世界中に広まって、人々を恐怖をおとしいれたのは、ちょっと以前では、エイズもありました。
これは、現代の人類にたいする、天の裁き、罰なのでしょうか。
もちろん、そう考えるかたもあるかとは思いますが、私は次のように思っております。
現在、世界は、実質的にも、また、インターネットによって、内面的にも、壁がなくなってきているというのは、本当のことだと思います。
そんな中、コロナの流行は、世界がもう、それぞれの国々や、それぞれの民族だけがよしとすること。
そんなことが許されなくなったということを、表していると思います。
現象的には、コロナによって、分断が起きてしまったわけですが、それで、世界がとても困ってしまいました。
困ったことによって、もう、世界が、他国とかかわりなし生きることなど不可能だと、逆にわかったといえます。
私はこのブログで、病気とは、人の心が形となって現れたものだということを書いてきました。
これを、別の言葉に直すと、(ちょっと難しいかもしれませんが)心の影が病気なんだということです。
心のような見えないものが本体で、病気のように実際形としてあるものが影であるのは、一見おかしなことのように思うかもしれませんが、霊的な真実としてはまちがっていません。
コロナもエイズも狂牛病も、人類こころの姿が、世界的な疫病として現れたものだと私は思っております。
人類がいつまでたっても、分断をやめない、こころの壁をこわそうとはしないという心の姿が、コロナ(の姿)そのものでしょう。
狂牛病は、人類が命をいただいているということを、いつのまにか忘れてしまったこと。
命をいただいているという、そんな謙虚さを失っているということ。
その心の姿が、病気となって現れたものだと思っています。