(子供の頃)親のふところにいだかれていたと同じように、
神と人間が、
一心同体のような時間(とき)が、あったのでしょう。
次に、人間はそこから一人立ちします。
その後、
人間はさまざまな輪廻転生をくりかえします。
その間、
人間は心の深いところでは、
悲しみをかかえながら生きていたのかもしれません。
私たちが神と出会うことにより、
私たちの不安の正体が、
(神である)親との再会を心の深いところで願っていた、
たましいのうずきだったことに、気づくのかもしれません。
神と出会うということは同時に、
神が人間に、約束していたことでもあります
宗教の根底には、こんなストーリーがかならずあると思うのです。
天理教の根幹をなす思想に、
神の人間創造についての話しがあります。
キリスト教の創造についての記述は、
ある意味とてもシンプルです。
仏教となりますと、そこには触れていません。
それに比べると、
神が人間を創造(つく)った過程が、ここではこと細かに語られます。
この話しの最初の部分で、
神はあるたましいに、一つの約束をします。
どういうことかといいますと、
神は人間を創造するにあたって、
まず、人間の親を選定しようとします。
神がこのたましいに、人間の親という役割を与えました。
神から指名されるということは、
とても光栄なことだろうと思うのですが、
(指名された存在にとっては)
とても責任の重い、しりごみしたくなる役目です。
そこで、神は、
人間の親になるよう頼んだ存在に、
ある約束をします。
言質(げんち)をあたえました。
※言質を与える…約束の相手に、証拠となるような有利な言葉を残すこと