皆様、おはようございます。
ぐっすり眠れた朝の爽快感は格別です。
コーヒーを淹れようかと思いながら、ふと「おさ湯」にしてみました。ホッとします。からだが喜んでくれているようです。(このからだが元気でいてくれるからエネルギッシュに何事にも取り組めるんだなあ)そう思うと愛おしくなります。痛みや不快感といったからだからのメッセージをきちんと聴こうとこれまで意識してきました。そのおかげでしょうか、防げたこと、大事に至らなかったこともありました。そんなからだに感謝したいです。
2023年の締めくくりに第2回の傾聴セミナーを開くことができました。ご参加いただける皆様にとって最高の舞台で躍動していただければという気負いで準備を重ねてきました。その一方で、メールの確認が遅れてしまったり、ふり返りシートが送れていなかったりと大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありませんでした。
今回は両コースともに目標を明確にお示しすることができたこと、デモを担ってくださった西尾さん、髙山さんとの対話がすばらしく、参加者の皆様にことばを超えて伝わっていくものが多々あったことと想います。今回、内容的に大きくブラッシュアップできたことを実感しています。
ベーシックスでは、ルールと基本姿勢を意識しながら徹底的に話し手になろうとするために光景を浮かべる努力をすることに集中しました。それは日頃の聴き方の癖を横に一旦置いて、真っ新に聴くことに徹する体験でした。リセットしてみる、初心に返ってみる、そうした経験によってはじめてご自身のこれまでのスタイルを俯瞰することができたのではないかと思います。不安であるし、できなくなってしまうかもしれない、えらくぎくしゃくしてしまうかもしれない、できていない自分を見せたくない、なによりもこれまでのスタイルの方が楽だし、そうした理由によってこれまでのスタイルを手放せないでいるご自身のことを感じられた方がいらっしゃったのではないでしょうか。「徹底的に相手になってみて光景を浮かべる」は、話し手の傍でじっと居続ける姿勢そのものに通ずるのではないかと思います。まさにプレゼンスの根幹ではないかと。
アドバンスでは、出てきた光景を確かめるための問い(伝え返し)と、話し手と聴き手の共同作業による焦点化(深めていくため)のための問いの2つを練習しました。後者の問いはベーシックスを徹底的に身に付けられた後からしっかりと学んでいただきたいものです。下手に急ぎすぎますと焦点化の問いは聴き手の自分軸に立った問いとなってしまい、その自覚のないまま一方的な対話を推し進めてしまう危惧があるからです。一緒に見ようとする光景なのか、探ってみたい、もう少し深めていきたいと思う事象なのか、確認をしながら丁寧に進めていこうとする、そうした問いはときにハッとさせられ、これまでにない大きな気づきがもたらされることでしょう。
今回、皆様のふり返りを拝読し、そうした気づきの数々を読み取ることができました。まずは徹底的に聴いてもらえたという実感、そのことがあって、ご自身が体験された心地よさを聴き手の方にも感じてもらいたい、そのための寄り添い、そうできているご自身のことを愛おしく感じられたのではないでしょうか。
皆様とつくりあげることができましたセミナー、とても貴重なお時間をご一緒させていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。頂戴しましたふり返りを掲載いたしました。読みごたえがあります。
来年、グループ・エンカウンター・セミナーでまたスタートを切りたいと思います。両コースの応用編として、そして日常の業務や大切な方との対話で活かせるスキルを今一度ご一緒に学んでまいりましょう。私も初心に戻ります。
〈ベーシックス〉
私は人の話を聞くのが大好きで、自分の話をするのは苦手です。“話すのは疲れるなぁ”と常々感じております。仕事柄それはあまりデメリットではなく、むしろメリットになると思っていました。しかし傾聴セミナーに参加してみると、話を聞くという行為には自分が全部映し出されてしまうということを感じました。少し怖くもありました。
午後から行われた演習では聞き手になりました。話し手の方がご自分の最近の状況のことや新しい土地に移り住んでからの周りの人とのご縁の話をしてくださいました。少し間を取りながらお話し下さいました。『間だ!』 間を待つのがとても苦手な私です。予め『間を大切に』『間をとりつくろわない』とのアドバイスを受けておりました。『待たねば』『いつまで待つの?』頭の中でこの2つがグルグルします。いつもの自分より少しは待ったつもりでした。演習終わりのふりかえりでも「間を待てたと思う」と言いました。 しかし時間が経って振り返ると、あの『間』は話し手の方が次に話すことをじっくり考えていらした『間』であって、私の質問により話の展開が変わってしまった可能性があるのではないか、何も言わず待つべきではなかったか、と反省点しきりです。また『話し手の人となりを何かに置き換えてみる』では話し手を「ナウシカにでてくるオウム。触手を伸ばして色々な方と縁をつないでいるみたい。オウムの触手は相手の傷も癒やす、そのイメージが浮かんだ」と伝えました。自分としてはぴったりの表現だ、と思いましたが、話し手がナウシカの映画をご存知ではなかったら「オウム?何それ?」と思われたかもしれません。もっと誰にでもわかる物に例えるのが話し手への配慮だと今気付かされています。
学んだ嬉しさもありました。参加者の質問に対して堅田先生が「それ、大事なところですよね」と一言添えてからお答えになっておられました。質問するときは結構緊張があります。研修会で「何をおっしゃりたいのか良くわかりませんね」と言われたこともあります(これはSTとして下手な質問をしたから当然です)。質問を肯定されるって嬉しいことですね。何十年もこんな素敵なことばを使わずに仕事をしてきました。これからでも遅くない、1ミリでも学んで話し手のことばを聞きたい、と思いました。貴重な1日でした。お付き合いいただいた皆様に感謝しております。
〈アドバンス〉
本日はありがとうございました。傾聴セミナーは、自分にとって“節目”のような気持ちで毎回参加させていただいています。今回も、この日を心待ちにしていました。
演習の前のデモンストレーションのときから、すでに没入感(イメージの中に引き込まれるような感覚)を感じていたことと、話し手の表情や間を一緒になって感じているような感覚がありました。今回は、
・間を怖がらないで大切にしたい
・浮かんだイメージを、考えすぎないでそのまま相手に伝え返してみたい
・話す速度を落とそう
・答えなきゃと焦らないで、悩みながら答えてみよう
・話しをきれいにまとめようとしないで、率直な気持ちや感情を話したい
という前回のセミナーでの反省点を、聴き手としても話し手としても意識しながら演習に取り組みたいと思っていました。
午前中のペアの方との自己紹介の時間で、お相手が私のイメージを色や花で例えて下さったときに、「私が大好きな明るい色だ。うれしい!あれ?今気づいたけど、その色って私が憧れてきた色なのかも知れないな…私の自己イメージってもっと暗い色なのかも…。」と、そんな気持ちがふと浮かんできたので、そのまま相手の方にお伝えしてみました。そこで対話が生まれたことで気づきがありました。
演習で聴き手になったときに、私が“鍵のかかった「扉」を開けるイメージ”で表現したことを、話し手の方が、“「高い壁」があってそこから入ってこられるイメージ”と表現し直してくださったときに、「ああ、高い壁のイメージだったんだ。扉は自分の意思で開け閉めができるけれども、壁は壊れたり壊さなければそこにずっとあり続けるもんな。そうか、私が感じたイメージよりも、もっともっと息苦しくて重たい感じがするな…。」イメージを伝えて、伝え返してもらうことで、お互いのイメージするものが近くなっていき、その中に一緒に入っていける。まさにそんな体験をさせていただいたように思います。
私が話し手になったときにも、「階段…その階段って直線で段になっている?それとも、螺旋階段かな…」というような、“それってこんな感じのイメージで合っている?”という確かめを積極的に行えたペアでした。
聴き手としての反省は、話しに引き込まれてしまって問いが尋問のようになっていた、相手が語ってくれたイメージをもっと広げることができた、という点。話し手としての反省は、相手が伝えてくれたイメージに沿って話しをしていく中で、私の純粋なイメージが浮かんでくるのを待ってからお伝えしてみたかった点。(このことは、振り返りの時間に相手の方が気づいて下さって、反省点として伝え合うことができました。)
午後の演習では、午前のペアに1名が加わった形のグループになりました。観察者を2回、話し手を1回、の演習になりました。午前のデモでも感じましたが、観察者の立場はとても勉強になりました。話し手と聴き手の表情やしぐさを観察する中で、聴き手が「このように感じたのですが…」と話し手に伝えたとき、すらすらと言葉が出てくるときもあれば、顔をしかめて悩むようなしぐさをされるときもあって、この、すらすらと言葉が出てこないときに、話し手は自分自身に問いかけながらその感覚やイメージをつかもうとしているような、これが“間”なのかな、ということを感じました。
聴き手が違和感を感じ取ったことを話し手に伝えたことで、語られなかった気持ちにぐっと踏み込んでいった、という場面も体験することができました。話し手としては、“今感じていること”をテーマにしました。聴き手の方が私の言葉1つ1つを丁寧に拾ってくれ、私が語る気持ちに言葉が沿っていない部分を、イメージを使って引き出してくれたように思います。話している途中でお互いのイメージが一致して、「ああ、私が感じた感情の正体はこれかも知れない」と感じられるような気づきを得て、自然と涙が溢れてきました。許されたような、そんな感覚がありました。聴き手の方が、出来事ではなく、私が感じた気持ちや感情にとことん寄り添って話しを聴いてくださったので安心して話すことができたのだと、終わってから改めて感じました。「こんなふうに感じた。」ということを率直に伝え合うことができた振り返りも、とても有意義な時間でした。
最後の全体の振り返りの時間に、「くたくたになって、これからも続けて行くのか(行けるのか)、と感じていた。」ということを言われた方がいました。この言葉は、心にずしんと響きました。1対1でクライアントと向き合う時間を重ねれば重ねるほど、年々増していくくたくた感。積み重ねの連続だということを実感するようになり、その地道さに気づくようになったのは、まだ最近のことです。正直気が遠くなるな、と思っている自分がいました。そのお話しの中で、「くたくた感の何倍も、そのことに意義がある。」という言葉を言ってくださった堅田先生、今日のセミナーを受講して私が感じた気持ちは、その言葉と一致しました。今一度その気持ちに正直になって、今後も真剣に取り組んでいきたいと思います。またぜひ参加させてください。
とても刺激的なセミナーでした。
相手の立場になって真剣に話を聴き、その方が真に伝えたいことを自分で考え整理し、真に伝えたいことを伝えてもらう。そうして出てきた言葉や気持ちを聴き手が真摯に受け止める。そして時には自分でも気付かなかったことに気付いてもらい、そこに自身が目を向け、自分で自分の心をいたわり、大切にしてもらう・・・。聞き手に恵まれるとはこういうことなのか!すごくホッとし、すごく気持ちが楽になり、気が晴れる時間となりました。この気持ち、大切にしたいと思います。そして私が関わる皆様にも、この気持ちを感じてほしい。そう強く思いました。胸がいっぱいです。貴重な経験をありがとうございました。
今回の学びではここでしか話せない話題について正直にお話をさせて頂きました。どうすれば自分の本音に出会えるか?そこも本気で考えました。セッションをご一緒してくださったかたへの先入観も手放しました。話す時は自分の心へ、聴く立場の時は相手の方の心へ。どれだけ寄り添えるか?が今回の大きな目標でした。
傾聴が出来た!という自分の満足度よりも、人の心が変わっていく様子や、相手の方とのやりとりの中に驚きと感動があります。ハーモニーとでもいうのでしょうか。『心地よさ』そんな感じです。普段どれだけ人の話を聴いていないか?どれだけ自分の気持ちに蓋をして話しているか?話せる状況をいかに作るか?この辺りの課題も見えてきました。
セミナーを終えた時、『さあ、日常にかえりますよ!』この合図で、日常にパチンと切り替えた時の『凛』とした気持ちが続くよう 学びをアウトプットしていきます。ありがとうございました
アドバンスセミナーは今日で3回目。私の中で、一歩前進できた時間になりました。
『ベンチに座って、相手の話を聴きながら同じ景色を見る』、このことがどういうことなのかを、もう一度自身の中で再確認することができたからです。
これまで堅田さんから、何度もこの言葉を聞いてきました。これまでも一緒なベンチに座っていた(つもり)、同じ景色を見てきた(つもり)自分だと感じていました。
今日は、午前中聴き手になったとき、上手くいかなかったと反省する自分がいました。相手の気持ちや感情を横に置いたまま、話し手の言葉の背景を知りたいと問いを重ねてしまったからです。話し手の表情、振り返りで返してくれた言葉から、聴き手である自分を振り返ったときハッと気付きました。自分軸だった、まだまだ足りない自分…と。そんな失敗を自覚し、午後は自分が聴き手となったとき、描いた景色に立つ相手の気持ちや感情を確認する伝え返しや問いを徹底的に意識していこうと自分で気持ちを切り替えました。ベンチに座りながら、そんな問いを重ねていくと、話し手が深めたかったことや、整理できていなかった思いを私も一緒にもっともっと考えてみたくなりました。そして、話し手が問いによって、自分の気持ちに問い直しをしている姿、それによって表情が変わっていく姿を目の当たりに見せてもらいました。何より、その過程の中で、ベンチから一緒に見ていた景色が変化していくことを体感しました。問いによって、こんなに変わるんだなということを、演習のあの時間の中で感じることができました。
『話を聴いてもらった人の中で何かが起こる』、それは、言葉にならなかった気持ちであったり、隠れていた自分の気持ちであったり、目には見えなかった自分自身の思いに気付きをもらうこと。
自分が話し手になったときも、聴き手から自分にハッとする問いを受けました。自分がこれまでそのことに向き合うことから逃げていた部分でした。自分の気持ちにまだまだ正直になれていないことに気付かされました。そんな自分を自覚できたことも、今日のセミナーの収穫です。聴き手になって、とことん自分に寄り添ってくれたペアの方、同じグループの方々に心から感謝いたします。そして何より、私が一番苦手だった『自分を見つめること』に躊躇しなくなりました。そして、自分の気持ちの切替えも少しずつ上手になってきたかな、と思える自分がいます。このセミナー、そして堅田さんに出会わせていただいたことを幸せに感じています。ありがとうございます。また、堅田先生はじめ、テッセンソンさま、西尾先生。運営にかかわってくださっている方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。
〈ベーシックス・アドバンス〉
1日目のベイシックスでは、今まで学んできたことを復習しながら受けました。「間を大切に」といった点を意識しました。同じグループの方が考えながらお話ししているときに生じる間が、苦にならず、対話から降りないということが体感としてわかった気がしました。相手軸に立って一緒に考えたりわかろうとしたりする姿勢が身に付きつつあると思う反面、意識していないとアドバイス志向や展開を予想しながらきいている(=自分軸)そんな部分もまだまだあるので、引き続き傾聴姿勢を学んでいきたいと思います。
確認するための問いについても意識して臨みました。自分軸ではなく、相手軸に立っているからこそ生じる疑問が浮かんできたので、それをそのまま言葉にすることを大事にしました。本気で話を聴く中で、初めて参加されたお相手の方が傾聴の魅力にどんどん引き込まれていく感じが伝わってきて一緒に嬉しい気持ちになりました。
自分が話し手になったときは、家族との時間について思うことを話しました。とことん聴いてもらう心地よさを思い出しながら、同時に自分自身が語る中で考えが整理させていきました。良い聴き手によって話し手である自分の考えが整理させていくことを感じました。11月は特に吃音に関する活動が頻繁にあり、それによって家族との時間が減ってしまうことへの葛藤がありましたが、福井座談会では終了後に家族と金沢合流して旅行を楽しんだこと、下伊那地域の学習会では妻の実家帰省をセットにしながら家族との時間も大切にできていることを思い出しました。私の活動に対して妻の理解があることや応援してくれていること、家族内ではきちんと話ができていて納得できていることを再認識することができました。職場の上司から、「家族を大切にしろ。吃音に関する活動を少しセーブしたらどうだ?何を大切にしたいか考えた方がいい」と言われたことで悶々とした気持ちがずっとありました。そうした気持ちや背景に気づけたことは大きかったです。吃音に関する活動や使命感はもちつつも家族を第一に考えていること、家にいる時間は息子と遊んだり家事をしたりしていること、現状について自分は納得できていることに気づけました。これらの気づきを大切にしながら1日目を終えることができました。
セミナー終了後はすぐにふり返りをした方がいいと思いつつ、すでに17時半を過ぎていたので家族との時間を優先しました。私が階段から降りてくるのを待っていた息子とたくさん遊び、夕ご飯を作り、息子とお風呂に入り、寝かしつけの後は妻と晩酌をしながら話をするといった感じで、家族との時間を大切にしながら過ごせました。自分の心の声を聴くといったことの意味について考える時間でした。
2日目のアドバンスはデモとして堅田先生に話を聴いてもらったことがとても大きかったです。その時は気づかなかったことが後からどんどん湧き出てきています。池の光景を出されたときはピンと来なかったのが、話を進めていく中で徐々に輪郭を帯びていきました。立場と役割の狭間にいることへの葛藤は1日目の流れから、素直な気持ちとして出てきました。ここ数年、吃音に関する活動や経験を積み重ねる中で色々なことを考えながら日々過ごしています。迷いや葛藤もある中で自分との対話はしているけれど、足りていない部分も大いにあったことに気づきました。
吃音に関係する活動(研修会や理解啓発など)を始めた当初は餅田先生や堅田先生の期待に応えたい、少しでも恩返しをしたいという気持ちが強かったです。その気持ちは今も抱いていますが少しずつ変化していることにも気づきました。自分の内なる声というか、使命や役割を強く感じる中で、私自身がやっていきたいという思いが強まっています。経験を語る場をたくさん頂く中で、手応えもあり、少なからず自信もついてきたことも大きいことだと感じています。経験を重ねる中で、吃音の理解授業は教育が担うべき大切な役割であり、自分がやらなければという気持ちを抱いています。職場の理解が得られているかといえば必ずしもそうではないけれど、理解者はいることに気づけたことは大きいです。
昨年度はことばの教室から異動してきたこともあり、吃音に関する活動への理解を年度始めに得られてのスタートでした。今年度は学校長も変わり、クラスの先生も初めての方ばかりなので、「ことばの教室から異動してきた、小諸養護学校1年目の髙山先生」ではなく、「小諸養護学校2年目。3年1組では唯一の残留職員の髙山先生」という立場のスタートでした。1学期は色々な苦しさと家族の諸々が重なり自分自身がいっぱいいっぱいでした。今のしんどさが続き、同じような状況に陥らないためにも今後どうしていくことが必要か考えていきたいと思います。
後から池をイメージする中で、実は小さな池で、自分の気持ち次第ではピョンっと飛び越えられることや周りをぐるっと歩いてもいいこと、俯瞰してみることで気持ちの部分による苦しさは軽減できることを感じました。周りは色々な考え方の人がいること、純粋に受け取ってくれる人ばかりではないこと、嫌味を言う人はどうしてもいること、その人自身が満たされていない部分が大きいこと、私の問題ではなくその人の問題であることなどを感じました。その一方、時間的に大変なことは現実としてあるのでそこの部分は何とかしていきたいと思います。吃音の活動の意義をきちんと伝えていくこと、私が我慢するだけではなく一定の理解は得る必要があることを感じています。
良い聴き手になろうとせず、とことん相手に寄り添い同じ光景を浮かべることに専念しました。伝え返しや確認するための問い、話を深めるための問いを意識したところ話がぐっと深まっていくことを感じました。聴き手に徹しているときは気づきませんでしたが、同じグループの皆様の言葉を受ける中でそうした点に気づくことができました。今回感じた手応えを忘れず、引き続き傾聴力を高めていきたいと思います。
(味方や理解者はクラスの中にもいることの気づき)
傾聴セミナーの翌日、NHKの番組収録のため昼過ぎに学校を出ました。出発前にクラスの子が、どこ行くの?と聞いてきました。その子の隣には理解のある先生がいました。「今日は吃音のお仕事があるから行ってくるね。」と答えると、「吃音のお仕事って何?」と返ってきました。隣にいた先生が笑いながら、「はは、そりゃそうなるわ。説明不足だね。」と言っていました。そこで、「Yさんみたいに『おおおはよう』とか『ゆゆゆゆな』ってなる吃音のお友達ってたくさんいるんだけど、おおおってなってた方がいいってお話ししたよね?そのことをもっと色々な人にわかってもらえるように色々な人にお話ししてくるんだよ。」と伝えました。それを聞いたYさんが笑顔になり、「そっか。先生がんばってね。いってらっしゃい」と言ってくれました。隣にいた先生も一緒に手を振りながら気持ちよく送り出してもらえました。傾聴セミナー直後の出来事です。自分は一人じゃない、職場の中にもわかってくれている人は確実にいる、と温かい気持ちで向かうことができました。
12月2日ベーシックス、3日アドバンスのセミナーに参加させていただきました。非常に気付きの多い二日間でした。これまで、相談を受ける際には最後は笑って終えるということは信条としてきました。しかし、セミナーを終え、振り返ってみると、あくまでそれは自分軸での考えであり、相手にもう一度話したいと思ってもらえる相談相手としてあれただろうか?と自問せずにはいられません。まだまだ私自身に馴染みにある「聴く」「傾聴する」という言葉に込められている意味の理解をセミナー後の現在もアップデートしている途上ではございます。セミナーで学んだスキルに関しても、今はまだなぞることに意識を向けてしまうのかもしれません。今回のセミナーのように実践の場で自身の言葉にしていく中で、視野・対応幅を拡げ、自然な反応として、活用していきたいと考えています。また、スキルだけでも傾聴は成立せず、話し手を理解しようとする自身の思いを相手に馳せることは忘れないように今後肝に銘じていきたいと、研修後の熱を帯びた状態の私は感じています。
本当の意味で、話を聞き入れられた話し手が得るエネルギーがどういったものであるのか、すとんと心に落ち着くイメージを持ち、言語化していくことは、実際に自身の言葉で傾聴という言葉を話せるようになったときなのかもしれません。しかし、今回傾聴セミナーに参加させていただいたことで、誰かにとって本当の意味で良き相談者となれるきっかけをいただけたということは確信しています。セミナーでは、セッション演習を通して、誰しもに様々な迷いや心に秘めたことがあり、聴き手としてだけでなく、話し手としても心の整理が出来たように感じています。それは姿勢を正し、傾聴してくださった受講者の方あってのことでした。非常に有意義なセミナーを開催いただき、堅田先生、運営メンバーの方々、ペアワーク、グループワークでともに過ごした受講者の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。
「聞き方」を教えてもらえるセミナーというイメージで気楽に申し込みましたが、想像していなかった時間を過ごすことになりました。
「傾聴」のためのいくつかのルールを学びいざ実践してみると、これまで自分が「傾聴」と思って聞いていた姿勢との違いを実感しました。傾聴に努めていたつもりでしたが、「評価のために」「解決のために」「相手が話したそうだから」自分が聞きたいことを聞こうとしていた、あるいは聞き流していたこともあったかも知れません。そこに気づいたことで自分軸と相手軸の違いが少し理解できたような気がします。相手軸で聞き続けることは簡単なことではありませんでしたが、瞬間的に相手の話に全感覚を投入して聞くことができたのは大きな経験でした。また話し手になった際は、自分に触れ、その手触りを感じたり探ったりすることが絶対的に許されている感覚をもたらしてくれました。そして自由な思考、気づき、それを言葉に紡いでみたいという気持ちになっている自分がいました。聞いてもらえることで自分自身が発電し始めたような不思議な変化でした。そして話した後には充分に充電された感覚がありました。
「傾聴」に触れると自らを導く力を引き出されるのか、引き出せるように触れるのか、ちょっと言葉に表現しきれない感覚です。その時間と場を共有するというか、提供すると言うか、そんな理解をした二日間でした。自らを導く力にご自身が気づかれて、ご自身の足で立って歩んで行かれる姿が想像されました。実践の渦中にあると客観的に見られないのが難しいところですが、折に触れ傾聴に努めていきたいと思います。どうもありがとうございました。
「人の話を聴く」ということについて、このセミナーで継続的に学ばせていただいてきたこともあって、自分なりにではありますが、少しずつ成長と言えるようなものが感じられるようになってきたと思っていました。もちろんセミナーに参加するたびに課題も見つかるのですが、それをまた演習を通して学び直し、その後の実践の場で付け加えたり、修正したりして、また変化させていく。この何年間か、そうやって気づき、学び、実践し、また気づかされて、学び直し、修正して...ということをくり返してきました。
しかし、そんな風にセミナーに継続的に参加させていただくことが、当たり前のようになっていたなかで、今回あらためて「ハッと」気づかされたことがありました。
それは、これまで傾聴セミナーに参加させていただいている中で、初めて参加される方とご一緒に演習をさせていただくことも多くなり、どこかに、その方にまた続けて参加したいと思っていただけるように...といった不遜な気負いがあったのかもしれないとういことです。自分が「話し手」になった時に、自分が本当に何を話したいかではなく、何を話すべきか、どういう話がよいのかという視点で内容を選んでいたことに気付かされました。思えば、ここ数年、自分は何を話してきたのだろうと改めて考えたとき、あまり思い出せませんでした。それに気づいた時、正直、恥ずかしい気持ちになりました。
それに気づいた二日目のアドバンスの最後の演習で、久しぶりに、もしくは初めてと言ってもよいかもしれませんが、本当に今自分が話したいこと、聴いてほしいと思っていることを話してみました。それができたのは、自分が話し手になる順番が最後だったということもあります。1回目、2回目の演習を通して、この方たちに今自分が本当に話したいことを聴いてもらいたいという気持ちになりました。
話してみて、聴き手の方が真剣に考えこみ、言葉を選んで、長い間の後で伝え返しをしてくださる姿や、観察者の方が目を閉じて険しい表情で、思い浮かんだ情景を伝えてくださった姿。画面越しに体感したその光景は、忘れられないものとなりました。「こんなに聴いてもらえた」まさにその経験でした。素晴らしい聴き手に恵まれることの安堵感を改めて実体験でき、対人援助職として、こういう聴き手にならなければいけない、話し手の方にこの感覚を味わってもらえる聴き手にならなければ、そうなりたいと強く感じました。
次回のセミナーまでの間、今回の経験を仕事の中でたくさん還元できるようまたチャレンジしてみます。そしてまた皆さんとお会いして学び合えることを楽しみにしています。どうもありがとうございました。
ベーシック、アドバンス両日参加は2度目となります。私は主にごく限られた人たち、公私共に過ごす時間の多い夫やその関係者に対するコミュニケーションの質を高めるべく、今回もベーシックから受講しました。傾聴を学ぶ前と比べ、ありがたいことに現在は少しずつ夫との会話の質が変化しているのに気づけるようになっていました。
過ごす時間の長い人間関係は、そうでないのと比べて会話に感情が無意識に込められてしまい、時に遠慮のない言い合いまで発展してしまうことが多くて現在悩んでおります。これは仕事関係者でも同じで、いかに話のしやすい場を設けられるか…それは私自身の気持ちを整えられるか、といったことが私のできる精一杯のことなのだろうと考え、学びのモチベーションになってる側面もあるかと思います。
今回は、私のイメージの使い方を独りよがりにならず、もっと話し手に寄り添ったものにすることと、少し苦手な「問い/質問」も意識しようとやってみました。イメージについて、これは(具体的には夫ですが)私がイメージで伝えても理解してもらえないことが多く、それよりも相手にとって記憶の中にありそうなことを材料にして「たとえ話」にする方が何かを思い出してくれることが多いような気がして、セミナーでもこの練習をしてみました。今回はその手応えを感じさせて頂いたと思いました。問いや質問に関しては、私が話し手の時に質問されたことで、まるで「助けの手を差し伸べてもらえたかのような嬉しさ」を感じることができました。その時の聴き手の方はご自身が聞きたいだけではないかと仰ってたのですが、私にとってはよくぞそこを聞いてくださったという気持ちだったんです。
聞いていただけたから、話してもいいのかなと、それだけでも気持ちが軽くなった感覚が本当に嬉しかったです。それはたぶん、日頃から話し過ぎてしまう自分を我慢していたからかもしれません。このことから、問いや質問の意味や効果が少し理解できたように思えました。問いや質問も「より良い道具」として身につけたいなと思いました。
セミナーでの実践の場を通して、少しずつ自分の課題もはっきりわかるようになってきたのが今回の大きな収穫です。それは無我夢中でとりあえずやってみる段階から、登る階段を「意識して登る」感覚に変わったという手応えです。
この度も学びの場を設けてくださいました堅田さん、私とご一緒していただきました参加者の皆様に感謝申し上げます。良い時間をありがとうございました。
聴き手として「相手軸に立って、話し手の人となりを、何かに置き換える」ことに、とにかく集中した時間でした。
相手の話を聴く際の、自分の価値観や倫理観といった”常識”を一旦置くための「スイッチを切り替える」ことをする重要性を肌で感じましたし、そうすることで、相手の脳をトレースできる感覚をわずかながらも実感することができました。いつも使っている脳の部分とは違う箇所を使う感触で、不思議な時間でした。
相手の頭の中の光景を、問いと確認で再構築していく過程は、くたくたになるものでしたが、その糸口は多少なりとも掴めたのかもしれません。イメージを共有させて頂いたグループメンバーから「鋭い」など、ポジティブな感想を頂きましたので、「できた」足掛かりの1つとして、これからさらに伸ばしていければなと思います。
また、話し手としては、初日にお悔みで中座し、その気持ちをひきずったまま、セッションに戻らせて頂きましたが、その複雑な想いですら、受け止めて頂けるなど、聴き手に大変恵まれました。ぐちゃぐちゃな気持ちに寄り添って頂き、自分が何を伝えたかったのか、何を故人からギフトとして受け取ることができたのか、が明確になっていく過程は何ものにも代えがたい貴重な体験であり、学びでした。さらに2日目の午前のセッションが忘れられません。家族の話をさせて頂いたのですが、聴き手の方の言い得て妙の共有イメージが、昼食以降もじわじわと胸に広がっていく感覚を覚えました。そこから「あぁ、こういうことだったのだな」「それが自分が見ていた景色か」「この考えや感覚は、あの考えを保たたせるために必要なだけであって、事実とは異なるのかもなぁ」など、自らの考えが深まり、イメージが再構築されていったのです。堅田先生の「時間的制約がある中で、必ずしも解決策を示す必要はない」とおっしゃっていた意味を身を持って感じることができました。
2日間、貴重な学びの数々をありがとうございました。聴き手へ感謝するとともに、中座を伴う不規則な参加をご快諾くださり、堅田先生および事務局の皆さまに改めて厚く御礼申し上げます。またご縁がありますことを。
今回は初めて参加される方のなかに、ベーシックスとアドバンスを続けて受講された方がいらっしゃいました。アドバンスの全体会で続けて参加された方のふり返りのことばを拝聴していて、今回はこれまで以上に、受講者の方の学びの深まりがあったように思いました。初めての方の力量が高かったこともあるのでしょうが、私は、初めての参加者を受け入れるリピーターの姿勢や言動の影響も実は大きかったのではないかということを感じました。つまり、堅田先生がいつも「場を一緒につくっていきましょう」といわれていますが、初めての方にとっては、リピーターの方々の襟を正して真剣に演習に取り組まれているその姿勢から、そして、リピーターの方にとってもまた真剣に傾聴について学びたいという初めての方の思いに影響を受けたのではないかと思ったのです。特に、今回のアドバンスは本当に質の高い、真剣に学びたいという気概にあふれたセミナーだったように思いました。
私自身、昨年から少しずつ、スタッフの裏方として本セミナーをお手伝いさせていただくようになり、これまで一受講者として参加していた時とはまた違う気持ちでセミナーを受講するようになってきています。私自身はこのセミナーの古株であり、10回以上もベーシックスを受けているので、もうアドバンスだけでもいいかなぁと思うことも正直ありますが、やはり出会う相手の方が異なるとまた異なる学びがありますし、今日出会うべくしてこの方に出会えたのだ、と思える時もあります。自分と似たような体験や境遇のなかでの話し手のお気持ちや考え方、気づきを知ること、そこに立ち会えているということへの感謝はベーシックスであってもアドバンスであっても変わりません。ただ、今回のベーシックスでは、初めての方とのセッションのなかでこれまでとは違う心情が出てきました。演習をする前に、堅田先生はルールとしていつも「今日は聴き手の方は、自分の話をするのではありませんよ、アドバイスや助言は一切止めてくださいね」と念押しされます。にもかかわらず、セッションのなかでそのルールを守ることが難しく、アドバイスはするわ、自分の話を始めるわの聴き手に出会ったとき、以前の私であれば、自分の話をきちんと聴いてもらえた感じがせず、もやもやしてしまうこともありましたし、あからさまに表情も戸惑ったような、くもってていたような感じになってしまっていたと思います。一受講者としてなんとも腹のふくれない、損をしたような気持ちになることもありました。しかし、今回は、ルールは理解されているのですが、これまで染みついてしまった話の聴き方をすぐに修正していくには難しく、「あ、これもアドバイスですよね」「あ、また、自分の話してしまいました」と謝り、苦戦しながらも自分の聴き方に一生懸命に向き合っておられるお姿を目の当たりにして、私は逆にその方の語りをしっかり聴いてみようと切り替えることにしたのです。聴きながら、自分自身に問いかけたり、響かせてみたりしたのです。そうすると、自分が本当は何を求めていたのかにはっと気づくことができ、そのことをお伝えしました。すると、聴き手の方も私の思考に役立ててよかったという感じで嬉しそうにされていました。そして、私も初めての方とセッションするときのサポート、応援ができたような気持ちになりました。自分もかつてそうだったように、誰でも初めからすぐにうまくできるわけではありません。それでも一生懸命に取り組んでおられるときの対応するリピーターとしての姿勢や言動はどうだったのか、リピーターとして初めての方の学び続けようとする原動力になるような応援をすべきではなかったのかと思いました。そのあと、その方が再度聴き手となられた時、語り手の方の内容のおもさ、深さもありましたが、ルールを守ってしっかり聴こうとされている姿勢に大きく変容されていました。私は、ベーシックスに臨む話し手としてのこれまでの自分の姿勢や言動はどうだったのだろうとふり返ると、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。もちろん、初めて学ぶ方でも光景を浮かべたり、話すテンポだったりがとても素晴らしい方もおられますが、これまで染みついてしまっている話の聴き方は意識してもなかなか難しいのはむしろ当然のことです。
今回、初めてリピーターとしての立ち位置を考えるきっかけにもなりました。また、アドバンスでは午後のグループセッションの自己紹介のときに、「午前中で感じたこと、思ったこと」について話したのですが、その点についてグループ内で深めていくプロセスにぞくぞくしました。「さすがアドバンス!」と感じました。ベーシックスから続けて参加された初めての方も思わずひきこまれた感じでいっぱい語ってくださいました。そんな様子を見た私は、自分が話し手の時に、ついついこの傾聴セミナーの出会いからの自身の変容について熱く語ってしまいました。なんだかすっかりスタッフの一員になってしまっている自分にひとりおかしく思いました。さらに、全体会のふり返りで同じグループの方から「聴き手に恵まれるとはこういうことなのか!と思いました。すごくほっとしたし、気持ちが楽になり、自分の心をいたわり、大切にできました。私が関わる皆様にも、この気持ちを感じてほしい、、」とおっしゃったのを聴いて、本当にコツコツと積み上げてきてよかったと私にとっては本当に嬉しい言葉でした。傾聴セミナーで、何度も壁にぶつかったような気持ちや落ち込んだ気持ちになった時もありましたが、確実に一歩ずつ成長できているのかもと思えました。そのセッションに観察者として立ち会ってくださった初めての受講者の方にとっても共有できた貴重な時間になったのではないかと思いました。心を揺さぶり、もっと傾聴について本格的に学びたいと思っていただけたなら、古株としての存在価値もあるのかなぁと思いました。スタッフとしての役割を担うようになったからこそ、どの受講者にとっても参加して本当によかったと思っていただきたいし、本気で学びたいと思う参加者のお気持ちが結集したセミナーの場を皆様とご一緒にこれからも作っていけたらと思いました。今回は堅田先生が「質問コーナー」を作ってくださいました。そこでのやりとりも、そして、全体会でのやりとりも本当にレベルが高く、とても贅沢な時間を共有できることに幸せを感じました。終わってから感じるさまざまな思いがまた、次回のセミナーにつながっていくこと、そしてまた皆様とお会いしたい、またご一緒に学び合えればと強く願いました。ありがとうございました。
ぐっすり眠れた朝の爽快感は格別です。
コーヒーを淹れようかと思いながら、ふと「おさ湯」にしてみました。ホッとします。からだが喜んでくれているようです。(このからだが元気でいてくれるからエネルギッシュに何事にも取り組めるんだなあ)そう思うと愛おしくなります。痛みや不快感といったからだからのメッセージをきちんと聴こうとこれまで意識してきました。そのおかげでしょうか、防げたこと、大事に至らなかったこともありました。そんなからだに感謝したいです。
2023年の締めくくりに第2回の傾聴セミナーを開くことができました。ご参加いただける皆様にとって最高の舞台で躍動していただければという気負いで準備を重ねてきました。その一方で、メールの確認が遅れてしまったり、ふり返りシートが送れていなかったりと大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありませんでした。
今回は両コースともに目標を明確にお示しすることができたこと、デモを担ってくださった西尾さん、髙山さんとの対話がすばらしく、参加者の皆様にことばを超えて伝わっていくものが多々あったことと想います。今回、内容的に大きくブラッシュアップできたことを実感しています。
ベーシックスでは、ルールと基本姿勢を意識しながら徹底的に話し手になろうとするために光景を浮かべる努力をすることに集中しました。それは日頃の聴き方の癖を横に一旦置いて、真っ新に聴くことに徹する体験でした。リセットしてみる、初心に返ってみる、そうした経験によってはじめてご自身のこれまでのスタイルを俯瞰することができたのではないかと思います。不安であるし、できなくなってしまうかもしれない、えらくぎくしゃくしてしまうかもしれない、できていない自分を見せたくない、なによりもこれまでのスタイルの方が楽だし、そうした理由によってこれまでのスタイルを手放せないでいるご自身のことを感じられた方がいらっしゃったのではないでしょうか。「徹底的に相手になってみて光景を浮かべる」は、話し手の傍でじっと居続ける姿勢そのものに通ずるのではないかと思います。まさにプレゼンスの根幹ではないかと。
アドバンスでは、出てきた光景を確かめるための問い(伝え返し)と、話し手と聴き手の共同作業による焦点化(深めていくため)のための問いの2つを練習しました。後者の問いはベーシックスを徹底的に身に付けられた後からしっかりと学んでいただきたいものです。下手に急ぎすぎますと焦点化の問いは聴き手の自分軸に立った問いとなってしまい、その自覚のないまま一方的な対話を推し進めてしまう危惧があるからです。一緒に見ようとする光景なのか、探ってみたい、もう少し深めていきたいと思う事象なのか、確認をしながら丁寧に進めていこうとする、そうした問いはときにハッとさせられ、これまでにない大きな気づきがもたらされることでしょう。
今回、皆様のふり返りを拝読し、そうした気づきの数々を読み取ることができました。まずは徹底的に聴いてもらえたという実感、そのことがあって、ご自身が体験された心地よさを聴き手の方にも感じてもらいたい、そのための寄り添い、そうできているご自身のことを愛おしく感じられたのではないでしょうか。
皆様とつくりあげることができましたセミナー、とても貴重なお時間をご一緒させていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。頂戴しましたふり返りを掲載いたしました。読みごたえがあります。
来年、グループ・エンカウンター・セミナーでまたスタートを切りたいと思います。両コースの応用編として、そして日常の業務や大切な方との対話で活かせるスキルを今一度ご一緒に学んでまいりましょう。私も初心に戻ります。
〈ベーシックス〉
私は人の話を聞くのが大好きで、自分の話をするのは苦手です。“話すのは疲れるなぁ”と常々感じております。仕事柄それはあまりデメリットではなく、むしろメリットになると思っていました。しかし傾聴セミナーに参加してみると、話を聞くという行為には自分が全部映し出されてしまうということを感じました。少し怖くもありました。
午後から行われた演習では聞き手になりました。話し手の方がご自分の最近の状況のことや新しい土地に移り住んでからの周りの人とのご縁の話をしてくださいました。少し間を取りながらお話し下さいました。『間だ!』 間を待つのがとても苦手な私です。予め『間を大切に』『間をとりつくろわない』とのアドバイスを受けておりました。『待たねば』『いつまで待つの?』頭の中でこの2つがグルグルします。いつもの自分より少しは待ったつもりでした。演習終わりのふりかえりでも「間を待てたと思う」と言いました。 しかし時間が経って振り返ると、あの『間』は話し手の方が次に話すことをじっくり考えていらした『間』であって、私の質問により話の展開が変わってしまった可能性があるのではないか、何も言わず待つべきではなかったか、と反省点しきりです。また『話し手の人となりを何かに置き換えてみる』では話し手を「ナウシカにでてくるオウム。触手を伸ばして色々な方と縁をつないでいるみたい。オウムの触手は相手の傷も癒やす、そのイメージが浮かんだ」と伝えました。自分としてはぴったりの表現だ、と思いましたが、話し手がナウシカの映画をご存知ではなかったら「オウム?何それ?」と思われたかもしれません。もっと誰にでもわかる物に例えるのが話し手への配慮だと今気付かされています。
学んだ嬉しさもありました。参加者の質問に対して堅田先生が「それ、大事なところですよね」と一言添えてからお答えになっておられました。質問するときは結構緊張があります。研修会で「何をおっしゃりたいのか良くわかりませんね」と言われたこともあります(これはSTとして下手な質問をしたから当然です)。質問を肯定されるって嬉しいことですね。何十年もこんな素敵なことばを使わずに仕事をしてきました。これからでも遅くない、1ミリでも学んで話し手のことばを聞きたい、と思いました。貴重な1日でした。お付き合いいただいた皆様に感謝しております。
〈アドバンス〉
本日はありがとうございました。傾聴セミナーは、自分にとって“節目”のような気持ちで毎回参加させていただいています。今回も、この日を心待ちにしていました。
演習の前のデモンストレーションのときから、すでに没入感(イメージの中に引き込まれるような感覚)を感じていたことと、話し手の表情や間を一緒になって感じているような感覚がありました。今回は、
・間を怖がらないで大切にしたい
・浮かんだイメージを、考えすぎないでそのまま相手に伝え返してみたい
・話す速度を落とそう
・答えなきゃと焦らないで、悩みながら答えてみよう
・話しをきれいにまとめようとしないで、率直な気持ちや感情を話したい
という前回のセミナーでの反省点を、聴き手としても話し手としても意識しながら演習に取り組みたいと思っていました。
午前中のペアの方との自己紹介の時間で、お相手が私のイメージを色や花で例えて下さったときに、「私が大好きな明るい色だ。うれしい!あれ?今気づいたけど、その色って私が憧れてきた色なのかも知れないな…私の自己イメージってもっと暗い色なのかも…。」と、そんな気持ちがふと浮かんできたので、そのまま相手の方にお伝えしてみました。そこで対話が生まれたことで気づきがありました。
演習で聴き手になったときに、私が“鍵のかかった「扉」を開けるイメージ”で表現したことを、話し手の方が、“「高い壁」があってそこから入ってこられるイメージ”と表現し直してくださったときに、「ああ、高い壁のイメージだったんだ。扉は自分の意思で開け閉めができるけれども、壁は壊れたり壊さなければそこにずっとあり続けるもんな。そうか、私が感じたイメージよりも、もっともっと息苦しくて重たい感じがするな…。」イメージを伝えて、伝え返してもらうことで、お互いのイメージするものが近くなっていき、その中に一緒に入っていける。まさにそんな体験をさせていただいたように思います。
私が話し手になったときにも、「階段…その階段って直線で段になっている?それとも、螺旋階段かな…」というような、“それってこんな感じのイメージで合っている?”という確かめを積極的に行えたペアでした。
聴き手としての反省は、話しに引き込まれてしまって問いが尋問のようになっていた、相手が語ってくれたイメージをもっと広げることができた、という点。話し手としての反省は、相手が伝えてくれたイメージに沿って話しをしていく中で、私の純粋なイメージが浮かんでくるのを待ってからお伝えしてみたかった点。(このことは、振り返りの時間に相手の方が気づいて下さって、反省点として伝え合うことができました。)
午後の演習では、午前のペアに1名が加わった形のグループになりました。観察者を2回、話し手を1回、の演習になりました。午前のデモでも感じましたが、観察者の立場はとても勉強になりました。話し手と聴き手の表情やしぐさを観察する中で、聴き手が「このように感じたのですが…」と話し手に伝えたとき、すらすらと言葉が出てくるときもあれば、顔をしかめて悩むようなしぐさをされるときもあって、この、すらすらと言葉が出てこないときに、話し手は自分自身に問いかけながらその感覚やイメージをつかもうとしているような、これが“間”なのかな、ということを感じました。
聴き手が違和感を感じ取ったことを話し手に伝えたことで、語られなかった気持ちにぐっと踏み込んでいった、という場面も体験することができました。話し手としては、“今感じていること”をテーマにしました。聴き手の方が私の言葉1つ1つを丁寧に拾ってくれ、私が語る気持ちに言葉が沿っていない部分を、イメージを使って引き出してくれたように思います。話している途中でお互いのイメージが一致して、「ああ、私が感じた感情の正体はこれかも知れない」と感じられるような気づきを得て、自然と涙が溢れてきました。許されたような、そんな感覚がありました。聴き手の方が、出来事ではなく、私が感じた気持ちや感情にとことん寄り添って話しを聴いてくださったので安心して話すことができたのだと、終わってから改めて感じました。「こんなふうに感じた。」ということを率直に伝え合うことができた振り返りも、とても有意義な時間でした。
最後の全体の振り返りの時間に、「くたくたになって、これからも続けて行くのか(行けるのか)、と感じていた。」ということを言われた方がいました。この言葉は、心にずしんと響きました。1対1でクライアントと向き合う時間を重ねれば重ねるほど、年々増していくくたくた感。積み重ねの連続だということを実感するようになり、その地道さに気づくようになったのは、まだ最近のことです。正直気が遠くなるな、と思っている自分がいました。そのお話しの中で、「くたくた感の何倍も、そのことに意義がある。」という言葉を言ってくださった堅田先生、今日のセミナーを受講して私が感じた気持ちは、その言葉と一致しました。今一度その気持ちに正直になって、今後も真剣に取り組んでいきたいと思います。またぜひ参加させてください。
とても刺激的なセミナーでした。
相手の立場になって真剣に話を聴き、その方が真に伝えたいことを自分で考え整理し、真に伝えたいことを伝えてもらう。そうして出てきた言葉や気持ちを聴き手が真摯に受け止める。そして時には自分でも気付かなかったことに気付いてもらい、そこに自身が目を向け、自分で自分の心をいたわり、大切にしてもらう・・・。聞き手に恵まれるとはこういうことなのか!すごくホッとし、すごく気持ちが楽になり、気が晴れる時間となりました。この気持ち、大切にしたいと思います。そして私が関わる皆様にも、この気持ちを感じてほしい。そう強く思いました。胸がいっぱいです。貴重な経験をありがとうございました。
今回の学びではここでしか話せない話題について正直にお話をさせて頂きました。どうすれば自分の本音に出会えるか?そこも本気で考えました。セッションをご一緒してくださったかたへの先入観も手放しました。話す時は自分の心へ、聴く立場の時は相手の方の心へ。どれだけ寄り添えるか?が今回の大きな目標でした。
傾聴が出来た!という自分の満足度よりも、人の心が変わっていく様子や、相手の方とのやりとりの中に驚きと感動があります。ハーモニーとでもいうのでしょうか。『心地よさ』そんな感じです。普段どれだけ人の話を聴いていないか?どれだけ自分の気持ちに蓋をして話しているか?話せる状況をいかに作るか?この辺りの課題も見えてきました。
セミナーを終えた時、『さあ、日常にかえりますよ!』この合図で、日常にパチンと切り替えた時の『凛』とした気持ちが続くよう 学びをアウトプットしていきます。ありがとうございました
アドバンスセミナーは今日で3回目。私の中で、一歩前進できた時間になりました。
『ベンチに座って、相手の話を聴きながら同じ景色を見る』、このことがどういうことなのかを、もう一度自身の中で再確認することができたからです。
これまで堅田さんから、何度もこの言葉を聞いてきました。これまでも一緒なベンチに座っていた(つもり)、同じ景色を見てきた(つもり)自分だと感じていました。
今日は、午前中聴き手になったとき、上手くいかなかったと反省する自分がいました。相手の気持ちや感情を横に置いたまま、話し手の言葉の背景を知りたいと問いを重ねてしまったからです。話し手の表情、振り返りで返してくれた言葉から、聴き手である自分を振り返ったときハッと気付きました。自分軸だった、まだまだ足りない自分…と。そんな失敗を自覚し、午後は自分が聴き手となったとき、描いた景色に立つ相手の気持ちや感情を確認する伝え返しや問いを徹底的に意識していこうと自分で気持ちを切り替えました。ベンチに座りながら、そんな問いを重ねていくと、話し手が深めたかったことや、整理できていなかった思いを私も一緒にもっともっと考えてみたくなりました。そして、話し手が問いによって、自分の気持ちに問い直しをしている姿、それによって表情が変わっていく姿を目の当たりに見せてもらいました。何より、その過程の中で、ベンチから一緒に見ていた景色が変化していくことを体感しました。問いによって、こんなに変わるんだなということを、演習のあの時間の中で感じることができました。
『話を聴いてもらった人の中で何かが起こる』、それは、言葉にならなかった気持ちであったり、隠れていた自分の気持ちであったり、目には見えなかった自分自身の思いに気付きをもらうこと。
自分が話し手になったときも、聴き手から自分にハッとする問いを受けました。自分がこれまでそのことに向き合うことから逃げていた部分でした。自分の気持ちにまだまだ正直になれていないことに気付かされました。そんな自分を自覚できたことも、今日のセミナーの収穫です。聴き手になって、とことん自分に寄り添ってくれたペアの方、同じグループの方々に心から感謝いたします。そして何より、私が一番苦手だった『自分を見つめること』に躊躇しなくなりました。そして、自分の気持ちの切替えも少しずつ上手になってきたかな、と思える自分がいます。このセミナー、そして堅田さんに出会わせていただいたことを幸せに感じています。ありがとうございます。また、堅田先生はじめ、テッセンソンさま、西尾先生。運営にかかわってくださっている方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。
〈ベーシックス・アドバンス〉
1日目のベイシックスでは、今まで学んできたことを復習しながら受けました。「間を大切に」といった点を意識しました。同じグループの方が考えながらお話ししているときに生じる間が、苦にならず、対話から降りないということが体感としてわかった気がしました。相手軸に立って一緒に考えたりわかろうとしたりする姿勢が身に付きつつあると思う反面、意識していないとアドバイス志向や展開を予想しながらきいている(=自分軸)そんな部分もまだまだあるので、引き続き傾聴姿勢を学んでいきたいと思います。
確認するための問いについても意識して臨みました。自分軸ではなく、相手軸に立っているからこそ生じる疑問が浮かんできたので、それをそのまま言葉にすることを大事にしました。本気で話を聴く中で、初めて参加されたお相手の方が傾聴の魅力にどんどん引き込まれていく感じが伝わってきて一緒に嬉しい気持ちになりました。
自分が話し手になったときは、家族との時間について思うことを話しました。とことん聴いてもらう心地よさを思い出しながら、同時に自分自身が語る中で考えが整理させていきました。良い聴き手によって話し手である自分の考えが整理させていくことを感じました。11月は特に吃音に関する活動が頻繁にあり、それによって家族との時間が減ってしまうことへの葛藤がありましたが、福井座談会では終了後に家族と金沢合流して旅行を楽しんだこと、下伊那地域の学習会では妻の実家帰省をセットにしながら家族との時間も大切にできていることを思い出しました。私の活動に対して妻の理解があることや応援してくれていること、家族内ではきちんと話ができていて納得できていることを再認識することができました。職場の上司から、「家族を大切にしろ。吃音に関する活動を少しセーブしたらどうだ?何を大切にしたいか考えた方がいい」と言われたことで悶々とした気持ちがずっとありました。そうした気持ちや背景に気づけたことは大きかったです。吃音に関する活動や使命感はもちつつも家族を第一に考えていること、家にいる時間は息子と遊んだり家事をしたりしていること、現状について自分は納得できていることに気づけました。これらの気づきを大切にしながら1日目を終えることができました。
セミナー終了後はすぐにふり返りをした方がいいと思いつつ、すでに17時半を過ぎていたので家族との時間を優先しました。私が階段から降りてくるのを待っていた息子とたくさん遊び、夕ご飯を作り、息子とお風呂に入り、寝かしつけの後は妻と晩酌をしながら話をするといった感じで、家族との時間を大切にしながら過ごせました。自分の心の声を聴くといったことの意味について考える時間でした。
2日目のアドバンスはデモとして堅田先生に話を聴いてもらったことがとても大きかったです。その時は気づかなかったことが後からどんどん湧き出てきています。池の光景を出されたときはピンと来なかったのが、話を進めていく中で徐々に輪郭を帯びていきました。立場と役割の狭間にいることへの葛藤は1日目の流れから、素直な気持ちとして出てきました。ここ数年、吃音に関する活動や経験を積み重ねる中で色々なことを考えながら日々過ごしています。迷いや葛藤もある中で自分との対話はしているけれど、足りていない部分も大いにあったことに気づきました。
吃音に関係する活動(研修会や理解啓発など)を始めた当初は餅田先生や堅田先生の期待に応えたい、少しでも恩返しをしたいという気持ちが強かったです。その気持ちは今も抱いていますが少しずつ変化していることにも気づきました。自分の内なる声というか、使命や役割を強く感じる中で、私自身がやっていきたいという思いが強まっています。経験を語る場をたくさん頂く中で、手応えもあり、少なからず自信もついてきたことも大きいことだと感じています。経験を重ねる中で、吃音の理解授業は教育が担うべき大切な役割であり、自分がやらなければという気持ちを抱いています。職場の理解が得られているかといえば必ずしもそうではないけれど、理解者はいることに気づけたことは大きいです。
昨年度はことばの教室から異動してきたこともあり、吃音に関する活動への理解を年度始めに得られてのスタートでした。今年度は学校長も変わり、クラスの先生も初めての方ばかりなので、「ことばの教室から異動してきた、小諸養護学校1年目の髙山先生」ではなく、「小諸養護学校2年目。3年1組では唯一の残留職員の髙山先生」という立場のスタートでした。1学期は色々な苦しさと家族の諸々が重なり自分自身がいっぱいいっぱいでした。今のしんどさが続き、同じような状況に陥らないためにも今後どうしていくことが必要か考えていきたいと思います。
後から池をイメージする中で、実は小さな池で、自分の気持ち次第ではピョンっと飛び越えられることや周りをぐるっと歩いてもいいこと、俯瞰してみることで気持ちの部分による苦しさは軽減できることを感じました。周りは色々な考え方の人がいること、純粋に受け取ってくれる人ばかりではないこと、嫌味を言う人はどうしてもいること、その人自身が満たされていない部分が大きいこと、私の問題ではなくその人の問題であることなどを感じました。その一方、時間的に大変なことは現実としてあるのでそこの部分は何とかしていきたいと思います。吃音の活動の意義をきちんと伝えていくこと、私が我慢するだけではなく一定の理解は得る必要があることを感じています。
良い聴き手になろうとせず、とことん相手に寄り添い同じ光景を浮かべることに専念しました。伝え返しや確認するための問い、話を深めるための問いを意識したところ話がぐっと深まっていくことを感じました。聴き手に徹しているときは気づきませんでしたが、同じグループの皆様の言葉を受ける中でそうした点に気づくことができました。今回感じた手応えを忘れず、引き続き傾聴力を高めていきたいと思います。
(味方や理解者はクラスの中にもいることの気づき)
傾聴セミナーの翌日、NHKの番組収録のため昼過ぎに学校を出ました。出発前にクラスの子が、どこ行くの?と聞いてきました。その子の隣には理解のある先生がいました。「今日は吃音のお仕事があるから行ってくるね。」と答えると、「吃音のお仕事って何?」と返ってきました。隣にいた先生が笑いながら、「はは、そりゃそうなるわ。説明不足だね。」と言っていました。そこで、「Yさんみたいに『おおおはよう』とか『ゆゆゆゆな』ってなる吃音のお友達ってたくさんいるんだけど、おおおってなってた方がいいってお話ししたよね?そのことをもっと色々な人にわかってもらえるように色々な人にお話ししてくるんだよ。」と伝えました。それを聞いたYさんが笑顔になり、「そっか。先生がんばってね。いってらっしゃい」と言ってくれました。隣にいた先生も一緒に手を振りながら気持ちよく送り出してもらえました。傾聴セミナー直後の出来事です。自分は一人じゃない、職場の中にもわかってくれている人は確実にいる、と温かい気持ちで向かうことができました。
12月2日ベーシックス、3日アドバンスのセミナーに参加させていただきました。非常に気付きの多い二日間でした。これまで、相談を受ける際には最後は笑って終えるということは信条としてきました。しかし、セミナーを終え、振り返ってみると、あくまでそれは自分軸での考えであり、相手にもう一度話したいと思ってもらえる相談相手としてあれただろうか?と自問せずにはいられません。まだまだ私自身に馴染みにある「聴く」「傾聴する」という言葉に込められている意味の理解をセミナー後の現在もアップデートしている途上ではございます。セミナーで学んだスキルに関しても、今はまだなぞることに意識を向けてしまうのかもしれません。今回のセミナーのように実践の場で自身の言葉にしていく中で、視野・対応幅を拡げ、自然な反応として、活用していきたいと考えています。また、スキルだけでも傾聴は成立せず、話し手を理解しようとする自身の思いを相手に馳せることは忘れないように今後肝に銘じていきたいと、研修後の熱を帯びた状態の私は感じています。
本当の意味で、話を聞き入れられた話し手が得るエネルギーがどういったものであるのか、すとんと心に落ち着くイメージを持ち、言語化していくことは、実際に自身の言葉で傾聴という言葉を話せるようになったときなのかもしれません。しかし、今回傾聴セミナーに参加させていただいたことで、誰かにとって本当の意味で良き相談者となれるきっかけをいただけたということは確信しています。セミナーでは、セッション演習を通して、誰しもに様々な迷いや心に秘めたことがあり、聴き手としてだけでなく、話し手としても心の整理が出来たように感じています。それは姿勢を正し、傾聴してくださった受講者の方あってのことでした。非常に有意義なセミナーを開催いただき、堅田先生、運営メンバーの方々、ペアワーク、グループワークでともに過ごした受講者の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。
「聞き方」を教えてもらえるセミナーというイメージで気楽に申し込みましたが、想像していなかった時間を過ごすことになりました。
「傾聴」のためのいくつかのルールを学びいざ実践してみると、これまで自分が「傾聴」と思って聞いていた姿勢との違いを実感しました。傾聴に努めていたつもりでしたが、「評価のために」「解決のために」「相手が話したそうだから」自分が聞きたいことを聞こうとしていた、あるいは聞き流していたこともあったかも知れません。そこに気づいたことで自分軸と相手軸の違いが少し理解できたような気がします。相手軸で聞き続けることは簡単なことではありませんでしたが、瞬間的に相手の話に全感覚を投入して聞くことができたのは大きな経験でした。また話し手になった際は、自分に触れ、その手触りを感じたり探ったりすることが絶対的に許されている感覚をもたらしてくれました。そして自由な思考、気づき、それを言葉に紡いでみたいという気持ちになっている自分がいました。聞いてもらえることで自分自身が発電し始めたような不思議な変化でした。そして話した後には充分に充電された感覚がありました。
「傾聴」に触れると自らを導く力を引き出されるのか、引き出せるように触れるのか、ちょっと言葉に表現しきれない感覚です。その時間と場を共有するというか、提供すると言うか、そんな理解をした二日間でした。自らを導く力にご自身が気づかれて、ご自身の足で立って歩んで行かれる姿が想像されました。実践の渦中にあると客観的に見られないのが難しいところですが、折に触れ傾聴に努めていきたいと思います。どうもありがとうございました。
「人の話を聴く」ということについて、このセミナーで継続的に学ばせていただいてきたこともあって、自分なりにではありますが、少しずつ成長と言えるようなものが感じられるようになってきたと思っていました。もちろんセミナーに参加するたびに課題も見つかるのですが、それをまた演習を通して学び直し、その後の実践の場で付け加えたり、修正したりして、また変化させていく。この何年間か、そうやって気づき、学び、実践し、また気づかされて、学び直し、修正して...ということをくり返してきました。
しかし、そんな風にセミナーに継続的に参加させていただくことが、当たり前のようになっていたなかで、今回あらためて「ハッと」気づかされたことがありました。
それは、これまで傾聴セミナーに参加させていただいている中で、初めて参加される方とご一緒に演習をさせていただくことも多くなり、どこかに、その方にまた続けて参加したいと思っていただけるように...といった不遜な気負いがあったのかもしれないとういことです。自分が「話し手」になった時に、自分が本当に何を話したいかではなく、何を話すべきか、どういう話がよいのかという視点で内容を選んでいたことに気付かされました。思えば、ここ数年、自分は何を話してきたのだろうと改めて考えたとき、あまり思い出せませんでした。それに気づいた時、正直、恥ずかしい気持ちになりました。
それに気づいた二日目のアドバンスの最後の演習で、久しぶりに、もしくは初めてと言ってもよいかもしれませんが、本当に今自分が話したいこと、聴いてほしいと思っていることを話してみました。それができたのは、自分が話し手になる順番が最後だったということもあります。1回目、2回目の演習を通して、この方たちに今自分が本当に話したいことを聴いてもらいたいという気持ちになりました。
話してみて、聴き手の方が真剣に考えこみ、言葉を選んで、長い間の後で伝え返しをしてくださる姿や、観察者の方が目を閉じて険しい表情で、思い浮かんだ情景を伝えてくださった姿。画面越しに体感したその光景は、忘れられないものとなりました。「こんなに聴いてもらえた」まさにその経験でした。素晴らしい聴き手に恵まれることの安堵感を改めて実体験でき、対人援助職として、こういう聴き手にならなければいけない、話し手の方にこの感覚を味わってもらえる聴き手にならなければ、そうなりたいと強く感じました。
次回のセミナーまでの間、今回の経験を仕事の中でたくさん還元できるようまたチャレンジしてみます。そしてまた皆さんとお会いして学び合えることを楽しみにしています。どうもありがとうございました。
ベーシック、アドバンス両日参加は2度目となります。私は主にごく限られた人たち、公私共に過ごす時間の多い夫やその関係者に対するコミュニケーションの質を高めるべく、今回もベーシックから受講しました。傾聴を学ぶ前と比べ、ありがたいことに現在は少しずつ夫との会話の質が変化しているのに気づけるようになっていました。
過ごす時間の長い人間関係は、そうでないのと比べて会話に感情が無意識に込められてしまい、時に遠慮のない言い合いまで発展してしまうことが多くて現在悩んでおります。これは仕事関係者でも同じで、いかに話のしやすい場を設けられるか…それは私自身の気持ちを整えられるか、といったことが私のできる精一杯のことなのだろうと考え、学びのモチベーションになってる側面もあるかと思います。
今回は、私のイメージの使い方を独りよがりにならず、もっと話し手に寄り添ったものにすることと、少し苦手な「問い/質問」も意識しようとやってみました。イメージについて、これは(具体的には夫ですが)私がイメージで伝えても理解してもらえないことが多く、それよりも相手にとって記憶の中にありそうなことを材料にして「たとえ話」にする方が何かを思い出してくれることが多いような気がして、セミナーでもこの練習をしてみました。今回はその手応えを感じさせて頂いたと思いました。問いや質問に関しては、私が話し手の時に質問されたことで、まるで「助けの手を差し伸べてもらえたかのような嬉しさ」を感じることができました。その時の聴き手の方はご自身が聞きたいだけではないかと仰ってたのですが、私にとってはよくぞそこを聞いてくださったという気持ちだったんです。
聞いていただけたから、話してもいいのかなと、それだけでも気持ちが軽くなった感覚が本当に嬉しかったです。それはたぶん、日頃から話し過ぎてしまう自分を我慢していたからかもしれません。このことから、問いや質問の意味や効果が少し理解できたように思えました。問いや質問も「より良い道具」として身につけたいなと思いました。
セミナーでの実践の場を通して、少しずつ自分の課題もはっきりわかるようになってきたのが今回の大きな収穫です。それは無我夢中でとりあえずやってみる段階から、登る階段を「意識して登る」感覚に変わったという手応えです。
この度も学びの場を設けてくださいました堅田さん、私とご一緒していただきました参加者の皆様に感謝申し上げます。良い時間をありがとうございました。
聴き手として「相手軸に立って、話し手の人となりを、何かに置き換える」ことに、とにかく集中した時間でした。
相手の話を聴く際の、自分の価値観や倫理観といった”常識”を一旦置くための「スイッチを切り替える」ことをする重要性を肌で感じましたし、そうすることで、相手の脳をトレースできる感覚をわずかながらも実感することができました。いつも使っている脳の部分とは違う箇所を使う感触で、不思議な時間でした。
相手の頭の中の光景を、問いと確認で再構築していく過程は、くたくたになるものでしたが、その糸口は多少なりとも掴めたのかもしれません。イメージを共有させて頂いたグループメンバーから「鋭い」など、ポジティブな感想を頂きましたので、「できた」足掛かりの1つとして、これからさらに伸ばしていければなと思います。
また、話し手としては、初日にお悔みで中座し、その気持ちをひきずったまま、セッションに戻らせて頂きましたが、その複雑な想いですら、受け止めて頂けるなど、聴き手に大変恵まれました。ぐちゃぐちゃな気持ちに寄り添って頂き、自分が何を伝えたかったのか、何を故人からギフトとして受け取ることができたのか、が明確になっていく過程は何ものにも代えがたい貴重な体験であり、学びでした。さらに2日目の午前のセッションが忘れられません。家族の話をさせて頂いたのですが、聴き手の方の言い得て妙の共有イメージが、昼食以降もじわじわと胸に広がっていく感覚を覚えました。そこから「あぁ、こういうことだったのだな」「それが自分が見ていた景色か」「この考えや感覚は、あの考えを保たたせるために必要なだけであって、事実とは異なるのかもなぁ」など、自らの考えが深まり、イメージが再構築されていったのです。堅田先生の「時間的制約がある中で、必ずしも解決策を示す必要はない」とおっしゃっていた意味を身を持って感じることができました。
2日間、貴重な学びの数々をありがとうございました。聴き手へ感謝するとともに、中座を伴う不規則な参加をご快諾くださり、堅田先生および事務局の皆さまに改めて厚く御礼申し上げます。またご縁がありますことを。
今回は初めて参加される方のなかに、ベーシックスとアドバンスを続けて受講された方がいらっしゃいました。アドバンスの全体会で続けて参加された方のふり返りのことばを拝聴していて、今回はこれまで以上に、受講者の方の学びの深まりがあったように思いました。初めての方の力量が高かったこともあるのでしょうが、私は、初めての参加者を受け入れるリピーターの姿勢や言動の影響も実は大きかったのではないかということを感じました。つまり、堅田先生がいつも「場を一緒につくっていきましょう」といわれていますが、初めての方にとっては、リピーターの方々の襟を正して真剣に演習に取り組まれているその姿勢から、そして、リピーターの方にとってもまた真剣に傾聴について学びたいという初めての方の思いに影響を受けたのではないかと思ったのです。特に、今回のアドバンスは本当に質の高い、真剣に学びたいという気概にあふれたセミナーだったように思いました。
私自身、昨年から少しずつ、スタッフの裏方として本セミナーをお手伝いさせていただくようになり、これまで一受講者として参加していた時とはまた違う気持ちでセミナーを受講するようになってきています。私自身はこのセミナーの古株であり、10回以上もベーシックスを受けているので、もうアドバンスだけでもいいかなぁと思うことも正直ありますが、やはり出会う相手の方が異なるとまた異なる学びがありますし、今日出会うべくしてこの方に出会えたのだ、と思える時もあります。自分と似たような体験や境遇のなかでの話し手のお気持ちや考え方、気づきを知ること、そこに立ち会えているということへの感謝はベーシックスであってもアドバンスであっても変わりません。ただ、今回のベーシックスでは、初めての方とのセッションのなかでこれまでとは違う心情が出てきました。演習をする前に、堅田先生はルールとしていつも「今日は聴き手の方は、自分の話をするのではありませんよ、アドバイスや助言は一切止めてくださいね」と念押しされます。にもかかわらず、セッションのなかでそのルールを守ることが難しく、アドバイスはするわ、自分の話を始めるわの聴き手に出会ったとき、以前の私であれば、自分の話をきちんと聴いてもらえた感じがせず、もやもやしてしまうこともありましたし、あからさまに表情も戸惑ったような、くもってていたような感じになってしまっていたと思います。一受講者としてなんとも腹のふくれない、損をしたような気持ちになることもありました。しかし、今回は、ルールは理解されているのですが、これまで染みついてしまった話の聴き方をすぐに修正していくには難しく、「あ、これもアドバイスですよね」「あ、また、自分の話してしまいました」と謝り、苦戦しながらも自分の聴き方に一生懸命に向き合っておられるお姿を目の当たりにして、私は逆にその方の語りをしっかり聴いてみようと切り替えることにしたのです。聴きながら、自分自身に問いかけたり、響かせてみたりしたのです。そうすると、自分が本当は何を求めていたのかにはっと気づくことができ、そのことをお伝えしました。すると、聴き手の方も私の思考に役立ててよかったという感じで嬉しそうにされていました。そして、私も初めての方とセッションするときのサポート、応援ができたような気持ちになりました。自分もかつてそうだったように、誰でも初めからすぐにうまくできるわけではありません。それでも一生懸命に取り組んでおられるときの対応するリピーターとしての姿勢や言動はどうだったのか、リピーターとして初めての方の学び続けようとする原動力になるような応援をすべきではなかったのかと思いました。そのあと、その方が再度聴き手となられた時、語り手の方の内容のおもさ、深さもありましたが、ルールを守ってしっかり聴こうとされている姿勢に大きく変容されていました。私は、ベーシックスに臨む話し手としてのこれまでの自分の姿勢や言動はどうだったのだろうとふり返ると、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。もちろん、初めて学ぶ方でも光景を浮かべたり、話すテンポだったりがとても素晴らしい方もおられますが、これまで染みついてしまっている話の聴き方は意識してもなかなか難しいのはむしろ当然のことです。
今回、初めてリピーターとしての立ち位置を考えるきっかけにもなりました。また、アドバンスでは午後のグループセッションの自己紹介のときに、「午前中で感じたこと、思ったこと」について話したのですが、その点についてグループ内で深めていくプロセスにぞくぞくしました。「さすがアドバンス!」と感じました。ベーシックスから続けて参加された初めての方も思わずひきこまれた感じでいっぱい語ってくださいました。そんな様子を見た私は、自分が話し手の時に、ついついこの傾聴セミナーの出会いからの自身の変容について熱く語ってしまいました。なんだかすっかりスタッフの一員になってしまっている自分にひとりおかしく思いました。さらに、全体会のふり返りで同じグループの方から「聴き手に恵まれるとはこういうことなのか!と思いました。すごくほっとしたし、気持ちが楽になり、自分の心をいたわり、大切にできました。私が関わる皆様にも、この気持ちを感じてほしい、、」とおっしゃったのを聴いて、本当にコツコツと積み上げてきてよかったと私にとっては本当に嬉しい言葉でした。傾聴セミナーで、何度も壁にぶつかったような気持ちや落ち込んだ気持ちになった時もありましたが、確実に一歩ずつ成長できているのかもと思えました。そのセッションに観察者として立ち会ってくださった初めての受講者の方にとっても共有できた貴重な時間になったのではないかと思いました。心を揺さぶり、もっと傾聴について本格的に学びたいと思っていただけたなら、古株としての存在価値もあるのかなぁと思いました。スタッフとしての役割を担うようになったからこそ、どの受講者にとっても参加して本当によかったと思っていただきたいし、本気で学びたいと思う参加者のお気持ちが結集したセミナーの場を皆様とご一緒にこれからも作っていけたらと思いました。今回は堅田先生が「質問コーナー」を作ってくださいました。そこでのやりとりも、そして、全体会でのやりとりも本当にレベルが高く、とても贅沢な時間を共有できることに幸せを感じました。終わってから感じるさまざまな思いがまた、次回のセミナーにつながっていくこと、そしてまた皆様とお会いしたい、またご一緒に学び合えればと強く願いました。ありがとうございました。