私たちが命をいただいているということに、最近とても無自覚になっているとおっしゃっていました。
狂牛病が流行したとき、真っ先にそのことが頭に浮かびました。
病気が悪いわけではありません。
狂牛病という病気は、人類が美食を求めるなかにも、命をいただくということに、あまりにも鈍感になっている心の姿そのものではないでしょうか。
命ではなく、食物をものとしてしか感じていない、その心が狂っている、正しくないといっているのでしょう。
牛が狂っているのではありません。
人類の心が狂っているという姿なのです。
エイズも昔のはなしとなってしまいましたが、最初は同性愛を禁じる、神の罰のように言われていた気がします。
性風俗のみだれを、神がただそうとしている。
そんな論調も多かったように思います。
もう、以前のようなパニックはなくなった今、もう少し冷静に考えると…
エイズという病気は、人間の免疫機能が破壊される病気です。
人間にとって、免疫機能が破壊されると。
そのことで死ぬわけではなく、免疫機能がなくなることによって、普段死ぬことのない簡単な病気が死に至ります。
死の直接の原因は、平凡の病気でしかありません。
私たちは、医学の発達によって、その恩恵は絶大なものをいただいているといっていいでしょう。
しかし、そのせいで、現代科学を過信して、私たちが守られているという真のすがたが忘れられていたのではないでしょうか。
人間の免疫機能とは、精妙な身体の防衛機能ともいえますが、こんな巧みな仕組みをあたり前と考えるのは、(私からすれば)あさはかな考えとしか思えません。
私たちは、免疫機能という名前をつけられてはいますが、何かとてつもないものに、守られているというほうが、まともな考え方と思えるのは私だけでしょうか…
病は友だちなのだよ
よい友だちではなくて悪友なのだ
なにもないときは、とてもいい友だちなのだが
お前のなかの病が(自我が)、自分を主張してくるとき、とても苦しい思いをする
(病という)お前の友だちは、(お前のなかの)いいことも、いやなことも(まるで鏡のように)全部見せる友だち(悪友)なのだよ
「心の形1~12」もずいぶん長くなってしまいました。これで終えさせていただきます。
お付き合いありがとうございました。