時の喫茶店

趣味は歴史そして哲学 自然の中に溶け込んでいく心を追い求めたい

花屋さんのこと

2014-11-26 20:31:49 | 日記


いままでいくつもの愛を気づかずにきてしまった。
なんか誤解されとも多い。

自分は、人のことを思うときにまずその精神性について深く深く考えるたちなのだと思う。

だから、思うのはどうやって文章を書くのかということが主になる。

世界にはいろいろな少数民族がいるが、自分は今のところバルト三国の歴史や地理とアイルランドの歴史や文化に興味をもっている。

仕事場では、超大国のような人間集団の圧力をうけて、青息吐息のありさまである。

講演などを聴いても、世界強国への挑戦みたいな講話がほとんどで、自分のすみかはどこにもない。

しかし世界にはバルト三国のようにすばらしい民族文化をもった集団もある。

アイルランドのようにケルト文化を復興させている国もある。アイリッシュはとてもすてきた。

また、大国のなかで翻弄されてきた中央や東欧の国たとえばハンガリーやルーマニアなどの文化のすばらしい国もある。

日本は明治維新以後、世界強国をめざしてきたために、なんか変な競争ばかりしているようだ。それは、日々の民衆の思考形態さえも支配しているように思える。

そのようなことだからどんな職場にも世界強国の集団になろうとする意識がはたらく。

最近、世界の車窓からのなかでバルト三国をおもにあつかったDVDブックがあって、とても感動してみていた。

今の日本は、ずるずると後退する世界強国の地位にしがみついて、自分の文化も忘れ経済の奴隷となっているような社会ではなかろうか。

いろいろな人が正義を発言しているが、その人たちそのものはかなりの経済的環境のなかで貧乏を知らずにきた人が多いような気がする。

自分が墓参に行く途中には、粗末だが、とても感じのいい花屋があって、そこの老婆はとくになにも宣伝しないが、ほんとにきれいな花がきちんとおいてある。

自分はそういう世界を夢のように思ってきたのだが、どっかで自分は曲がるところを間違えたのではなかろうか。

町中のはではでな花やより、山間の小さな農家の庭に咲く花のほうがはるかに美しい。

仏教で時のことを法というが、山間の小さな庭の花になかにこそ本当の法、時がある。

なんか自分は仕事はできなくていいからそういう世界を歩いていたい。

最近は茶道もできないが、茶道は少しでも習っておいてよかった。

習っているときは窮屈だが、なにか日本の花というものがみえるような気がする。

もういい加減に経済の呪文をとなえて無間地獄におちていくのを避けたいと思う。