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時の関守

わたしの中のだめな自分 (4)

霊的な伝統は、人間の心がとても弱いことを知っています。
同時に強いことも。

人は自分の好きなこと、好きなものに負けます。
賭け事の好きな人は、自分の身を滅ぼしてまで、やめようとはしません。
幻の愛を求める人は、家族を崩壊させても、それを求めるでしょう。
自分の子供だけを愛してやまない人は、他人(ひと)の子は平気でにくむでしょう。
そうなると、人はとても弱いものです。
反対に、逆境(ぎゃっきょう)は人を強くするともいえます。
嫌(きら)いなもの、嫌いな人が必ずしも長い人生のなかで、マイナスになるわけではありません。

私はあるとき、おおきな裏切りにあいました。
私の社会的な立場が、閉ざされてもおかしくないようなことでした。
結果的には、何事もなくすみましたが、当時私はそのことを、とてもうらみに思いました。

時がすぎ、私はふと、あの裏切りが、今の私を守ってくれていることに気づきました。
そのことがあって、私はとても慎重に行動するようになりました。
言葉を選び、話してよいこと、話してよい人を慎重に選ぶようになりました。
注意深く行動すれば、何事もないことがわかりました。

私があの時裏切られたことによって、私は注意深く行動することを学び、大きな意味で私は守られたのです。
自分にとって、不都合(ふつごう)なことが、自分を守り、自分にとって、良かれとしてすることが自分を滅ぼすことがあるのでしょう。

そのこと(自分を滅ぼすもの)を霊的な伝統は、強くいましめていたことに、年限をかさねることによってやっとわかりました。





コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@storyteller さんへ
肝に命じなくても大丈夫ですよ。😅
人間そんなにいつも、慎重になんかできないと思います。
ただ、長い人生のなかでは、そんなこともあるということです。
ただ、守られていたんだ、結果として恨みに思う必要はなかったんだと気づくまでには、長い年月がかかりました。
友人でしたからね…。
tokinosekimori-kitaiwahara
@1948219suisen もちろんそんなことはありません。でも、水仙さんがそう感じるなら、そうなのかもしれません。
人はもろいものです。
仇するものに対抗しようと、自分の心を頑丈な鎧でかためても、なにかのことで一瞬にして、崩れてしまいます。
心はそのようにもろいものですが、また逆に強いものでもあります。強くなるためには、心は柔らかくなくてはなりません。
まるで、しなやかな竹のように。
私も、ブログで書いたように、かなりの年限をうらみの思って過ごしました。
でも、ふと、守られたことに気づいたとき、心にふわっと、隙間がうまれました。
それまでは、心に余裕がなかったのですね。
すぐにそうはならないと思いますが、しなやかな竹のように、どんなに抑えつけられても、跳ね返してください。
いつか、硬い心に隙間ができて、何か悟れるときが必ずあります。
そのとき、あなたは、自分の心はが実はこんなにも強かったんだということに気づくでしょう。
Unknown
「そのことがあって、私はとても慎重に行動するようになりました。
言葉を選び、話してよいこと、話してよい人を慎重に選ぶようになりました。」

肝に銘じます。
1948219suisen
この記事、私のために書かれたのかと思いました。
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