内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

米国、北朝鮮両国が事実上国家承認! (その1)

2018-06-08 | Weblog
米国、北朝鮮両国が事実上国家承認! (その1)
 トランプ米国大統領は、5月24日付にて金正恩北朝鮮国務委員長宛に予定されている首脳会談を中止する旨の書簡を発出したのに対し、6月1日、ポンペオ米国務長官との協議のため訪米した金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮労働党副委員長より、ホワイトハウスにおいて金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、トランプ大統領はこれを受けとった。
 これは米国と北朝鮮の首脳(国家元首)が書簡を交換したということであり、事実上の国家承認に当たる。相互に国家として承認するとは明示はしていないが、国家元首同士の書簡の交換で、相互に米国合衆国、朝鮮民主人民共和国の国家元首として認め合うということであり、外交上、国家としての‘黙示の承認’とされるものである。事実5月24日付のトランプ大統領の書簡は、‘朝鮮民主人民共和国国務委員会金正恩委員長’に宛てられ、米国合衆国ドナルド・J・トランプ大統領として正式名称で署名しており、また今回の金正恩委員長よりの返書も同様の正式名称で発出されていると見られる。

 朝鮮戦争が休戦となった1953年から65年を経て、未だ敵対関係にある米国と北朝鮮が事実上国家承認を行った歴史的な瞬間であり、トランプ大統領自身が金英哲朝鮮労働党副委員長(国務委員)を見送った後に記者団に述べているように、今後紆余曲折があろうが、1回だけの首脳会談で‘朝鮮半島の非核化’やミサイル開発などの問題が決着するもではなく、両国首脳間、当局間の交渉、協議が重ねられることを示唆している。
 1、開かれた米、韓、北朝鮮3か国の戦争終結へ向けての交渉
 トランプ大統領は、5月24日付の金正恩国務院委員長宛の書簡において、北側に激怒と敵意に満ちた発言があったとして、6月12日に予定されている首脳会談は不適当として中止の意向を伝えると共に、電話又は書簡での接触を受ける意向を伝えていた。これに対し、北朝鮮の金英哲副委員長がポンペオ米国務長官との協議等のため訪米した際ワシントンに赴き、金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、1時間以上に亘り協議した。
トランプ大統領は、金英哲副委員長を車まで見送るなど丁重な待遇を行ったが、その後の記者との質疑応答で、6月12日の首脳会談を行うことを述べつつ、‘長期の敵対関係が続いたこともあり、1回の首脳会談では解決しないかも知れず、数回に亘るかもしれない、これは一つのプロセスである’、‘今後は最大限の圧力を掛けるとは言いたくない’、‘(現行の)制裁は継続するが、制裁が解除されることを期待する’との趣旨を述べており、更に‘戦争終結の可能性’にも言及している。これは国家関係を前提として首脳間、関係当局間の協議、交渉の意思、プロセスの開始を示したものと見て良いであろう。
金正恩委員長は、4月27日の南北首脳会談の後、トランプ大統領のとの首脳会談の用意を明らかにしたが、その際‘北朝鮮の安全と体制の維持が保証されれば、核兵器を保有する必要はない’との趣旨を述べている。これは‘北朝鮮の非核化’、特に北朝鮮の非核化という最終目標を達成するためには、軍事、政治両面での包括的な解決が必要であることを意味している。現在南北朝鮮は、‘停戦協定’で軍事衝突こそ避けられているが、北朝鮮と米・韓とは敵対関係にある。双方が敵対関係にある以上、北朝鮮の安全の保証は困難であり、その下で軍事優先の‘先軍政治’をとる金正恩体制の維持を保証することも困難であろう。
今回、両国首相は書簡の交換をもって事実上国家承認を行い、一連の交渉の扉を開いたのである。
2、金正恩委員長は、軍部を含む自国民を裏切るか、国際世論の期待を裏切るか   (その2に掲載)
金正恩委員長は、父である金正日総書記を受け継ぎ、米・韓との敵対関係を梃子として先軍主義を維持し、国民の団結を保って来たところであり、その一環として核兵器と長距離ミサイルを含むミサイル開発、配備を進めて来た。
このような中で、金正恩政権が大きく舵を切り、核兵器を放棄し、敵対関係にあった米国及び韓国との戦争状態を終結し和平に進めば、軍部や朝鮮労働党内の特権的地位を享受してきた党幹部や守旧派国民層に与えて来た対米強硬派のイメージを裏切ることになるのか。これまでの強権的な先軍主義はジェスチャーに過ぎなかったのだろうか。
金正恩委員長は、軍部や党守旧派を抑え、核放棄、和平に舵を切ることが出来るのか。軍や党守旧派の反対や不信感を抑え、方針を転換するためには、体制保証が不可欠であると共に、国民に対し経済発展や生活の改善をもたらすような補償を得なくてはならない。
明らかになったのは、今回トランプ大統領に返書を託されたのが金英哲労働
党副委員長は、朝鮮人民軍偵察総局長(兼副参謀長)で党中央軍事委員会委員あり、軍人出身であると共に国家国務委員であり、また副大統領にも匹敵する金正恩国務委員長の側近中の側近と言えるので、今回の対米接近については軍部の一定の支持があると言えよう。一部報道では、朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が5月に解任され、またNo.2、No.3の李明秀軍総参謀長、朴英植人民武力相も同時に更迭されていたとの報道があり、軍部内での主導権争いがあることが予想される。
他方、北朝鮮が ‘非核化の段階的な実施’を強く主張し、これまでのように各段階で見返りを要求しつつ時間稼ぎをし、核、ミサイル開発能力を実質的に温存し、最終段階で交渉を停止し、国際世論を裏切るというシナリオも十分念頭に置く必要があろう。
3、キープレーヤーである中国、北朝鮮、米国各首脳の姿勢の変化と韓国の仲介的役割 (その3に掲載)
 今回の場合、南北朝鮮の停戦状態から戦争終結、和平を巡るキープレーヤーである中国、北朝鮮、米国首脳の姿勢が従来の首脳と明らかに異なる。
(1)習近平主席の下での中国の対北朝鮮圧力
 (2)米国トランプ大統領の不可測性
 (3)金正恩委員長のリアルな懸念
 (4)韓国文在寅大統領の対北融和政策と仲介
(All Rights Reserved.)
2018年6月2日
                   グローバル・ポリシー・グル-プ
                   元駐ルクセンブルク大使
                   小嶋 光昭
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米国、北朝鮮両国が事実上国家承認! (その1)

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米国、北朝鮮両国が事実上国家承認! (その1)
 トランプ米国大統領は、5月24日付にて金正恩北朝鮮国務委員長宛に予定されている首脳会談を中止する旨の書簡を発出したのに対し、6月1日、ポンペオ米国務長官との協議のため訪米した金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮労働党副委員長より、ホワイトハウスにおいて金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、トランプ大統領はこれを受けとった。
 これは米国と北朝鮮の首脳(国家元首)が書簡を交換したということであり、事実上の国家承認に当たる。相互に国家として承認するとは明示はしていないが、国家元首同士の書簡の交換で、相互に米国合衆国、朝鮮民主人民共和国の国家元首として認め合うということであり、外交上、国家としての‘黙示の承認’とされるものである。事実5月24日付のトランプ大統領の書簡は、‘朝鮮民主人民共和国国務委員会金正恩委員長’に宛てられ、米国合衆国ドナルド・J・トランプ大統領として正式名称で署名しており、また今回の金正恩委員長よりの返書も同様の正式名称で発出されていると見られる。

 朝鮮戦争が休戦となった1953年から65年を経て、未だ敵対関係にある米国と北朝鮮が事実上国家承認を行った歴史的な瞬間であり、トランプ大統領自身が金英哲朝鮮労働党副委員長(国務委員)を見送った後に記者団に述べているように、今後紆余曲折があろうが、1回だけの首脳会談で‘朝鮮半島の非核化’やミサイル開発などの問題が決着するもではなく、両国首脳間、当局間の交渉、協議が重ねられることを示唆している。
 1、開かれた米、韓、北朝鮮3か国の戦争終結へ向けての交渉
 トランプ大統領は、5月24日付の金正恩国務院委員長宛の書簡において、北側に激怒と敵意に満ちた発言があったとして、6月12日に予定されている首脳会談は不適当として中止の意向を伝えると共に、電話又は書簡での接触を受ける意向を伝えていた。これに対し、北朝鮮の金英哲副委員長がポンペオ米国務長官との協議等のため訪米した際ワシントンに赴き、金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、1時間以上に亘り協議した。
トランプ大統領は、金英哲副委員長を車まで見送るなど丁重な待遇を行ったが、その後の記者との質疑応答で、6月12日の首脳会談を行うことを述べつつ、‘長期の敵対関係が続いたこともあり、1回の首脳会談では解決しないかも知れず、数回に亘るかもしれない、これは一つのプロセスである’、‘今後は最大限の圧力を掛けるとは言いたくない’、‘(現行の)制裁は継続するが、制裁が解除されることを期待する’との趣旨を述べており、更に‘戦争終結の可能性’にも言及している。これは国家関係を前提として首脳間、関係当局間の協議、交渉の意思、プロセスの開始を示したものと見て良いであろう。
金正恩委員長は、4月27日の南北首脳会談の後、トランプ大統領のとの首脳会談の用意を明らかにしたが、その際‘北朝鮮の安全と体制の維持が保証されれば、核兵器を保有する必要はない’との趣旨を述べている。これは‘北朝鮮の非核化’、特に北朝鮮の非核化という最終目標を達成するためには、軍事、政治両面での包括的な解決が必要であることを意味している。現在南北朝鮮は、‘停戦協定’で軍事衝突こそ避けられているが、北朝鮮と米・韓とは敵対関係にある。双方が敵対関係にある以上、北朝鮮の安全の保証は困難であり、その下で軍事優先の‘先軍政治’をとる金正恩体制の維持を保証することも困難であろう。
今回、両国首相は書簡の交換をもって事実上国家承認を行い、一連の交渉の扉を開いたのである。
2、金正恩委員長は、軍部を含む自国民を裏切るか、国際世論の期待を裏切るか   (その2に掲載)
金正恩委員長は、父である金正日総書記を受け継ぎ、米・韓との敵対関係を梃子として先軍主義を維持し、国民の団結を保って来たところであり、その一環として核兵器と長距離ミサイルを含むミサイル開発、配備を進めて来た。
このような中で、金正恩政権が大きく舵を切り、核兵器を放棄し、敵対関係にあった米国及び韓国との戦争状態を終結し和平に進めば、軍部や朝鮮労働党内の特権的地位を享受してきた党幹部や守旧派国民層に与えて来た対米強硬派のイメージを裏切ることになるのか。これまでの強権的な先軍主義はジェスチャーに過ぎなかったのだろうか。
金正恩委員長は、軍部や党守旧派を抑え、核放棄、和平に舵を切ることが出来るのか。軍や党守旧派の反対や不信感を抑え、方針を転換するためには、体制保証が不可欠であると共に、国民に対し経済発展や生活の改善をもたらすような補償を得なくてはならない。
明らかになったのは、今回トランプ大統領に返書を託されたのが金英哲労働
党副委員長は、朝鮮人民軍偵察総局長(兼副参謀長)で党中央軍事委員会委員あり、軍人出身であると共に国家国務委員であり、また副大統領にも匹敵する金正恩国務委員長の側近中の側近と言えるので、今回の対米接近については軍部の一定の支持があると言えよう。一部報道では、朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が5月に解任され、またNo.2、No.3の李明秀軍総参謀長、朴英植人民武力相も同時に更迭されていたとの報道があり、軍部内での主導権争いがあることが予想される。
他方、北朝鮮が ‘非核化の段階的な実施’を強く主張し、これまでのように各段階で見返りを要求しつつ時間稼ぎをし、核、ミサイル開発能力を実質的に温存し、最終段階で交渉を停止し、国際世論を裏切るというシナリオも十分念頭に置く必要があろう。
3、キープレーヤーである中国、北朝鮮、米国各首脳の姿勢の変化と韓国の仲介的役割 (その3に掲載)
 今回の場合、南北朝鮮の停戦状態から戦争終結、和平を巡るキープレーヤーである中国、北朝鮮、米国首脳の姿勢が従来の首脳と明らかに異なる。
(1)習近平主席の下での中国の対北朝鮮圧力
 (2)米国トランプ大統領の不可測性
 (3)金正恩委員長のリアルな懸念
 (4)韓国文在寅大統領の対北融和政策と仲介
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 トランプ米国大統領は、5月24日付にて金正恩北朝鮮国務委員長宛に予定されている首脳会談を中止する旨の書簡を発出したのに対し、6月1日、ポンペオ米国務長官との協議のため訪米した金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮労働党副委員長より、ホワイトハウスにおいて金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、トランプ大統領はこれを受けとった。
 これは米国と北朝鮮の首脳(国家元首)が書簡を交換したということであり、事実上の国家承認に当たる。相互に国家として承認するとは明示はしていないが、国家元首同士の書簡の交換で、相互に米国合衆国、朝鮮民主人民共和国の国家元首として認め合うということであり、外交上、国家としての‘黙示の承認’とされるものである。事実5月24日付のトランプ大統領の書簡は、‘朝鮮民主人民共和国国務委員会金正恩委員長’に宛てられ、米国合衆国ドナルド・J・トランプ大統領として正式名称で署名しており、また今回の金正恩委員長よりの返書も同様の正式名称で発出されていると見られる。

 朝鮮戦争が休戦となった1953年から65年を経て、未だ敵対関係にある米国と北朝鮮が事実上国家承認を行った歴史的な瞬間であり、トランプ大統領自身が金英哲朝鮮労働党副委員長(国務委員)を見送った後に記者団に述べているように、今後紆余曲折があろうが、1回だけの首脳会談で‘朝鮮半島の非核化’やミサイル開発などの問題が決着するもではなく、両国首脳間、当局間の交渉、協議が重ねられることを示唆している。
 1、開かれた米、韓、北朝鮮3か国の戦争終結へ向けての交渉
 トランプ大統領は、5月24日付の金正恩国務院委員長宛の書簡において、北側に激怒と敵意に満ちた発言があったとして、6月12日に予定されている首脳会談は不適当として中止の意向を伝えると共に、電話又は書簡での接触を受ける意向を伝えていた。これに対し、北朝鮮の金英哲副委員長がポンペオ米国務長官との協議等のため訪米した際ワシントンに赴き、金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、1時間以上に亘り協議した。
トランプ大統領は、金英哲副委員長を車まで見送るなど丁重な待遇を行ったが、その後の記者との質疑応答で、6月12日の首脳会談を行うことを述べつつ、‘長期の敵対関係が続いたこともあり、1回の首脳会談では解決しないかも知れず、数回に亘るかもしれない、これは一つのプロセスである’、‘今後は最大限の圧力を掛けるとは言いたくない’、‘(現行の)制裁は継続するが、制裁が解除されることを期待する’との趣旨を述べており、更に‘戦争終結の可能性’にも言及している。これは国家関係を前提として首脳間、関係当局間の協議、交渉の意思、プロセスの開始を示したものと見て良いであろう。
金正恩委員長は、4月27日の南北首脳会談の後、トランプ大統領のとの首脳会談の用意を明らかにしたが、その際‘北朝鮮の安全と体制の維持が保証されれば、核兵器を保有する必要はない’との趣旨を述べている。これは‘北朝鮮の非核化’、特に北朝鮮の非核化という最終目標を達成するためには、軍事、政治両面での包括的な解決が必要であることを意味している。現在南北朝鮮は、‘停戦協定’で軍事衝突こそ避けられているが、北朝鮮と米・韓とは敵対関係にある。双方が敵対関係にある以上、北朝鮮の安全の保証は困難であり、その下で軍事優先の‘先軍政治’をとる金正恩体制の維持を保証することも困難であろう。
今回、両国首相は書簡の交換をもって事実上国家承認を行い、一連の交渉の扉を開いたのである。
2、金正恩委員長は、軍部を含む自国民を裏切るか、国際世論の期待を裏切るか   (その2に掲載)
金正恩委員長は、父である金正日総書記を受け継ぎ、米・韓との敵対関係を梃子として先軍主義を維持し、国民の団結を保って来たところであり、その一環として核兵器と長距離ミサイルを含むミサイル開発、配備を進めて来た。
このような中で、金正恩政権が大きく舵を切り、核兵器を放棄し、敵対関係にあった米国及び韓国との戦争状態を終結し和平に進めば、軍部や朝鮮労働党内の特権的地位を享受してきた党幹部や守旧派国民層に与えて来た対米強硬派のイメージを裏切ることになるのか。これまでの強権的な先軍主義はジェスチャーに過ぎなかったのだろうか。
金正恩委員長は、軍部や党守旧派を抑え、核放棄、和平に舵を切ることが出来るのか。軍や党守旧派の反対や不信感を抑え、方針を転換するためには、体制保証が不可欠であると共に、国民に対し経済発展や生活の改善をもたらすような補償を得なくてはならない。
明らかになったのは、今回トランプ大統領に返書を託されたのが金英哲労働
党副委員長は、朝鮮人民軍偵察総局長(兼副参謀長)で党中央軍事委員会委員あり、軍人出身であると共に国家国務委員であり、また副大統領にも匹敵する金正恩国務委員長の側近中の側近と言えるので、今回の対米接近については軍部の一定の支持があると言えよう。一部報道では、朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が5月に解任され、またNo.2、No.3の李明秀軍総参謀長、朴英植人民武力相も同時に更迭されていたとの報道があり、軍部内での主導権争いがあることが予想される。
他方、北朝鮮が ‘非核化の段階的な実施’を強く主張し、これまでのように各段階で見返りを要求しつつ時間稼ぎをし、核、ミサイル開発能力を実質的に温存し、最終段階で交渉を停止し、国際世論を裏切るというシナリオも十分念頭に置く必要があろう。
3、キープレーヤーである中国、北朝鮮、米国各首脳の姿勢の変化と韓国の仲介的役割 (その3に掲載)
 今回の場合、南北朝鮮の停戦状態から戦争終結、和平を巡るキープレーヤーである中国、北朝鮮、米国首脳の姿勢が従来の首脳と明らかに異なる。
(1)習近平主席の下での中国の対北朝鮮圧力
 (2)米国トランプ大統領の不可測性
 (3)金正恩委員長のリアルな懸念
 (4)韓国文在寅大統領の対北融和政策と仲介
(All Rights Reserved.)
2018年6月2日
                   グローバル・ポリシー・グル-プ
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米国、北朝鮮両国が事実上国家承認! (その1)
 トランプ米国大統領は、5月24日付にて金正恩北朝鮮国務委員長宛に予定されている首脳会談を中止する旨の書簡を発出したのに対し、6月1日、ポンペオ米国務長官との協議のため訪米した金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮労働党副委員長より、ホワイトハウスにおいて金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、トランプ大統領はこれを受けとった。
 これは米国と北朝鮮の首脳(国家元首)が書簡を交換したということであり、事実上の国家承認に当たる。相互に国家として承認するとは明示はしていないが、国家元首同士の書簡の交換で、相互に米国合衆国、朝鮮民主人民共和国の国家元首として認め合うということであり、外交上、国家としての‘黙示の承認’とされるものである。事実5月24日付のトランプ大統領の書簡は、‘朝鮮民主人民共和国国務委員会金正恩委員長’に宛てられ、米国合衆国ドナルド・J・トランプ大統領として正式名称で署名しており、また今回の金正恩委員長よりの返書も同様の正式名称で発出されていると見られる。

 朝鮮戦争が休戦となった1953年から65年を経て、未だ敵対関係にある米国と北朝鮮が事実上国家承認を行った歴史的な瞬間であり、トランプ大統領自身が金英哲朝鮮労働党副委員長(国務委員)を見送った後に記者団に述べているように、今後紆余曲折があろうが、1回だけの首脳会談で‘朝鮮半島の非核化’やミサイル開発などの問題が決着するもではなく、両国首脳間、当局間の交渉、協議が重ねられることを示唆している。
 1、開かれた米、韓、北朝鮮3か国の戦争終結へ向けての交渉
 トランプ大統領は、5月24日付の金正恩国務院委員長宛の書簡において、北側に激怒と敵意に満ちた発言があったとして、6月12日に予定されている首脳会談は不適当として中止の意向を伝えると共に、電話又は書簡での接触を受ける意向を伝えていた。これに対し、北朝鮮の金英哲副委員長がポンペオ米国務長官との協議等のため訪米した際ワシントンに赴き、金正恩委員長の返書をトランプ大統領に手渡し、1時間以上に亘り協議した。
トランプ大統領は、金英哲副委員長を車まで見送るなど丁重な待遇を行ったが、その後の記者との質疑応答で、6月12日の首脳会談を行うことを述べつつ、‘長期の敵対関係が続いたこともあり、1回の首脳会談では解決しないかも知れず、数回に亘るかもしれない、これは一つのプロセスである’、‘今後は最大限の圧力を掛けるとは言いたくない’、‘(現行の)制裁は継続するが、制裁が解除されることを期待する’との趣旨を述べており、更に‘戦争終結の可能性’にも言及している。これは国家関係を前提として首脳間、関係当局間の協議、交渉の意思、プロセスの開始を示したものと見て良いであろう。
金正恩委員長は、4月27日の南北首脳会談の後、トランプ大統領のとの首脳会談の用意を明らかにしたが、その際‘北朝鮮の安全と体制の維持が保証されれば、核兵器を保有する必要はない’との趣旨を述べている。これは‘北朝鮮の非核化’、特に北朝鮮の非核化という最終目標を達成するためには、軍事、政治両面での包括的な解決が必要であることを意味している。現在南北朝鮮は、‘停戦協定’で軍事衝突こそ避けられているが、北朝鮮と米・韓とは敵対関係にある。双方が敵対関係にある以上、北朝鮮の安全の保証は困難であり、その下で軍事優先の‘先軍政治’をとる金正恩体制の維持を保証することも困難であろう。
今回、両国首相は書簡の交換をもって事実上国家承認を行い、一連の交渉の扉を開いたのである。
2、金正恩委員長は、軍部を含む自国民を裏切るか、国際世論の期待を裏切るか   (その2に掲載)
金正恩委員長は、父である金正日総書記を受け継ぎ、米・韓との敵対関係を梃子として先軍主義を維持し、国民の団結を保って来たところであり、その一環として核兵器と長距離ミサイルを含むミサイル開発、配備を進めて来た。
このような中で、金正恩政権が大きく舵を切り、核兵器を放棄し、敵対関係にあった米国及び韓国との戦争状態を終結し和平に進めば、軍部や朝鮮労働党内の特権的地位を享受してきた党幹部や守旧派国民層に与えて来た対米強硬派のイメージを裏切ることになるのか。これまでの強権的な先軍主義はジェスチャーに過ぎなかったのだろうか。
金正恩委員長は、軍部や党守旧派を抑え、核放棄、和平に舵を切ることが出来るのか。軍や党守旧派の反対や不信感を抑え、方針を転換するためには、体制保証が不可欠であると共に、国民に対し経済発展や生活の改善をもたらすような補償を得なくてはならない。
明らかになったのは、今回トランプ大統領に返書を託されたのが金英哲労働
党副委員長は、朝鮮人民軍偵察総局長(兼副参謀長)で党中央軍事委員会委員あり、軍人出身であると共に国家国務委員であり、また副大統領にも匹敵する金正恩国務委員長の側近中の側近と言えるので、今回の対米接近については軍部の一定の支持があると言えよう。一部報道では、朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が5月に解任され、またNo.2、No.3の李明秀軍総参謀長、朴英植人民武力相も同時に更迭されていたとの報道があり、軍部内での主導権争いがあることが予想される。
他方、北朝鮮が ‘非核化の段階的な実施’を強く主張し、これまでのように各段階で見返りを要求しつつ時間稼ぎをし、核、ミサイル開発能力を実質的に温存し、最終段階で交渉を停止し、国際世論を裏切るというシナリオも十分念頭に置く必要があろう。
3、キープレーヤーである中国、北朝鮮、米国各首脳の姿勢の変化と韓国の仲介的役割 (その3に掲載)
 今回の場合、南北朝鮮の停戦状態から戦争終結、和平を巡るキープレーヤーである中国、北朝鮮、米国首脳の姿勢が従来の首脳と明らかに異なる。
(1)習近平主席の下での中国の対北朝鮮圧力
 (2)米国トランプ大統領の不可測性
 (3)金正恩委員長のリアルな懸念
 (4)韓国文在寅大統領の対北融和政策と仲介
(All Rights Reserved.)
2018年6月2日
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トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!

2018-06-08 | Weblog
トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!
 トランプ米大統領は、3月22日、‘中国が米国の知的財産権を侵害している’として、最大で600億ドル(約6.3兆円)規模の中国製品に対し関税を課すことを目指す大統領覚書に署名した。またこの覚書中で、中国で米国を含め外国企業が合弁事業を行う際、現地企業への技術ライセンス供与が求められていることについて、世界貿易機関(WTO)に提訴するようUSTRに指示した。
 同大統領は、これに先立つ3月8日、鉄鋼、アルミニウム製品の米国への輸入増加が‘国家安全保障上の脅威になる’として輸入制限措置を決定したが、3月23日から鉄鋼に25%、アルミに10%の関税が課されることになった。この関税引き上げ措置は、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉中であるカナダとメキシコを除き全ての国・地域には適用される。トランプ大統領はこの措置を発表するに当たって記者団に対し、日本については首相とも仲が良いが、対日貿易赤字は続いておりやむを得ないとの趣旨を述べている。
 1、中国等の報復措置の連鎖により貿易戦争は勃発するか
 米国の知的財産権侵害に対する対中措置は、通商法301条に基づくものであり、米通商代表部(USTR)が関税対象となる中国製品の品目リストを作成することになるが、ハイテク製品を中心に約1,300品目にも及ぶとも見られている。これにより最大で年間600億ドル(約6.3兆円)相当の中国製品に25%の関税が課されることになり、中国への打撃は大きいが、対象リスト作成後30日の審査期間が設けられ、関係業界等から意見を求められるので、最終的な関税措置の実施にはなお一定の期間が必要となる。
 この措置を前にして、3月17日、中国の貿易救済調査担当局長は談話を発表し、‘米国の調査結果に根拠はない’とすると共に、‘米国の最終決定が中国の利益に影響を与える場合、必要な措置を講じる’旨述べ、対抗措置の可能性を示唆した。中国外交部報道官も3月23日の記者会見において、‘中国側の立場はすでにはっきりと示しており、伝えた情報も非常に明確だ。贈り物をもらって返さないのは失礼であり、中国はこれに対応する。米国側が真剣に中国側の立場に向き合い、合理的で慎重な政策決定をすることを希望する’旨表明している。米国の措置を批判する一方、ある種の余裕を示しているように映る。
 そして中国は、4月2日から、豚肉やワインなど米国産品128品目、総額約30億ドル相当の対米輸入品に最大25%の関税上乗せを実施する旨明らかにした。中国政府はこの措置を‘米国が設定した新関税による損失から中国の利益と取引残高を保護する’ためとする一方、‘貿易戦争’を望むものではないとしている。
 これに対しトランプ大統領は、4月5日、対中輸入品に対し更に1,000億ドル(約10.7兆円)規模の追加関税を検討する旨表明した。中国はこれを‘国際貿易ルール違反’などとして米国の対応を批判した。
これを受けトランプ大統領は声明の中で、‘中国は自らの違法行為を正すことなく、米国の農家や製造業に被害を与えることを選んだ’として中国の報復措置を非難する一方、米国は‘貿易戦争はしてない’としてその正当性を表明し、強硬策を貫く姿勢を示した。
 トランプ大統領は、2017年1月に就任後も大統領選挙期間中の‘アメリカ・ファースト、雇用の回復’の主張を繰り返し、中国等との膨大且つ一方的な貿易赤字を解消するため、‘フェアーな貿易、相互の利益’の実現を事ある毎に訴えて来た。同大統領は就任後早々に、北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱、2国間自由貿易交渉の優先を鮮明にし、カナダ、メキシコ両国との再交渉を進めるなど、首脳レベルやペンス副大統領レベルを含め様々なレベルで水面下の打診、協議が行われていたと見られる。

 2、周到な計算づくのトランプ大統領の対中強硬措置
 今回の通商強硬措置は、大統領就任後1年間で様々なレベルで関係各国と水面下の接触を行うと共に、中国を含め関係各国との首脳レベルでの関係を構築した上で、周到な計算に基づき打ち出された強硬措置と見ることが出来るだろう。
 一部でこれにより関税引き上げ競争による世界経済の縮小や貿易戦争の恐れとの懸念が表明され、このような懸念を背景として米国の株式市場は大幅に下げ、相互に対抗措置が発表されるごとに下落を繰り返している。
 これはこれまでの常識的な反応であり、当面神経質な動きが続くであろう。しかし中国はもとより米国も‘貿易戦争’となることを否定している。トランプ大統領が表明している通り、関税引き上げ競争でより多くの被害を受けるのは中国であろう。中国は13億の国民に十分な食料等を確保しなくてはならないし、それが出来なければ社会的な反発や不安定化を引き起こす可能性がある。またそもそも知的財産については、中国政府の一定の努力にもかかわらず、中国側に多くの問題があることは明らかであり、米国がその改善を求めるのは当然であろうし、日本を含む他の技術先進国にとっても必要なことであろう。
 遅かれ早かれ米・中両国は貿易問題について交渉の席に着くであろう。トランプ大統領は、各国との通商関係において‘フェアーで相互の利益’の確保を主張しているが、これは通商関係だけでなく国家関係一般に通じる原則、基準であり、
 今回の米国の関税措置は2国間の通商交渉を求めるノロシと見るべきであり、相手国を交渉の席につかせる強い意志の表われと見るべきであろう。不動産業で成功したビジネスマン的交渉スタイルと言えようが、安易な妥協を図ることはなく、決裂すれば‘ユーアー ファイアード(お前は首だ)!’とばかりに強硬策をとることを躊躇はしないであろう。
 しかしトランプ大統領も次の諸点は理解すべきであろう。
 1)米国のように成熟した市場経済では、物の貿易に加え、蓄積された膨大な資本を背景としてより多くの利潤が期待出来る海外に投資することが多くなり、貿易収支が赤字でも資本収支が黒字となりこれを補てんするので、貿易収支を切り離して見るのではなく、国際収支全体で考えるべきである。
 2)米国からの海外への資本投資や資本逃避は米国人ビジネスマン自身が行っているので、米国内への再投資を促すことは米国自身の問題である。
 3)米国の中国、アジア等への直接投資は、多くの場合本社機能やハイテク技術を備える生産工程全体で行われる形が多くみられ、いわば根こそぎ投資となり米国内にほとんど何も残らず、米国の企業家自身が雇用機会を奪っていると言える。それらの海外製品が米国にも輸出されると、米国の貿易収支の悪化要因となる一方、米国の投資家に多額の利益がもたらされていることを理解すべきであろう。
トランプ大統領は、米国内での製造活動を増進させたいというのであれば、輸出国を批判するだけではなく、米国自身の問題として企業家の投資態度の改善、転換も図るべきであろう。

 3、トランプ大統領の北朝鮮問題をめぐる中国への隠れたメッセージ
 今回の米国の関税引き上げ措置、特に知的財産権侵害に対する対中経済措置は、第一義的には選挙公約である米国への雇用機会回復を狙ったものであるが、制裁措置というよりは‘公正で相互利益性’を基礎とした通商交渉を促すことが目的と見られる。しかし同時に、それは通商措置にとどまらず、トランプ大統領は北朝鮮問題においても中国の動きに満足しておらず、中国が北朝鮮に対し核兵器とミサイルを放棄するよう経済制裁措置を誠実に実施し、更に圧力を掛けるよう促すと共に、もし北朝鮮が核、ミサイルの放棄に応じない場合には強硬手段も辞さないというメッセージが込められていると思われる。
 関税引き上げという強硬措置は、自由貿易の流れに反し、貿易戦争を引き起こし、世界貿易を縮小させる恐れがあり、従来の概念では批判の多い政策であることはトランプ大統領も承知の上で敢えて打ち出したものであろう。それは長期に亘る膨大な貿易不均衡問題、特に対中貿易不均衡問題はこれ以上容認できず、批判があっても敢えてそれを解決するという強い意志を示したものであろう。
 環太平洋経済連携協定(TPP)は、米国抜きの11カ国で発足する運びとなったが(3月8日11カ国署名)、トランプ大統領は、4月12日、通商代表部(USTR)に対し復帰のための条件を検討するよう指示しており、強硬措置一辺倒ではなく、交渉による現実的な解決にも取り組む意向を示している。北米自由貿易協定(NAFTA)については既にカナダ、メキシコと再交渉を開始している。
 同大統領は、4月13日付の自らのツイッターで、“(米国は)オバマ大統領に提示された取引より実質的に良い取引でのみ参加する。米国はTPP加盟の6カ国と既に折衝している。その中で最も大きい日本は、長年にわたり米国をたたいているが、取引をすべく作業している。”と述べている。過去1年間、関係国と水面下で周到な準備、協議を行っていることを物語っている。

4、ホワイトハウス、主要閣僚ポストをトランプ好みに固めた大統領
 トランプ大統領は、2017年1月20日の就任式以来、大統領補佐官を含む主要な補佐官、長官の辞任、解任が頻繁に行っており、2018年に入っても3月にゲーリー・コーン大統領補佐官兼国家経済会議議長(後任は保守派経済評論家ラリー・クドロー氏)、続いてレックス・ティラーソンが国務長官が解任(後任にマイク・ポンペオCIA長官)、4月にマクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)(後任はジョン・ボルトン元国連大使)が交代している。この時期に関税引き上げ措置など貿易強硬策がとられ、また北朝鮮の金正恩書記長との5月までの首脳会談などが打ち出されたことから、これらの対外経済、安全保障・外交問題での意見の対立が原因であったと見られる。
 その他、2017年中に次のように主要な補佐官がホワイト・ハウスを去っており、トランプ政権の不安定性を懸念する向きが多い。
・マイケル・フリン大統領補佐官 辞任(ロシア疑惑で)(2017年2月) 
⇒後任マクマスター元陸軍中将(上記の通り2018年4月に辞任)
=>後任ジョン・ボルトン元国連大使
・スパイサー大統領報道官(兼広報部長代行)辞任(2017年7月)
・プリーバス首席補佐官 辞任(政権の内部情報をリークか)(同月)
⇒後任ケリー国土安全保障長官
・アンソニー・スカラムチ広報部長 辞任 (同月)
⇒後任サラ・ハッカビー・サンダース
・スティーブン・バノン首席戦略官兼上級顧問 辞任 (2017年8月)
(大統領選挙期間中からトランプの有力な側)
 しかしトランプ大統領の政権運営にとっては、そのような一般的な懸念、批判に反し、政権運営の安定性、迅速性が増したとする見方も出来る。確かに政権発足1年強で主要な補佐官、長官等が政権を去ることは好ましいことではないが、トランプ大統領が政治の経験のない財界出身である上、大統領選挙(2016年11月)の3か月前の共和党大会まで共和党候補が決まらず、政権を担う人材を固める時間的余裕がなかったこと、更に同大統領は‘既成の政治’の打破を政治信条に据えていることからも人材確保に従来の政権以上に時間を要することなどを勘案すると、主要ポストを固めるのに1年強を要したことはやむを得なかったとも言える。いずれにしてもトランプ大統領自身の感覚からすると、同大統領と政策を共有し、一緒に仕事が出来る人材を確保するためであるので、不安定性などは感じておらず、安定性は増し、より迅速に決断出来ると認識しているであろう。それは同時に性急な結論を出す可能性を秘めており、同大統領が米国内の異なる意見にも耳を傾ける共に、主要国とも十分協議しつつ事を進めることが望まれる。日本としても、トランプ政権の政策を、自ら情勢分析の上慎重に見極め、判断することが必要なのであろう。(2018.4.16.)(Copy Rights Reserved.)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4) ―ブッダのルーツの真実―   

2018-06-08 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在(その3で掲載)
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題  (その3で掲載)
 3、生きることに立脚した悟り                        (その3で掲載)
 4、不殺生、非暴力の思想 (その3で掲載)

 5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ 
アジア、ヨーロッパの思想を大陸横断的に見てみると、ブッダ思想の誕生(紀元前623年頃~紀元前5世紀)からほぼ半世紀後に中国に孔子思想(紀元前551年から紀元前479年)、そして約1世紀後にギリシャにソクラテス、プラトン思想(紀元前469年頃から紀元前399年)が誕生し、それぞれ中国やヨーロッパの思想、哲学の基礎を築いた。
紀元前2000年から紀元前1000年頃のアーリアンの人口移動を見ると、ブッダ思想にもアーリアンの思想、文化の影響。今度はブッダ思想、文化が中国やギリシャなどに運ばれ、相互に影響か。民主主義の原点となる人類平等思想や弱者救済、福祉、そして殺人や暴力への戒めの思想など、ブッダ思想に既にその萌芽。
飛鳥時代に日本に伝来したブッダの思想、文化は、ヨーロッパからアジアへのダイナミックな人口移動の流れと徐々に進展する民族融合の過程で誕生し、そして中国やヨーロッパの思想、文化と相互に影響。日本の思想、文化は、本来極東に限定された局地的なものではなく、ヨーロッパとアジアに広がるダイナミックな思想、文化の流れと繋がっていることを理解することが必要。
(All Rigths Resarved.)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3) ―ブッダのルーツの真実―   

2018-06-08 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
 ブッダは、シャキア族の王子シッダールタとして支配階級であるクシャトリア。
 城外で「病、老、死」で苦しむ人々を見て、救いの手を求めて悟りの道へ。
 一つは、人類平等の思想に立脚。
 もう一つは、「病、老、死」は現代の課題でも。課題に普遍性。
 3、生きることに立脚した悟り
 極端な抑制と苦行は、欲望自体を消滅させず、「解脱」に導くものでもないことを悟る。そして生命の摂理に従って自然に生きることの中に真理を見出し、生きることに立脚して悟り。「中庸の道」、「中道の法」と言われる教え。80歳に至るまで、生きる教えを説く。
 4、不殺生、非暴力の思想
 ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王がシャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路上の枯れ木の下に座り、何度もヴイルダカ王に深い憂慮を伝えた。王は兵を引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、進軍を許す結果に。しかしブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。(非暴力を自ら実践)
 他方ヴイルダカ王には苦痛に満ちた末路が。(殺生への戒め)
 後世においては、アショカ王(在位紀元前269年より232年頃、ブッダの活動拠点だったマガダ国のマウリア王朝時代)は、「カリンガの闘い」での大量の殺戮。報いを恐れ不戦と不殺生を誓い、ブッダ教を深く崇拝。(ブッダ教の普及)
 また、インドが第一次世界大戦後英国からの独立運動(インド国民会議)を起こした際、マハトマ・ガンジーが非暴力の不服従運動。(不殺生、非暴力の実践)
 翻って見ると、ブッダの時代は、インド亜大陸においてア―リアン・グループの流入と先住グループとの戦いを繰り返しながら16大国が群雄割拠していた時代であり、相対的な安定期にあったと見られるが、未だ部族間の抗争が続いており、殺傷行為はいわば日常的であった時代に、‘不殺生、非暴力の教え’を説いたものであるので、当時としては非常に先駆的な思想であった。しかし、その思想は時を経るに従い、次第に組織化する社会において秩序維持等の観点から、掟や戒めとなり、そして今日の法律、規則に発展し、現在では世界のほとんどの国、地域において適用されている思想となっている。
 国家関係においては、現実論からすると、こうした徹底した非暴力主義は、今日の世界においては疑問が。戦争や武力紛争の無い世界は理想でしかなく、非現実的。
 しかし武力紛争の無い世界が「理想」であれば、理想に向かって努力することが人類の知恵ではないか。もとより、備えは行った上でのこと。
 人類の歴史を作ってきたのも、どの分野でも理想に基づくもの。

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その2) ―ブッダのルーツの真実―   

2018-06-08 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その2)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア(その2に掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録 (その2に掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 (その3に掲載)
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
3、生きることに立脚した悟り
4、不殺生、非暴力の思想

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)
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TPP(環太平洋パートナーシップ協定)11カ国による(2018年3月)を歓迎する!!

2018-06-08 | Weblog
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)11カ国による(2018年3月)を歓迎する!!
 日本や豪州、メキシコ他太平洋を囲む12か国で構成する環太平洋パートナーシップ協定(TPP)は、2016年2月、米国を含む12か国で署名され、日本は同年12月に異例の速さで国会承認された。同時に、牛肉や豚肉の生産者が全体で赤字経営になった場合の赤字額を補てんする制度の拡充、一定の輸入量を超えた場合の関税を引き上げ(セーフガード)などについての関連法の改正が行われた。そしてその後の11カ国での協議を経て、2018年3月11日署名された。
TPP署名12か国の世界に占める割合は、人口約11%(約8億人)で、国内総生産(GDP)が約36%、貿易が約26%であり、協定が発効すれば、世界最大規模の自由貿易圏が実現することになる上、太平洋を囲むこの地域は政治的にも比較的安定しており、世界の成長センターとして期待されている。
 しかし米国のトランプ大統領は、就任早々の2017年1月23日、米国における雇用機会を奪うなどの理由から、‘TPP協定から永久に離脱する’旨の大統領令に署名をした。またトランプ政権は北米自由貿易協定(NAFTA)についても再交渉を指示し、カナダ、メキシコとの協議を重ねてきたが、同年10月の協議でも、米国が自国製品の優遇を強く主張し、カナダ、メキシコが反発したため妥結に至っていない。
 このような中でTPP11カ国は、米国抜きでの協定発効を協議して来たところ、11月9日、ベトナムで開催された経済貿易閣僚会議において、離脱を表明している米国に関連する条項を凍結(関連条項の実施先送り)する形で11カ国による新協定「TPP11」に大筋合意し、11月10日、APEC首脳会議に際し首脳により確認される。
 11カ国による新協定「TPP11」の大筋合意を歓迎すると共に、早期の発効を期待する。
 「TPP11」は米国抜きとはなるが、世界に占める割合は、人口約7%(約5億人)で、国内総生産(GDP)が約%14、貿易が約15%であり、協定が発効すれば欧州連合(EU)に匹敵する自由貿易圏が実現する。
将来米国が何らかの形で参加することが期待されるところであるが、いずれにしても開かれた自由貿易圏を目指すべきであり、環太平洋諸国の新規加入も期待される。
なお中国については、‘中国の特色ある社会主義’を目指すことが本年10月の全人代でも再確認され、基本的には為替管理を含め、国家管理経済、統制経済体制であり、私有財産制に基づく‘自由経済’、‘自由市場’とは体制が異なる。従って中国の国内経済体制が為替管理を含めて自由経済市場に移行するまで参加は困難であろう。世界貿易機構(WTO)が、 社会主義経済である中国の参加をそのまま認めたことは時期尚早であり、これによりWTOの下での世界規模の自由化の流れが停滞したことに留意すべきであろう。(2018.4.17.更新)(All Rights Reserved.)
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日-EU経済連携協定の大枠合意を歓迎!

2018-06-08 | Weblog
日-EU経済連携協定の大枠合意を歓迎!
 7月6日、日本はEU(欧州連合)と経済連携協定(EPA)に大枠で合意した。
 日-EU経済連携協定は、物品の輸出入だけではなく、サービスや人的交流、政府調達、及ぶ投資分野に亘り活動をより自由にし、相互の市場の連携をより緊密にすることを目的とする。
EUは、東欧を含む28か国で構成され、英国は脱退予定だが、人口約5億人、経済総生産(GDP)は現世界の約22%で、この連携協定により日本とEUは、総人口6億3千万人、GDP約28%を超える豊かな市場を構成することになる。日本との貿易総額は約11%程度しかないが、封建制度を経験した長い歴史と伝統を重んじ、街角に商店街が存在するなど、文化形態は異なるが、古い伝統に裏打ちされた文化や技術を尊重する意識において共通点は多いので、広い分野での経済交流が進展すれば、市場間の距離は縮まるものと期待される。
 農業・酪農や自動車など一部工業製品で競合する分野があるので、今後調整をようするが、生産者の立場から若干の調整を要するものの、双方の消費者にとっては質や価格の面で選択の幅が広がることになるので、速やかな協定の合意、締結が望まれる。(2017.8.20.)
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日・ロ共同経済活動の早期実施を期待する

2018-06-08 | Weblog
日・ロ共同経済活動の早期実施を期待する
2016年12月15、16日、プーチン・ロシア大統領が訪日し、山口県と東京で安倍首相との一連の首脳協議が行われた後、首相官邸で共同記者会見が行われ、今次協議の結果などが報告された。
1、平和条約締結に向けて出発点となる北方4島での日・ロ共同経済活動
両国首脳は、2016年12月16日、共同記者会見に際し声明を発出し、「択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島における日本とロシアによる共同経済活動に関する協議を開始する」ことに合意し、この協議が、「平和条約の締結に向けた重要な一歩になり得ること」を相互に確認したことを明らかにした。
2016年12月のプーチン大統領の訪日に際しては、この他、日本の旧島民の
墓参等に際する4島訪問手続きの簡素化、及び8項目の協力プランに沿って、医療・保健、エネルギー、産業多様化、極東開発、先端技術協力等の分野で合計12の文書に署名し、またウラジオストック等での都市づくり、生産管理に関する訪日研修、極東での温室野菜栽培事業、農産物乾燥保存技術等など、企業等が行うプロジェクトに関して68件の文書に署名された。これらはいわば‘日・ロ間の平和条約締結に向けての環境作り’、或いは平和条約の果実の前倒しとも言える措置であるが、今次会談の最大の進展は、‘特別な制度の下での北方四島での日・ロ共同経済活動’について合意したことであろう。
2、日・ロ共同経済活動の早期実施が不可欠
‘北方四島での日・ロ共同経済活動’は、平和条約に関する両国の立場を害さず、「特別な制度」の下で実施されることになっている。即ち両国の北方4島の領土権に関する立場を害することのない「特別な制度」の下で実施されることになるが、領土権がぶつかり合うことのない「国際的な特区」或いは自由貿易地域的な取り決めが必要となると見られる。この点で日・ロ政府当局間が双方の立場に固執すれば長期に亘る協議となる恐れがあり、更に平和条約締結が遠のく恐れがあるが、首脳間で十分協議の上で合意したことであるので、一両年中にも「特別な制度」での取り決めに合意し、実施に移すことが不可欠である。
3、日本の旧島民地権者の地権回復が緊要
日・ロ共同経済活動は、‘漁業,海面養殖,観光,医療, 環境その他の分野’
を含む分野で進められることになるが、具体的な活動に当たって施設や道路等のインフラ整備が行われることになろう。そのため4島の各所で土地が収容、利用されることになると予想されるので、旧島民及びその後継者の地権が侵害される恐れがある。
従って、日・ロ共同経済活動の実施に当たっては、旧島民の地権をまず保護する必要があろう。
今次会談で、日本の旧島民の墓参等に際し4島訪問手続きの簡素化が行われることは歓迎されるとことであるが、日・ロ共同経済活動が実施されるに際し、日本の旧島民の地権(4島における土地登記者及びその相続者等)を回復、或いは代替物件の提供が不可欠であろう。旧島民は1万7千人ほどであったが、ソ連の軍事支配の下で強制的に退去させられたものである。これらの島民はほとんどが軍人ではなく、首都東京から1,000キロ以上も離れ、戦争や戦闘には関与していない一般市民(シビリアン)であったので、シビリアンが所有、相続している土地、不動産は一定の保護、補償がなされるべきであろう。
 国家の領土権は、国家と国家の間の問題であり、シビリアンである個人の地権、所有権とは異なり、個人の土地、財産所有権の問題であるので、責任ある国家としてはそれを尊重する義務がある。国家間の戦争において、戦闘に関与していない一般市民の生まれ、育った故郷に平穏に住む権利を奪うことは、今日の国際通念において人道上も、人権の上でも容認されて良いものではない。プーチン大統領は、現在北方4島に住んでいるロシア人の生活があることを強調している。しかしソ連が占領する以前からこれら4島に住んでいた日本人の旧島民が1万7千名ほどおり、日・ロ共同経済活動と並行して、或いはその一環として、それら島民が故郷に住む権利を回復すべきであろう。プーチン大統領も、ロシア人の生活だけでなく、日本の旧島民の気持ちは十分に分かるであろう。
 日・ロ間には‘平和条約’こそないが、戦闘は終結し、1956年には外交関係が再開し、事実上の平和は維持されており、その中で北方4島において共同経済活動を実施しようとしている。事実上の平和が維持されている今日、4島に住んでいた日本の旧島民及びその家族が故郷に住む権利、そして地権の回復か代替地の提供が早期に行われることが強く期待される。(2017.1.5.)
(Copy Rights Reserved.)
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歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ が国際出版

2018-06-08 | Weblog
歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ が国際出版
歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’(著者小嶋光昭)が国際出版され(Nirala Publications, New Delhi, India)、Amazon India(タイトル又は著者名で検索)又は Manohar (Lord Buddha’s Roots又は著者名で検索)でも購入出来ます。
タイトルは“ミステリー”となっていますが、これまで明らかにされていなかった驚くべき真実が示されています。シャキア(釈迦)王国の存亡の真実。修行後ブッダとなったシッダールタ王子が29歳まで過ごしたカピラヴァスツ城の場所の真実。そしてそのような真実に新たな光を当てることにより、劇的に変化するブッダ時代の歴史的、社会的な背景の真実。そしてブッダの基本となる思想や哲学。これまで多くの点で闇とされ、或いは解明が阻まれて来た真実が明らかにされています。
本著は、ブッダのルーツ、そしてシャキア部族王国の社会的、文化的背景等につき、驚くような歴史的な解明を行っています。2500年以上前にネパールのルンビニで生まれ、カピラヴァスツ城で過ごしていたシッダールタ王子は、城を出て修行し、偉大なる思想家、賢者であるブッダとなる道を歩んだ。しかし、カピラヴァスツ城の具体的な場所や恵まれた立場にあったシッダールタ王子が何故城を後にしたのか、そしてシャキア部族王国が何故ジャングルの中に消えることになったのか。謎は未だ解明されていない。それどころか、カピラヴァスツ城と言われる遺跡は、今日でもネパールのテイラウラコット村とインド側のピプラワ・ガンワリアの2か所にあり、イギリスの著名な百科事典でも明確な説明がされていない。本著はその真実を解明しており、歴史的な意義があります。
その上、そのような真実の解明の過程から、ブッダ時代の社会的、文化的背景がより明らかになります。そして、そのような社会的、文化的時代性を背景にして、人類平等思想、生命の摂理に基づいて自然に生活すること(中庸の法、中庸の道)の重要性、病・老・死に直面した社会福利思想、そして不殺生・非暴力思想などのブッダ思想が生まれたことが鮮明に示されています。そのような根本思想は、ユーラシア大陸の東西に伝波し、その後生成して行く東西の思想、哲学や宗教の発展に影響を与えています。
そして、そのようなブッダの中核的な思想は、今日の世界にも重要な指針を提供していると言えるのではないでしょうか。
日本には、仏教は飛鳥時代に(仏教公伝西暦552年)中国、朝鮮を介して漢語訳されたと経論等と共に伝えられ、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、朝廷に受け入れられることになった。
そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として確立され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。
仏教は、日本固有の仏教制度として定着しているが、ブッダ教は、アーリアン(インド・ヨーロッパ語族)の長期にわたるインド亜半島への移動という大きな社会変動の中で生まれた思想である。ブッダの基本思想は、その後ユーラシア大陸の東西に伝播し諸思想、哲学に影響を与えた普遍性のある国際的な思想であることを改めて理解する必要があろう。本著はそのようなブッダ思想誕生の真実と歴史的、社会的な背景を提供している。

*出版社: Nirala Publications, New Delhi, India.


*インターネット・ブックショップ:Bagchee Books, Amazon India、及びManohar他
・日本語版「お釈迦さまのルーツの謎」(初版、東京図書出版)は、アマゾン他、インターネット・ブックショップで購入出来ます。
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