見出し画像

時の関守

わたしの中のだめな自分 (5)

「生かされて」という本に綴(つづ)られた、ルワンダ虐殺(ぎゃくさつ)に生き残った、一人の女性の記録。
私はそのことを、このブログに書きながら、今、その女性を救うことになった一神父に思いをはせています。

宗教家として、最低限度の矜持(きょうじ)は保った。
しかし、それはとてもみっともないことの、幸運な結果でしかないように、私には思えます。

「なぜ、こんなにも、ここに登場する神父が気にかかるのでしょうか?」

「お前がそんなに気になるのであれば、それはお前の中の、
もう一人の自分なのだよ。
お前は、その神父がとった態度に嫌悪をいだいているが、
うすうす自分も同じであることに、無意識に気づいているのだろう?」

「でも、だからといって、自分を卑下(ひげ)するのはやめなさい。
自分が神父と同じでしかないんだと気づくことは、なにも悪いことではない。
自分の弱さに気づくことは、
それは強さに変わることなのだよ。
強くなりなさい。
人間はもともと強いものなのだから…。」

「ありがとうございます。」

「これも、わたしの中のもう一人の自分なのだろうか…。」

コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@1948219suisen さんへ
もし、心ひかれるものがあるのなら、水仙さんへのメッセージなのかもしれませんね。
今回のテーマは、本当は(4)回目で終わっています。
(5)は、まったく書くつもりはありませんでした。
ただ、(4)を、書き終わったとき、自然と心に浮かんだことを言葉にしました。ほとんど、何も考えていません。
だから、最後に私の感想として、もう一人の自分なのかと綴りました。神様がわたしを通して、水仙さんを励ましてくれたのでしょうかね…。
1948219suisen
この記事も、どういうわけか、とても心ひかれました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る