見出し画像

時の関守

イエスと仏陀(ブッタ)は友だちだったの? (3)

イエスとブッタが知り合いだった時代は、40回くらいだそうです。
その中でも、特に大切な生が、いくつかあったといいます。
イエスとブッタが共に生き、
同じ時間をすごし、
さまざまな体験を重ね、
この世の本質に迫っていったのでしょう。

舞台は日本、中国、インド、中東と移り、輪廻転生を繰り返したといいます。
なにか奇想天外(きそうてんがい)な話しですね。
でも、
彼らがイエスとブッタとして生きたとき、
なぜこのような教えを説いたのか、
その教えを説くに至った過程には、どんな理由があったのか、
輪廻転生をしていく中での、
さまざまな体験の中にその理由があって、
ある意味、とても難解だった言葉や教理の意味が、
わかりやすく、すっと理解できるといったら、言い過ぎでしょうか?

ブッタが釈迦族の王子として生まれ、仏陀(ブッタ⋅さとった者)となったとき、
イエスは仏陀にとって、とても大切な役回りを演じることとなります。
また、イエスがキリストとして最後の生(せい)を生きたとき、
ブッタは一人の目立つことのない弟子として生きます。

仏陀が悟りをひらいた時代、
その晩年のある日、仏陀と(ラーフラとして生きた)イエスが、ある会話をします。
ラーフラは言います。
「まだ何かが欠けている。
あなたはそれが何かわかっているでしょう」
仏陀が答えます。
「ああ、われわれはよくここまでやってきた。ともに目覚めたい。神のもと、神とともに、…」
そして、それからおどけて
「次はきみがわたしの先生だ」
と言ったのだそうです。

彼らはあともう一回、地上で生きるとわかっていた。
┉二人のために脚本が書かれていること。
そしてそこにはより大きな計画があって、
自分たちの役割を果たさなければならないと気づいていました。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る