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時の関守

これからを生きるきみへ (6) この世

これからを生きるきみへ。
まず、この世界というものを、霊的伝統がどんなふうにいっているのか、訪ねてみよう。

簡単にいうと、とても驚くべきことに、この世界というものは本当ではないのですよ、幻なのですよ、といっています。
私たちのの常識からすれば、この世界、この身体こそ、手にとって触れることができますし、間違いなく存在しています。
それに比べ、心、たましいこそ、手に取ることもできないし、その存在は不確かなものであることはまちがいのないことなのでしょう。

ただ、霊的伝統が指摘するように、例えば、たましいが存在して、輪廻転生を繰り返しているのだとすれば…
そして、たましいこそ永遠不滅のものであるとしたなら、逆に、この世界こそが不確かで、必ずこわれ、最後には朽ち果てていくものであることがわかるはずです。

私たちの常識とは、まったくの逆ですから、(多くの人が)理解できないのも無理ありません。
ですから、ここで、この世というものを、一つの舞台として考えてみることにします。

私たち人間は、ほかの動物たちとは違う、文明というものを発展させてきました。
その中でも、私たち人類が大好きなものに、物語があります。それは、小説、物語としても読むことができますし、舞台、映画として楽しむこともできます。
その物語です。

物語とは、虚構であり、現実にはありえない幻を人間に夢見させているのでしょうか?
それとも、実は物語と現実に境目はなく、物語とは現実の一部であり、その現実というものは、実は幻であるとするなら…
その幻を人間は物語に置き換えているだけなのかもしれません。

もしかすると、本当は、私たちは舞台に立つように現実を生きていて、それぞれの配役どおりに演じているだけなのかもしれない。
ただし、この舞台の主役は、まちがいなくあなたで、あなた以外の登場人物は脇役となることは理解できるでしょうか?
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