イエスと仏陀が、
輪廻転生という、
この世を舞台にした
夢の物語の最後の舞台が、
紀元前ちょっと前にはじまりました。
今回はイエスが主役で、
仏陀はイエスの一弟子として、
裏方にまわりました。
この本では、
マグダラのマリアも実は、
とても重要な役割をになっていたのだと指摘していますが、
ここではそれにふれません。
イエスの物語を、今、私がここに書く必要はないでしょう。
ただ、
キリスト教が主張する物語があります。
罪なきイエスがなぜ磔刑(たっけい)に処されたのか。
なぜイエスは
「主よ、主よ、なぜ私を見捨てたもうのか」と、十字架のうえでつぶやいたのか。
なぜ、
神の子イエスに残酷な
~生身の人間の両手両足を釘(くぎ)でうちつけ、何昼夜も苦しませ続けたうえに殺すという~
苦しみをあたえ、それを神は放置したのか?
その難問に答えるために、
物語がうまれました。
そして、その物語からキリスト教という宗教が生まれました。
物語は
「人間には(エデンの園で)神にそむいたという、原罪があり、
その原罪を、罪なきイエスが代わってつぐなったのだと。」
ただし、
その(罪がつぐなわれる)ためには、人はイエスを信じ、
キリスト教を信仰しなければならない。
物語を信じるならば、全人類がイエスを信じるまで、救済は完成しないということになってしまいます。
そして、イエスが望んでいなかった、
宗教が生まれました。
イエスはただ、こういいたかったのだと思います。
人間は死なない。
次に、
この世に起こってくることすべて、または、自分の身に何が起ころうと、
神に根ざしていないことは、
夢であり、
なんの価値もないこと。
このイエスの最後の生は、
神が脚本を書き、
イエスはそれに同意しました。