私はそのことを、このブログに書きながら、今、その女性を救うことになった一神父に思いをはせています。
宗教家として、最低限度の矜持(きょうじ)は保った。
しかし、それはとてもみっともないことの、幸運な結果でしかないように、私には思えます。
「なぜ、こんなにも、ここに登場する神父が気にかかるのでしょうか?」
「お前がそんなに気になるのであれば、それはお前の中の、
もう一人の自分なのだよ。
お前は、その神父がとった態度に嫌悪をいだいているが、
うすうす自分も同じであることに、無意識に気づいているのだろう?」
「でも、だからといって、自分を卑下(ひげ)するのはやめなさい。
自分が神父と同じでしかないんだと気づくことは、なにも悪いことではない。
自分の弱さに気づくことは、
それは強さに変わることなのだよ。
強くなりなさい。
人間はもともと強いものなのだから…。」
「ありがとうございます。」
「これも、わたしの中のもう一人の自分なのだろうか…。」