案
― 封じ込められた安保担当総理補佐官 -
                        2007年5月15日
 4月中旬、政府は、「国家安全保障会議」(「日本版」NSC)新設に向け、現行の安全保障会議を改定する法案など、関連法案を衆議院に提出したが、政府が検討を始めようとしている集団的安全保障への限定的措置と共に、連休明けには活発な国会審議が予想されようが、早くも今国会での成立を危ぶむ声もある。
「日本版」安全保障会議(NSC)構想は、安倍総理が、就任後の所信表明演説(06年9月29日)において、「外交と安全保障の国家戦略を、政治の強力なリーダーシップにより、迅速に決定できるよう、官邸における司令塔機能を再編、強化するとともに、情報収集機能の向上を図る」旨表明し、安全保障担当他の総理補佐官を任命する一方、有識者を交え検討して来たものだ。北朝鮮の核爆発実験など、朝鮮半島を中心とする北東アジアの緊張の高まりを背景として、迅速且つ的確な安全保障上の対応が求められていると共に、防衛庁が「省」に昇格したことから、ともすると確執が伝えられている防衛政策と外交政策との力関係がより微妙になると予想されるだけに、時宜を得ている。
 既に安倍政権は、総理補佐官の任命等により、官邸機能強化を図ろうとしたが、安全保障問題にせよ、教育問題にせよ、総理補佐官の役割が曖昧となっている。また、郵政民営化法案に反対した議員の自民党復党問題でも総理のリーダーシップの曖昧さが問われていた。それだけに、「日本版」国家安全保障会議(NSC)のあり方が、総理のリーダーシップや官邸の総合調整機能の強化を占う試金石として注目されていたが、どうも実体的には、現行の官主導の安全保障会議の改造版に過ぎず、組織は肥大化するのみで、総理のリーダーシップが発揮され易くなるかは大いに疑問が残る。
1. 米、英のモデルとの比較
 「国家安全保障会議(NSC)」の名称は、米国のNSC(National Security Council)
から来ており、大統領により運用に若干の差があるようだが、現在は、議長である大統領の他、副大統領、国務、国防両長官と財務長官をメンバーとし、安全保障担当大統領補佐官が事務局として常時出席しており、国家安全保障と外交問題を検討し、これらの政策につき「大統領を補佐・助言し、関係省庁を調整すること」を基本的な任務としている。第二次世界戦争を経て、米ソの冷戦体制に入った1947年の国家安全保障法に基づき創設されたものだが、軍の統合参謀本部長及びCIA長官もアドヴァイザーとして参加し、安全保障・外交問題に関する最高の意思決定機関になっており、正にイラク問題も頻繁に取り上げられて来た。首席補佐官や経済政策担当補佐官、問題によっては関係各省の長官等が参加を求められることもあるなど、「国家安全保障法」上のメンバー以外も問題により出席を求められ、弾力的に運用されている。
大統領制の下での機関であり、大統領の意向が強く反映され、その過程において大統領補佐官が正に側近のブレインとして、実質的な助言や調整役など大きな役割を果たしている。党、議会との関係、対策が重要となるが、大統領の意を戴して補佐官連も連絡・調整に当たる。特に、国防、外交政策については、任期中においては、時の大統領のリーダーシップを尊重するという空気が強いが、今回のように、中間選挙において、与党共和党が上下両院で過半数を失う場合は、2年の任期を残し、苦しい議会対策を強いられることになる。
 日本と同様、議院内閣制を取る英国の場合、内閣の一組織としての「内閣委員会」が
外交・防衛政策を調整する機能を果たしているが、規模や構成は政権により異なり、平時においては、首相、外相、国防相、財務相で構成される「海外政策・国防委員会」を設置している。フォークランド紛争や湾岸戦争時などの「有事」においては、戦時内閣として特別小委員会が設置される。英国の場合も、与党、議会との関係が直接重要となるが、与党内では自ら選んだ党首の在任中は、党首、従って首相のリーダーシップが尊重され、首相の政策に賛成出来ない場合には閣外に去る場合も少なくない。
2.「日本版」NSCって何?
 (1)現行の「安全保障会議」の拡大・改造版
日本は、議院内閣制を取っているので、英国の調整機能を中心としたモデルを参考と
しつつ、ある程度米国型NSCの企画立案機能まで持つような形とするとされている。
具体的には、議長を務める総理の他、官房長官、外務、防衛各大臣の3閣僚を中心として構成され、国家安全保障担当の総理補佐官も常時出席する。外交・防衛に関する中・長期的な基本方針を企画・立案することを主目的としている他、総理の諮問に応じて感染症対策など危機管理に関する重要事項についても審議するようだ。
 しかし、現行の安全保障会議の審議対象である「国防の重要事項、重大緊急事態への対処」など、緊急事態や防衛大綱を検討する際などには、現行通り総務相、財務相、経済産業相、国土交通相、国家公安委員長を加え、拡大メンバーとする。
また、国家戦略に関連する資源エネルギー問題、政府開発援助(ODA)、経済外交などについても、必要に応じ「専門家会議」を活用する。
要するに、現行の「安全保障会議」に少人数制の「会議」を加え、更に、資源エネルギーやODAなどの専門家会合を加えたものに過ぎない。その上、国防の重要事項や重大な緊急事態への対処などは、従来通り全ての関係閣僚の参加の下で安全保障会議において審議され、少人数制の「会議」(狭義のNSC)では、外交・防衛に関する「中・長期的な基本方針」が審議されることで、各省庁の「権限」が追認され、いわば縛りが掛かった形となっている。その上、専門家会合まで行うとなると、官邸における「国家安全保障会議」の制度・組織が肥大化、専門化し、官邸が官僚で埋め尽くされて行く可能性が強い。その上、各省庁の縦割りの権限が前提となっているので、拡大会議とするのか、少人数の会議とするかなどの権限争いも予想される。財務大臣をも加えた小人数制の国家安全保障会議とし、必要に応じ関連事項の大臣等の参加を求めるような弾力的、機動的な会議とは出来ないものであろうか。
また、「形」を改造してみても、従来のように、事務方が用意した資料に基づき審議し、結論も「会議」を構成する各省の事務方で合議して出すのでは、新味はない。本来NSC は、国家の安全保障を左右するような国家的重大事項につき、時の政権がリーダーシップを発揮し、方針を確認し、機動的、戦略的に対応出来るような枠組みではないのか。
(2)官僚次第の「情報評価」
 これらの検討を支える「情報部門」については、別途「情報機能強化検討会議」が並行して検討しているが、(1)内閣情報調査室に「内閣情報分析官」を新設し、各省庁の情報を集約して「情報評価書」の原案を作成し、(2)その上で、関係省庁の局長級で作る「合同情報会議」で「情報評価書」を決定、総理や「国家安全保障会議(NSC)」に提供する方向で検討されている趣だ。     
要するに「情報評価書」の内容は、各省次第であると共に、局長クラスでスクリーニングされる結果となるので、極秘などの機微な情報は薄められ、「省」の立場を出ないものとなろう。無論、現在でも内閣情報調査室に「内閣情報官」がおり、国内、国際、経済各分野と衛星情報センターについて、情報を集約する体制になっている。各省庁からの出向者約100名を含め、約170名もの規模で、この他にも、政府内外から募っている「情報提供者」等から情報を得ている趣だが、主に内外の主要紙や放送などの公開情報や「情報提供者」、衛星情報等からの情報を常時モニターし、定期的に総理にも報告されるようにはなっているようだ。これを基に「日本版」中央情報局(JCIA)を新設するとの案も出せれているが、情報収集能力などに制約がある。新設が提案されている「内閣情報分析官」は、現存の「内閣情報官」との差が明らかでなく、関係省庁からの「情報の集約」が主要任務になると予想されるが、自前の情報収集を行うため、諜報(いわゆるスパイ)活動をも「集約」することなるのかは明らかでない。しかし、少なくても「情報評価書」は、官僚次第となる。
 (3)影の薄い「総理補佐官」
 国家安全保障担当の補佐官は、NSCに常時出席出来、また、10人から20人規模の「事
務局」も設置されるが、「会議」自体も事務も官房長官が「総括」することになっており、実質的な出番はなさそうだ。官邸機能の強化のいわば目玉として、総理補佐官制度の権限強化が取り沙汰され、注目されたものの、関係各省、各大臣等の強い抵抗もあり、常設のための内閣法の改正なども行われず、尻つぼみに終わりそうだ。結果として、縦割りの各省庁による現行体制を追認する形ともなり、総理補佐官の常設も封じられた格好だ。一見官房長官の役割の強化とも取れるが、外務・防衛を含め、省庁の調整や政府スポークスマンとして既に多忙を極めており、果たせるとしてもせいぜい調整役としての役割であり、「事務局」頼りとなりそうだ。 
 内外の諸問題で多忙な総理を、安全保障問題など、時の政権の重点事項につき、戦略・政策面で総理の「ブレーン」として実質的に補佐すると共に、政府各部や党への連絡・調整役が必要になって来ているばかりではなく、関係国要路との機動的、主体的な接触も必要になって来ている。特に、国民に対する政権公約やマニフェストが、政党や時の内閣を選ぶ不可欠な要素となりつつあり、国家的重要事項につきリーダーが国民に説明責任を果たし、分かり易い政治とすることが時代の要求ともなっているだけに、総理を補佐する実質的な補佐役、ブレーンが必要になっている。
 今回の「国家安全保障会議」(「日本版」NSC)案には、その目玉が無い。「ブレ-ン」と称する役割は、結局のところ会議の「事務局」が務めることになる。逆に、「補佐官」は、会議の決定に縛られる結果となり、実質的な「ブレ-ン」としての役割を果たせず、お飾り的な存在となろう。
既存の「安全保障会議」はそれほど頻繁に開催されてはいないが、それに加え、総理の他、3閣僚で構成される「会議」を新設しても、構成閣僚、従って構成省、場合によっては既存の「安全保障会議」の了承を要することにもなり、屋上屋の協議の場となる可能性があるばかりか、所信表明で「外交と安全保障の国家戦略を、政治の強力なリーダーシップにより、迅速に決定できるよう」にするとの目的で検討されて来たNSCが、補佐官を含め、官僚機構・手続きで縛られる結果となる。どうも、それが「日本版」と言う意味のようだ。構成省の「権限」に立脚した見事な仕分けで、「形」を整えてはあるが、実体は、本来のNSCの機能から程遠いように見える。
3. 課題として残った「総理補佐官制度」の実質的活用と強化
 内閣法に、「総理補佐官」を5人以内置くことが出来、「重要政策に関し、総理に進言し、また、総理よりの指示、要請事項につき意見をまとめ、提案(具申)する」ことが規定されている。しかし、補佐官には、規定上、手足はなく、「総理に対し」進言、提案出来る旨規定されているだけであり、決定のラインには無く、スタッフである。だから、補佐官が、関係省に対し、また、大臣に対し何かを提案しようとすると、大臣や官僚から「何の権限で」と反発をくらい、余り機能していない。各省にしてみれば、それぞれ設置法等で所掌事項や権限が決められているということなのであろう。
 内閣法等により、ラインは、官邸(内閣官房)では、総理、官房長官、官房副長官(3人)、副長官補(3人)、そして各省では、大臣、副大臣、事務次官等と繋がっている。「補佐官」がスタッフに留まる限り、その機能は自ずと限界がある。
 米国の「大統領補佐官制度」とはここに制度的な差がある。
 ホワイト・ハウスには、18人内外の「補佐官(Assistant)」がおり、「首席補佐官」を筆頭に、国家安全保障や経済政策など、それぞれ担当が決められており、関係「会議」の事務局長となっている場合もある。また、その下に20数名の副補佐官が任命されており、スタッフ的な要員もいるが、ほとんどがラインとして活動している。そして、隣接する大統領府に1,800人内外の官僚組織があり、各種の事務をサポートしている。
 日本との大きな差は、これらの「補佐官」等のほとんどが、大統領が代わると公務員以外から任命されることだ。日本の場合、官房長官と2名の副長官だけが政治的任命であり、秘書官も政務秘書を除き、あとはほとんど公務員が就く。総理補佐官は、政治的任命ではあるが、スタッフであり、ラインには属していない。
 英国の首相府においても、ブレアー首相は、「首席補佐官」他を、労働党時代の人材から登用しており、補佐官が官僚組織を指揮している。
 日本においては、官房長官がいわば首席補佐官に当たるが、外交・安全保障問題や経済・財政政策その他の国家的重要事項について、フル・タイムでブレーンとして総理を補佐し、関係各部や党と連絡・調整に当たるポストがなく、総理が交代しても、また、時代や国民のニーズが変化しても、官僚依存となっている。政策の「一貫性」という面ではメリットがあり、東西冷戦の枠組みの下では良かったのであろう。しかし、現在では、国際関係において、そのような枠組みは無く、グローバルな観点からの新たな関係の構築と国家的安全保障の確保が必要となっており、また、国内的には、少子高齢化の中での国際競争力の維持と国民生活等の向上を図って行かなくてはならない。政策的にも制度・組織的にも従来のままで良いと言うわけにはいかない。じっとしていれば日本の地位は、相対的に限界的な存在に低下する可能性がある。また、総体として国民の税負担能力は低下し、これまでのような行政コストを支える余裕も無くなるであろう。給付水準を含む年金制度の見直し一つをとっても明らかだ。従来の料率や支給額は維持困難になっている。
 検討の過程で、米国の補佐官制度のように、安保担当の総理補佐官を常設し、議員でない場合は「事務局長」を兼務させることが検討されたようだが、当面見送られたようである。しかし、「事務局長」に官僚が就くということになれば、官僚機構の屋上屋を重ね、形式的、硬直的な意思決定機関となり、総理のイニシアテイヴは発揮し難くなる恐れが強い。法律で政治的リーダーシップを縛る結果ともなる。
 本来、政権の中枢(閣僚と内閣官房)は、時の総理と共に行動し、総理が交代した時には原則として交代すべきなのであろう。そうでなければ政権の特徴(公約や重点事項)は出し難く、従来良く見られていた通り、総理が交代しても政策等は官僚依存で余り変わり映えしない上、時の政権が何を進めようとし、どのように総理としての責任を果たして行くのかなどが国民には見えて来ない。誰がやっても同じということでは、国民は政治に期待せず、政治から離れて行くのみだ。
 最近の宮崎県知事選での結果や東京都知事選で石原知事が批判・不満の中でも大勝したのは、いろいろ言われてはいるが、主張や政策が明確であり、「看板」通り実施する行動力がありそうで、政策に関する責任の所在が明確であるからなのであろう。任期中にそれが出来なければ、有権者は次の選挙で別の候補を選べば良い。小泉前総理も同様であるが、再選され、有権者の再評価を受けないまま、1年で政権の座を去ってしまった。
 ところで、日本の政治は、政策面や予算配分面での官僚依存が強い。その背景には、政権を担う総理が、与党内の派閥順送りで決められて来ており、また、本格的な与野党間の政権交代も行われていないという現実がある。従って、閣僚も大なり小なり派閥勢力に沿った順送り的な配分となるので、内閣に、いわば直参旗本、親藩・譜代と外様大名の如く、各大臣が一国一城のあるじ的な傾向が漂い、縦割り制度や官僚依存に陥り易い体質がある。その上、特定省庁や特定の事業予算・権益を巡り「族議員」が出来ていることも、政官の相互依存性を強める結果となっている。従って、時の政権は、政権維持のため党内の主要派閥の意見や「族」グループの意見を聞かざるを得ず、党内コンセンサスと言えば聞こえは良いが、政権の中枢が、内閣にあるのか、党にあるのかが分かり難くなっている。80年代末に、K.V.ウオルフレン氏が、政権の中枢不在を「日本問題(Japan Problem)」として指摘している。その意見に偏向もあるが、日本的政治風土にそのような傾向はある。    
無論、派閥は何処にでもあるのが現実だ。もっと政策面でのグループであって欲しいとは思うが、それを云々しても余り意味が無い。しかし、政党の代表を選ぶまでは派閥別に行動することは止むを得ないとしても、一旦投票で選んだ以上、任期中はそのリーダーシップを尊重するというルールとは出来ないものであろうか。結果責任は、任期満了時に問えば良い。その方が説明責任を果たし易いだろうし、国民にとっては分かり易い。現在はどうも、選挙後に「看板」や「公約」等が不明瞭になり、分かり難いと言う以上に、期待外れとなる場合が少なくない。自ら「投票」で選んで、その後で公約事項等でも「コンセンサス」というのでは、聞こえは良いが、投票による「選挙」という基本的なルールが曖昧になるのではないだろうか。
 これも一つの政治の現実であり、政治に何を求めるかは最終的には国民が選択するということなのであろう。有権者もその一票の重要性を改めて認識する必要があろう。
 他方、そのようなリーダーシップを発揮するためには、それを常時補佐してくれる自前の「ブレーン」が必要になって来る。それを法律で制度として排除するのではなく、導入出来る制度を確立することが必要になっているのではないだろうか。また、そのような「ブレーン」は、広く国民各界から選べるようにすることが、国際社会の変化や国民のニーズにより弾力的に対応出来ることになるのではなかろうか。それはまた、国民の政権への参加の幅を広げ、国民の政治への関与、関心を高めることにもなろう。試行錯誤はあろうが、そのような過程の中で人材も育って行くのであろう。
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