時の喫茶店

趣味は歴史そして哲学 自然の中に溶け込んでいく心を追い求めたい

祈り

2014-11-13 18:37:04 | 日記
ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで思うのは、本当の物語は映像を必要としないということだ。
そういう意味で現代は小説力の落ちた時代だ。

ソーニャの祈り

そう祈り

祈るしか無い

あなたがいつか僕をふりむいてくれることを信じて祈るしか無い。

なにに向かっていのっているのだろう。

宵闇の街にむかっている自分は自然を忘れてしまったのか。

あなたの美しさは、そうポートレートのあなたの笑顔にツタのはの黄緑がわずかにかかっている。

そうして陽光のなかにいるあなたは美しい。

秋の海岸を走っていると、波しぶきが岩にかかって白い祈りをあげる。

修道女のようなその祈りは自分のようなひとりぼっちになにを祈っているのだろう。

あなたと一緒に一度でも砂浜を松並木のとぎれるほうにある行っていってあなたの後ろ姿を見たかった。

いいえ永遠の未来にあなたは必ずいる。

すべてを捧げ尽くして、あなたの後ろ姿を見ていたい。

海しぶきの音が聞こえてくる、そんななかにあなたといるころができるのならば。

a rose in the rain 雨にぬれうつむく薔薇、おまえのおもかげに似たシルエット

くれないの二尺のびたる薔薇の芽のはりやわらかに春雨のふる

あなたが薔薇でも私はその手にこの手をあずけて雨の日、小さな路地を歩きたい。

やさしい薔薇だ。

静かな日だ。あなたの声にかかるように赤ん坊の声がどこかの家のなかから聞こえてくる。

あなたに自分のすべてをささげて、僕はなにもいらない。

なにももっていないけど、なにもいらない。

小さな花瓶がある。

白いやわらかい花瓶だ。

もともとなんなのかは知らないが、花瓶ではなかったかもしれない。

ふと江戸時代の萩のこの小さな花瓶をみていると、

あなたの小さな美しい魂の姿がここにあるように思う。

どんな人でも小さな魂があって生きている。

あなたがひたむきに生きている、その小さなひたむきな姿は、白い小さな花。

雨が降っている。しずくが落ちて白い花がすこしうつむくようだ。

深いダム湖がある。

昔の家々が山影に沈んで、すべては時間のなかに沈静していくようだ。

自分には、このさまよう心のすべてを捧げていける小さな魂が欲しい。

ほんとうに自分はどこにさまようのだろう。

誰もいない。

あなたの姿が修道院のガラスの向こうにうつむいて映る。