病院に着き、妻の病室に案内されると、そこに看護士さんがちょうどおりました。
看護士さんが「今はだいぶ落ち着いていますよ。」と言われたので、「ありがとうございます。お世話になりました。」と、答えると、
「いいえ、先の病院(妻が出産した病院)で、ちゃんと処置されてましたから、うちでは何もしてませんよ。」との、答えです。
私がいくと、ちょうど妻が目を覚ましました。
妻が「子供はだめだったの?」と言いましたので、
私は「うん、だめだったみたいだね。」と答えました。
その言葉を聞いて、妻の目から一筋の涙が流れました。
つられて、私も始めて涙を流しました。
その後、妻はたんたんと、出産の経過を語ってくれました。
出産の途中から、なにかおかしいと感じたこと。
そのことを看護士さんに言っても、取り合ってくれなかったこと。
そのうちに、意識がなくなってしまったこと。
それを聞きながら、今回の私たちの不幸の原因は、誰のせいでもない、すべて私のせいであることが(私には)わかっていました。
病院が悪いわけでもありませんし、まして、妻のせいでもありません。
私の未熟さが、子供の誕生を待ち望んでいた妻、妻の両親、私の両親を悲しませた本当の原因であることがわかっていました。
へりくだっているとか、そんなことではなく、ただ、わかっていました。
それと、せっかく、私たちの夫婦のもとに生まれようとして、それがかなわなかった、子供の魂(霊)に、私は深く詫(わ)びずにはおれませんでした。