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時の関守

一瞬を生きる (2)

妻の出産が始まったとの連絡があってから、3~4時間がすぎていました。
ずいぶんと長い時間がたった気がしました。
何も手に付くはずもなく、ぼんやりとテレビを見ていました。
テレビの解説者が手に持った駒をあやまって、落としてしまいました。
その瞬間、わたしの頭に、なんともいえない不安が宿ったのを今でも覚えています。

ただの思い過ごしだと、思い直すのですか、私の頭に宿った不安は消えてくれませんでした。
でもそれは、神の慈悲(じひ)だったのですね。
次に起きる出来事に、私が動転しないよう、冷静に行動できるよう、あらかじめ心の準備をさせてくれていたのだと思います。

それから、30分ほどして、義父より電話がありました。
「出産の最中に、子供が亡くなったこと。胎盤剥離(たいばんはくり)だったということ。
〇子(妻)も、出血が止まらなくて、〇〇病院に救急車で運ばれたこと。」
そんな内容でした。

私は義父の電話を聞きながら、意外にも冷静に判断している自分がいて、我ながら驚いていました。
きっと、神が前もってそんな事態を、私に予感として、知らせてくれていたからなのだと思います。
ですから、さきほど、神の慈悲なのだと書いたのです。

もう一人の自分がいて、事態を冷静に分析していました。
「お前が今、くよくよ悔やんでも、子供が戻ってくるわけでもない。時間がもどせるわけでもない。
だから、子供が亡くなったことは、今はもう忘れなさい。
ただ、妻とは結婚したばかりで、いま妻に死なれると、かなりお前も困るだろうから…
だから、これから、妻が助かるような決断をしなさい。」
そう、もう一人の自分が言っていました。

その瞬間、すっと、心がさだまり、長年止めるに止めれなかったタバコを、一生涯止めることを神に誓いました。
次に、妻のもとに行くにあたり、事故にあわないよう、注意して運転することを自分に言い聞かせ、両親にことの次第(しだい)を書き置きして、妻のもとに向かいました。
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