816 朝 相場を追加
原油相場が大きく下げる場合は 世界景気全体に悪くなる傾向であり、
8/2に40$を割ってきた油は 今朝方16日までに 45$に戻してきた
4/1に40$だった原油が6/8までに50$を超えてきて その後 40$を割れて
その後 ここ暫くは戻してきている
銅の関連では 南米 チリで震源の深さが8kmの地震が発生した模様
銅鉱山への影響は報道されていない
上海銅先物相場は37260元 変わらず、海外銅相場は4770$
盆前とは 大きくは動いていないhttp://tohnai.com/top_main.html
お盆中の 日本の歴史ブログトーナイ
ヤマトの豪族達は北陸の福井県から継体天皇を向えいれた 西暦では500年過ぎ、この時代でも
皇位は何よりも血の連続性というか血統が重要であると考えた 継体は第二十六代天皇。
継体天皇は 第15代の応神天皇の5世の子孫とされる
継体は西暦531年に 皇子の安閑天皇に譲位し その即位と同時に崩御された とされている
即位の日に亡くなったというのは 親子同時にということかも知れない
(これは 皇位継承で何か 武力抗争が起った可能性もあるだろう 親子同時に死ぬという事は 抗争が あったかも知れん)
とにかく 皇子に譲位をされた 最初の天皇です
今 報道で でている生前譲位のこと
この26代天皇は 天皇とは呼ばず、 どうも ヲホド王と 呼ばれたようです(ワシの今 住んでいるのが高槻市 三島なので 資料が この高槻市には 豊富なので)
この時代 継体天皇は 日本海 琵琶湖 宇治川 淀川 瀬戸内の水上交通を制していたと思われる
(ちなみに 淀川は昔 山背川と呼んだ 山背には秦氏系が多く住んでいたことは 三島鴨神社の由緒でも詳しく出ていて その前の時代では 茨田の堤≪淀川の堤防≫など 唐の人が作ったとある これは仁徳の時代
琵琶湖のほとりも和邇氏など渡来系も住み着いた 継体の前の時代より 昔に多くの秦氏が開墾した 秦氏の開墾した淀川の付近に 長岡京や平安京を持ってきた・・と思う)
歴史研究家の中には この継体は新王朝の始祖ではなかったか と想像する人もいる
仮に 継体を初代とした場合であっても 現在の ご皇室は 1500年の歴史がある と いうことで
世界一 いにしえ から 続くこと には なる
それと これでは男子一系統とはならないが、
継体天皇は 先代の天皇の妹を嫁にし、手白香皇女を皇后にして 女系ということでは つなぐ
というか 血の継承は行えている
15代から 29代までの 天皇家の系図をみれば そうなっています
継承した 天皇 継体天皇(大阪府高槻市三島に御陵がある 馬具は少し 出土している 鉄剣などは凄い物)
この後の時代からか くらいか 蘇我氏が自分の娘を入れ天皇家の縁戚に入り始める
西暦769年
和気清麻呂の物語によれば、(清麻呂は実在の人間)
大分県の宇佐神宮より 皇位を道鏡に譲れという神託がくだったが
岡山県の英雄 和気清麻呂が 勅使として 宇佐神宮に参向して 以前出された神託を否定し
民間人が 即位することを止めた
皇位継承の男系子孫の原則を破棄しようとした 道鏡の野望を打ち砕いた
明治維新政府は この忠君愛国思想の 和気清麻呂を利用したような所も感じられる
(明治維新政府は 和気氏↑の忠君愛国を旨く 利用した とも 言えるのではないか 東内誠)
明治23年1890年 宮中において 明治天皇が内閣総理大臣と文部大臣に対し 教育勅語を与えた(みことのり)
『教育勅語』
皇祖皇宗、つまり皇室の祖先が、日本の国家と日本国民の道徳を確立したと語り起こし、忠孝な民が団結してその道徳を実行してきたことが
「国体の精華」であり、教育の起源なのであると規定する。
続いて、父母への孝行や夫婦の調和、兄弟愛などの友愛、学問の大切さ、遵法精神、一朝事ある時には進んで国と天皇家を守るべきことなど、
守るべき12の徳目(道徳)が列挙され、これを行うのが天皇の忠臣であり、国民の先祖の伝統であると述べる。
これらの徳目を歴代天皇の遺した教えと位置づけ、国民とともに天皇自らこれを銘記して、ともに守りたいと誓って締めくくる。教育勅語は以上
渡来人 秦氏(はたうじ)トーナイ 東内誠
時の権力者のいう事は聞かなかった(和気清麻呂)を道鏡は(考謙天皇 女帝の彼氏)
大隅国(現代では 九州南部)に 島流しにした
その道の途中
道鏡の手先に暗殺されそうになった その時、約300頭の猪が突然現われて、
清麻呂の御輿の前後を護衛しながら宇佐八幡までの道を無事に案内した。
(多分 300頭の猪は 九州の秦氏だと思うョ 猪の毛皮を羽織っていたのだろう)
清麻呂を護衛する 猪300頭の軍団(実は 九州の同族の秦氏だろう)護王神社から拝借
和気氏は本姓を磐梨別公(いわなしわけのきみ)と言い 鉱産氏族の伝承を持っている。
磐梨の磐は、古代人が鉄は磐のように堅いと考え、鉄の代名詞になったという記載がある
石を別ける 仕分けし 熱し 鉄を造る・・・古代のモノ
(現在の 岡山県東部から 播磨風土記では赤穂から佐用 姫路付近 出自のモノ)
(この辺りにも渡来人の秦氏系が多く住む)