帰りも、一時間ほどの道のりですが、秋晴れのさわやかな天気ほど、心が晴れることはありませんでした。
地上にそって、一連の雲が鎮座(ちんざ)しているようで、よく見ると少しづつ動いています。
ある程度の時間がたつと、いつの間にか、景色が一変(いっぺん)していて、驚きます。
イスラエルが、ガザに進攻しようとしています。
人質はどうなるのでしょうか?
病院で避難することもままならない病人は…。
死が近いことがわかっていながら、残らざるえないと覚悟しているのでしょうか?
人質はどんなことをしても、無事にかえるよう、交渉しなければなりません。
巨大な軍事力で、何倍、何十倍の痛みを与えなければ、報復したいという気持ちがおさまらないのでしょうか?
国民から弱虫の卑怯物(ひきょうもの)と言われるのが、がまんならないのでしょうか。
もし、戦争の火蓋(ひぶた)が切って落とされれば、人質もふくめ、双方の戦闘員、避難しているおおくの人々の命も、さまざまなことの中で失われるでしょう。
自分たちの決断が、自分たちの子孫にふりかかる業(ごう)となって、大きな不幸となることが見えないのでしょうか?
自分のたましいが「やめろ」と叫んでいるのが、聞こえないのでしょうか?
あなたたちには、何も目に映っていない、なにも聞こえていないのでしょうか?
私が20代の頃だったでしょうか(だいぶ昔のこととなってしまいました)、ドキュメンタリー番組のなかで、パレスチナ人の女性と、イスラエルの男性の対話がありました。
どちらも、相手の心情は理解できました。
しかし、解決法がみつかりません。
言葉がみつかりませんでした。
探していた答はでてきませんでした。
でも、答えがでなくても、対話を続けていたら、最低、相手の苦しい気持ち、心情、閉塞感(へいそくかん)を知り、寄り添うことはできたはずでした。
なぜ、対話することをやめてしまったのでしょうか…。
次男が、「戦争がおこれば、ガソリンが値上がりするよね。」との、筋違いの心配にあきれて、即席の歴史講座をしてしまいました。
次男の無知ぶりに、パレスチナとイスラエルがなぜ、このようなことになってしまったのか解説したのです。
でも、そこで私は、知識をひけらかしただけで、私も無知であることに、次男同様(どうよう)かわりはありません。
わたしの心が晴れるはずもありません。