もう、ドンピシャでうなずいてしまいました。
もちろん、日常での会話の機微(きび)って、そうだなぁとうなずくばかり。
正論、正義が真理とは限らないんですね。
たとえ、それが(一般的に)正しいとしても。
そこに人が関わっている以上、関わっている人の感情、その人のなかの何が正義なのか、そこまで考えてあげてこそ…
ほんとうの正義であったり、真実になることが、少しわかりました。
現実に、今起きている紛争?虐殺?
どちらが正しくて、どちらにより正義があるのかと、考えた時もありました。
でも、そこには、モヤモヤしか残っていません。
私がもし、当事者であったら、どう考えるの(😔)のだろうか。
きっと、感情に動かされて、因果の渦(うず)のなかに、まきこまれてしまうだけなような気がします。
いま、自分が考えている、思考(頭のなか)、選択、行動、一挙手一投足が、自分の未来、自分の大切な子孫の未来を宿命づけている。
敵対する相手も人であり、同じたましいを本質にもつ、兄弟であり、もしかすると、自分の未来かもしれない。
そんな簡単なことが、なぜわからないのでしょう?
もちろん、簡単なんかではありませんが…
自分のなかの我、あまり好きではない、そんな我であったら、捨てさえすればいいのでしょう?
そして、やさしい心。
強く、大きな心。
それさえあれば、とても簡単です。