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時の関守

たましい (2)

私は人間の心というものを、おおざっぱですが、二層構造ぐらいに考えています。
心理学でいうところの、意識と無意識です。夢は無意識の領分(りょうぶん)で見るものと考えると、わかりやすいかもしれませんね。

神さまにいつか、たましいは無意識の中ににあるよ、と教えていただいたことがありますので、私たちの無意識というものを探ると、神にとても近い自分に出会うかもしれません。

意識する自分は、まず、だいたいが煩悩にまみれていますし、誰しもが、自分のコンプレックスに悩んでいますから、ここが自我といわれるものです。

それに対して、無意識にはたましいがあるとすると、それは限りなく神に近い存在です。
この自我とたましいは、シンプルにいうと、自分のなかに天使と悪魔がいるのだと考えると、わかりやすいかもしれませんね。

なぜ、天使と悪魔のような、誰も見たことも聞いたこともない存在が、まことしやかに話されているのか、ずっと疑問でした。
それは、人間の心の中の話なんだと思ったとき、正しいかどうかは別にして、やっと納得できました。

理屈っぽくなってしまいましたね。

人間というものは二人の人物が混在していて、一人は自分の理想の人物。
自分の人生最大の危機にも、沈着冷静、最後の最後にウルトラCを連発して、解決してくれるスーパーヒーロー。

もう一人は、どうにもダメダメのぐうたら人間。
肝心なときに、すぐ逃げ出してしまう、倫理観欠如(けつじょ)のくず人間。

どちらも、間違いなく自分であることを認めれば、ほめたり、しかったりしながら共に歩めばいい。
そのつど、どちらの人物と共にしたいのか、決めればよいのだと考えたらどうでしょうか。

「自我をほっとけばいい」ということは、(私のなかのだめだめ君に)今回は君の出番ないから、少し休んどいてね。
少し、君とは距離を置くことにするよ、と言っているようなものかもしれませんね。

今まで、あまりにも一心同体で行動してたから、少し距離を置いてみるよ、(だめだめ君に)そんな宣言をしたんですね。

だって、このままだと、自分をきらいになりそうなんだよね…

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