確かに、自分の意志とか意識がない状態で、どんなぶざまな状態を、子供や他人にみせることになるのかと考えると、とてもこわいと考えてしまうのは、よくわかります。
もちろん、私もそうです。
私がまだ、十代のころですか、有吉佐和子さんの「恍惚(こうこつ)の人」という本がでました。かなり、話題にはなりましたが、とても読む気にはなりませんでした。
まだ、「あの人ボケたよね」程度の認識しかない時代です。
恍惚?とは、決して悪い言葉ではないはずですが、呆(ぼ)け老人と同様に、あまりいいイメージはありませんね。
やっと最近になって、あくまで脳の萎縮(いしゅく)、認知機能の衰えなんだという常識が、定着してきました。
私も長年生活していますと、周囲の認知症のかたのお世話をすることもありました。
そんなに経験があるわけではありませんが、私なりに思うことはあります。
私が知っているかたたちは、認知症になるまえは、自分のことより、他人(ひと)の世話をするような、立派な人ばかりでした。
自分のことより、ひとの世話ばかりしていました。
なぜ、そんなかたが晩年になって、認知症にならなければならないのか、疑問でした。
それはどういうことなのかと考えると、こういうことなのかなぁと思うこともあります。
私たちの人生というものを、恩の報じあいという観点でみてみると、そう思うのです。
私たち人間がこの世に生まれてきたのは、偶然ではなく、天の思惑、采配があったのだと、まず考えてみます。
そうであれば、私たちはまず、一番最初に、天に大きな恩を受けてうまれてきたことになります。
そのつぎに、実の親にも、なみなみならぬ恩を受け、大人になっていきます。
一番わかりやすくて、なにも難しいことは言ってません。
多くの人が納得してくださるでしょう。
そして、大人になり、今度は社会の一員となり子供を育て、どんなかたであっても、何らかの意味で、社会に貢献することになります。
例えば、もし、障害があったとしても、今の時代、それを社会のお荷物と考えたりはしません。
逆に、障害をもって生きるということは、それだけで、障害のない人々にも勇気を与えている、そんなふうに思うことが、現在の常識ではないでしょうか。
私もブログをやりはじめて、こんなにも多くの人が、自分の障害、病気を公開していることに多くの勇気を得ています。