今日は午後2時より、会社OB会員が所属している原爆の会による市民への広島原爆体験講演を聴講に行きましたわ~
定員は30名で私はキャンセル待ちだったのですが、特別に入場の低続きをしていただきました。申し訳ございません。
会場は30名以上ですかね。満員御礼状態でした。
何と小学生らしき2名も来場しており熱心にメモをとっていました。
「原爆被害を後世に語り続ける」ということで、OBの話が始まりました。彼は6歳の頃、父親が出征となったために広島の親戚で暮らしていたという。
8月6日、午前8時15分原爆が広島市中央部に投下された。
その後、熱風が吹き家は風圧で破壊されたそうです。そして、被爆した市民は焼ただれてしまって自ら川に飛び込ん亡くなった人も少なくないとの話。ここまで聞くと耳を覆いたくなるような状況でした。
彼は防空壕でひどい被害はなかったそうです。大きな被害は無くても被爆者の一人。
その後、山口の実家へ戻り生活をして終戦後大阪のお父さんの実家へ移住されたそうです。
その後、被爆者手帳の話になって母親の遺志により原爆手帳を持つことはなかったという。その理由はあの日の午前8時過ぎに、友人宅から野菜が持参される話になっていたそうです。友人の息子さんが午前8時過ぎに自転車で彼の家に向かう途中に原爆にあい、以後遺体が見つかることが無かったそうです。
その件でお母さんは責任を感じて以来、ずっと何十年も被爆者手帳を家族全員が持つことも無かったという。
お母さんが亡くなり、兄弟で話し合った結果「広島原爆を語り続けよう」ということで被爆者手帳のこの原爆を語り続ける彼の心に私は強く打たれました。そうだったのか・・・って。
約40分の語りを聞いてやっと原爆の詳細をしることができました。
被爆者は年々減少しており、この体験を語れる人が少なくなっているそうです。
会場でその語りを聞いていた小学生から質問があったりと。若い世代はどのように思ったのかな
午後4時30分、今日のこの広島原爆の話を聞いて現在の自分の幸せが身に染みて感じました。
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