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時の関守

感情はたましいの声 (2)

イマココLIFEさんの、「正論は小さな声で」を読んだら、自分のなかのモヤモヤに少し気づきました。

私も最近、小さな日常のなかで、自分の中の怒りを、おさえることができませんでした。
こればっかりは、年齢は関係ありませんね。
いくら歳をかさねても、だめなものはだめです。
ですから、私の中の我を変えるのは、なかなか難しい。
それなら、私の中の我というものから、少し離れてみようかな、そんなふうに思っています。
今まで、ずいぶん長くいっしょにやってきたので、少し距離を置こうかな、そんな感じです。

イマココLIFEさんのブログの、なにが良かったのかというと、真理としての正義はないと、気づいたことです。
一般論としての正義は、もちろんありますが、人には感情というものがあります。
ですから、相手のなかの感情や、相手の立場なりの正義が、必ずあるはずです。
そこまで考えてあげて、はじめて解決するといえるのではないでしょうか。

物事が紛糾(ふんきゅう)するのは、どちらか、もしくは両者が、正義をふりかざしたときです。
正義という名の、自分の我をふりかざしているのですから、解決するはずもありません。

私はあるとき、あるスピリチュアル系の本(「神との対話」)の中で、「感情はたましいの言葉」という言葉をみつけました。
最初、よくわからなかったのですが、最近わかってきました。

感情には、二つの発生源があります。
自分の我から出てくるものと、たましいからのものです。
自分の我からのものは、なんの解決にもなりません。
しかし、たましいから出てくるものには注意が必要です。

たましいの深い洞察(どうさつ)から来ていますから、本当の解決に導かれることがあります。
たましいが、私たち一人一人の本来の仕事、この世に生まれてきた本当の目的を知らせるために。
そして、(私たちの運命に、)強引(ごういん)に介入(かいにゅう)してきます。
そんなときは、とくに注意深く観察しなければならないのだと思います

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