時の喫茶店

趣味は歴史そして哲学 自然の中に溶け込んでいく心を追い求めたい

2014-11-05 20:21:06 | 日記
竹              伊藤桂一

ひといろの紺青(こんじょう)を信じ
いっしんに生きている
自ら風雨の齢を想うことなく
しきりに爽麗の髪を搔きあげている   

竹はそのしなやかな姿から美しい女性を想像させる。

仙台にいたとき、小さな竹の群れがあって、
晴れた日に風がふくと、根雪がさあっと吹き飛んでまぶしい

いつの日にかこんな女性とめぐりあう日もあるのだろか、と思うと
もう何年もたったことだろう。

竹はまっすぐに生きている。
ほかの木のように枝を横にだすこともない、
悲しいくらい一心に生きている。
そして、風が吹くとその壮麗の髪をかきあげている。

今から冬になって
またひとりの草庵を結ぼうか

風景を撮ってフォトギャラリーにのせようか。







柿庵

2014-11-05 18:12:04 | 日記
子規に静まっていると、柿の美しさにひかれてくる。

柿の花土塀の上にこぼれけり  子規

自分の庵を小さくてもいいから構えたくなる。

正確にはひとりなのでその広さで庵をかまえたくなる。

美しい人をたとえれば柿のこぼれる土塀のようなそんな奈良の風景のような静かなひたむきさがある。

自分はなんか軽くみえるけれども真剣なのです。

うつむいてなにを思案の百合の花  子規

そう、あの人はうつむいているけれども何を思案しているのかな

自分はひとりで思案していることってあるのだろうか。

思案と言うよりはぼんやりしているだけなのではないだろうか。

秋にはいって庵を結びたくなった。

いぜんから考えていることだが、自分には京都の雅にはどこか違和感がある。

以前は京都に行きまくっていたが、どこか派手だ。

奈良や飛鳥盆地は地形が平坦で歩いているとおもしろくない気がするのだが。

どっかこっちが自分には似合う。

飛鳥時代から奈良時代までの日本の文化はどこか垂直指向だ。

たくさんの塔ができたり、奈良の大仏殿もとても高い。

これはおそらく奈良時代までの文化が中国や朝鮮から渡来してきた人たちによって創られたためであろう。

しかるに平安時代は、平等院などのように低く横にひろがっている。

この辺から渡来文化は日本の土着文化と融合しはじめた。正確にはどっか日本の田舎とむすびつきはじめた。

奈良時代までは、律令を文言通り適用しようとしてきたが、平安時代には格式という日本ならではのものができた。

そういう意味で最も都会的なものは奈良文化であり、今の東京のタワーやヒルズなどはこれは香港と上海とか台北とかの高層建築のまねにすぎない。
だから日本の奈良文化は美しいのである。

そういう意味で美しい人なのだ。

たくさん冷凍食品を買ってきた。野菜も鯛焼きも買ってきた。
秋で冷えてきたので庵を結んでこもろう。