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シャーマンの呼吸

自然と人を繋ぐ

シャーマンの弟子

この存在が、祈り。

2024-01-13 00:00:00 | 仮説・プロセス
深夜に目が覚めた時のことだ。
 
普段なら、考え事をグルグルしだすところ。
 
「呼吸の祈りをして、寝よう。」
 
闇は、まだ深い。
 
 
祈りを呼吸でする。
 
……けれども、なかなか寝付けず、浅い覚醒状態が続いた。
 
 
そんな時だ。
 
 
おもむろに。
 
じんわりと、意識が移り変わる。
 
祈りの領域が、〈呼吸〉から〈存在〉に、移りゆく。
 
花がらが落ちて、小さな実が顔を出すように、ささやかな新世界。
 
 
 
 
 
もはや、祈りは、呼吸ではなかった。
 
 
祈りは、この存在。
 
 
存在が、祈りなのだ。
 
 
 
―――
 
 
 
以前、「ここに居るだけでいい」ということを理解しようと、励んでいた。
 
 
たとえば
「愛されるための何かをしなくても、すでに愛されている」
「一生懸命にしていなくても、ここに居ていい」
「ただ居ることが、何にも代えがたく尊い」
 
こういう、自分の〈大切さ〉を、理解したかった。
 
けれども、根底には「何かをしていなければ、何かができなければ、わたしには居場所も価値もない」という呪いがあった。
 
だから、矛盾や葛藤で雁字搦めになってしまった。
 
ときには、反動のように、傲慢になり、ワガママになった。
 
 
こんなわたしにとって、自分の〈大切さ〉みたいなものは、雲のようで。
そこにあるはずなのに、つかみどころがないのだった。
 
 
ーー
 
 
先述した、深夜の祈り。
そこで感じたものは、まさに「ここに居るだけでいい」という感覚だ。
 
けれども、言葉にしようとすると、どうにも「雲のようなもの」なのだった。
文章にできる自信が、まるでなく。
 
 
『頭で理解する』こととは、まったく別次元の感覚で。
 
矛盾や葛藤、埋まらない溝、ズレなど、微塵もない。
 
けれども、『言葉』もない。
 
 
 
わたしは、ここに居る。
 
ただ『事実』だけが、身体にある。
 
 
……存在は、祈りなのだ。
 
 
 
---
 
 
 
追記
 
あの感覚を忘れたくなくて、言葉にしたのだが。
感覚が、思考になり、思い込みへと変化した。
 
そうすると、『この存在が祈りである』という思い込みにより、動作や行為としての祈りが疎かになる。
 
「だって、この存在が祈りだもん」
 
どこか開き直ったような感覚へと、変化してしまう。
 
ゆえに、いまいちど、丁寧な所作を取り戻すことが必要になった。
 
感覚を言葉にするというのは、思うより難しいのだなぁ。
 

流れ

2024-01-07 00:00:00 | 仮説・プロセス
 
「流れを身体に通す感覚」を知ることで、「流れが身体を通らない(詰まる)感覚」を自覚することができるようになる。
 
流れとは、いわゆる《トーラス構造》と呼ばれるものだと感じる。
それを「フリーエネルギー」と呼んだ記憶がある。
 
ただし、身体を置き去りにしては、風船さながら飛ばされまくってしまう。
 
そう、グラウンディングが不可欠なのである。
 
それでこそ、「流れを身体に通す感覚」なのだ。
 
 
 
 
その《流れの範囲》もまた、興味深いと感じている。
 
たとえば、自分の半径1メートルの流れの感覚。
もしくは、目に見える半径100メートルの感覚。
あるいは、地球や、銀河や、なにか別次元の世界まで到達しているような感覚。
 
流れの範囲。
 
それは、「大きな流れ」という言葉に近づくことができる、距離感の体感。
「大きな流れに身を置く」とか「流れとリズムにはノッた方が楽」とか、日々感じる漠然としたビジョンを、より身近に感じられる、体感の言語化。
 
 
地球の流れが、この身体に、通る。
グラウンディング感覚の持続によって、「流れが通る」から「流れが通っている」という状態へ……。
誘(いざな)われてゆく……。
 

バイブレーションと軸

2024-01-03 00:00:00 | 仮説・プロセス
 
『軸の保ち方』のひとつ
 
表層のバイブレーション(揺らぎ・変化・共振)
 
深層のバイブレーション(愛)
 
 
 
 
例えば、自分の内面の振動を保ちながら、相手の振動に共鳴すること。
 
例えば、丹田に愛のバイブレーションを持ちながら、悲しみや怒りを唄うこと。

『無意識の領域』とバイブレーション

2024-01-02 00:00:00 | 仮説・プロセス
『無意識の領域』へアクセス
 
手がかりのひとつは『振動』
 
 
すべてのものは振動している。
 
個が無くなる瞬間……それは、わたしではない何かと同調する瞬間とも言える。
わたしの振動が、何か別の存在(振動)そのものとなるとき、わたしはいなくなる。
そうして、おそらく、さまざまな状態の『無意識の領域』を体験することができる。
 
 
 
【例えば、リラックスタイムのバイブレーションの在り方】
 
下記、個人的な観察記録
 
どうも神経が昂ったまま筋緊張が続いて、睡眠の質がよろしくない
筋緊張と神経興奮って、どっちが先なんだろう(卵が先か鶏が先か的なね
 
ともかく、入眠がうまくいかない日が続いている
だから、夜のバイブレーションと同調するチャレンジをしてみた
 
夜を感覚するのみでなく、わたしのバイブレーションとの一体化を試みる
わたしはわたしではなくなり、夜そのものになるのだ
 
1日目
バイブレーションの同化という言葉ではイメージがつかめず、「夜空と同期する」という言葉に変えた
さらに「無線LANじゃ無理だから有線LANにしよう」という感じにした
 
でも、なかなか葛藤があった
「夜と同期した方がいいに決まってる」という身体の主張と、「推しの幸せを妄想したい」という欲望の葛藤である(笑)
 
結局、30分くらい時間はかかったが、幸いなことに「夜そのもの」を感じられた瞬間があった
その時、呼吸が明確に変わるのがわかった
副交感神経への移行だ
そうそう、コレコレ
 
推しの幸せを妄想するのもいいけど、昼間にやろうね
寝るときは、やっぱ副交感神経じゃなきゃね
 
2日目
サボり(推しの勝ち)
 
3日目
夕方に庭仕事をしていたので、土に同期してみることにした
夜空よりも太いバイブレーションを感じた
夢に出てきた般若心経のバイブレーションに近かった
 
夢で見た般若心経というのは→(お坊さんには見えない、お坊さんらしき男性が、般若心経を唱えはじめる。その声の振動は、空気を震わせ、この身体をも、じかに震わせた。般若心経のバイブレーション、声のバイブレーションが、身体を振動させる。身体が、バイブレーションそのものと一体化してゆく。まるで、皮膚の細胞がほどけて散ってゆくような、拡散のような感覚でもあった。それでいて、ぐーっと地に沈んでゆく感覚。)
 
4日目
夜空との同期
疲れていたので、すぐ寝た
 
5日目
適当すぎた
チョットできたつもりになると、すぐやったつもりになる
慣れてくると雑になる
 
6日目
やはり土のバイブレーションの方がよさそうだ
有線で同期しなくても、深く大きくキャッチしやすい振動を感じられる
ただ、「同じ振動を共有する」感覚のみで、「土そのものになる」感覚は無い
ここから微細に同化していけたらいいと思う
 
 
 
 
以上ーーー
 
 
より丁寧に、自然のバイブレーションとチューニングしていこうぜ、オレの身体
 
空・草木・花……、土・水・風・炎……
チューニング対象が多様かつ明確になったので、嬉しいチャレンジである