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時の関守

これからを生きるきみへ (9) 最後に伝えたいことⅡ

自分を知るということは、神を自分のなかに見いだすということ。
ただし、そのあいだには、もう一つ、二つ、段階、ステップがあるように思います。

まず、自分を知るということ。
これは、できそうで、できないし、以外に難しいことかもしれません。
自分のことは、わかっているようで、わかってなかったりします。
自分の欠点なども、わかっているようでわかってません。
他の人から、欠点を指摘され、そんなはずはないと、思ったことってありませんか?
自分の心を分析すると、そんな自分を認めたくないという自分がいます。

そんなみっともない、恥ずかしい自分のはずがない。
自分はもっと、立派で、かっこいいはずだなんて、思ってませんか?
私も指摘されるまでは、そんな自分を否定していました。

理想が高ければ高いほど、自分の現実の姿が現れたとき、がっかりして落ち込むことが多かった気がします。
でも、最近はそんなだめだめの自分も、やっぱり自分なのだから、認めてあげよう、抱きしめればいいんだと、開き直れるようになりました。
これが年の効というものなのでしょうか。(死が近づいてきたせいなのでしょうか。それもありますね。)
それを認めないと、前に進むことができないのです。

人生のなかで、自分を裏切ったり、最大の敵でさえも、もしかすると、自分の一つの姿(一面)なのかもしれない、なんて…
(嫉妬、他人を蹴落としてでもという心。自分の心の奥にしまいこんでいたもの…)

もしかすると、自分のほんとうの姿は、そこにこそあるのかもしれない…

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