皆様、こんにちは。
ふり返りをお寄せいただいています。
ふり返りを読ませていただくことで、学びのシェアになっています。
ありがとうございます。
〈ベーシックス〉
セミナーから早くもひと月が経とうとしています。その後、学期末の保護者会で保護者と話をしたり、忘年会で同僚と話をしたり、年末年始に家族と過ごしたり、様々な話す、聴く機会がありました。勤務先の玄関で、保護者の話を長く聞くこともありました。悩みや不安、不満を聞くことが多く、「傾聴ができているかな」と問いかけている自分がいました。いつもなら話の内容にとらわれてしまうことも多いのですが、少し離れた距離感でいられたように思います。
セミナーで学んだ「映像を結ぶ」ことは、まだ実践できていませんが、その体験も相手との適度な距離感につながっているように思います。相手が大人でも子どもでも、相手を尊重して向き合いたいと思っています。でも、何かしら言いたくなる自分がやはりいます。口を挟むような意見だったり、自分のことだったり。立場上言わなければいけないと、自分で思い込んでいることもあるかもしれません。そんな自分を客観視して、慢心せず謙虚に自分に問い続ける気持ちを忘れないように努めていきたいと思います。
これまで、相手軸で話を聞くことを心がけて、すぐ言葉を返さないようにしたり、聞く ことに徹底したりしてきたが、話を聞きながら話をまとめていたり、次の言葉を考えてい たりすることは自分軸だということに気づいた。まさしくこれまでの自分のことである。 また、その時の自分の視線や動きが相手に伝わっていたかもしれないと思うととても後悔 した。とにかく「聴く」ことに専念していきたい。
3人のグループで演習をしたが、私は聞き手→話し手→観察者の順で体験してみた。聴き手では、沈黙も焦らず大切にと思っていたが、このまま沈黙が続いた場合、どのような 問いかけがあると話し手は話しやすいか…と考えてしまった。特に言葉は思い浮かばず、 話し手に気を使わせてしまったように感じた。聞き手の難しさを体感した。 話し手では、聞き手が一生懸命に聴いてくれる心地よさ、安心感、もっと話したいという気持ちになり、なにか解決したわけでもないが元気になった気がした。 最後の観察者の時には、話し手が伝えている言葉ひとつひとつを頭で浮かべながらどん な光景であるか考えた。3回目の演習の時に初めて光景が浮かび、会話が進むと、出てくるアイテムも増えた。不思議な経験だった。 セミナーの1日、頭はフル回転でしたが満足感でいっぱいです。 50歳を超えても今の自分のままではなく、また学びながら進んでいきたいなと思いました。 本当にありがとうございました。
〈アドバンス〉
今回の傾聴セミナーは自分の中で、「3つのサイクルを意識して相手の話を聴く」ことを意識して臨みました。これまでの傾聴セミナーを受ける中で、あたかも相手になりきり、相手に軸足を置くことの難しさを強く感じていました。軸足を相手に置くことを意識している時点でそれは自分軸に立っていること、、、なかなか自分軸から脱却できないでいるのですが、午後のセミナー開始後にそこの部分を確認してもらえたことで、思い出してから演習に臨むことができました。
午後の演習で聴き手になった際、話をしてくださる方の隣で同じ方向を見て、同じ道を歩く感覚になりました。自然に湧き出てくる疑問を言葉にしたり、伝え返しをしたりしていました。徹底的に聴くことで自分では気づいていなかったのですが、観察者の方が客観的な視点での気づきを共有して頂く中で少しではありますが、相手軸に立って話を聴けていたのかもしれないという手応えのようなものを感じることができました。話し手の方と一体になった不思議な感覚を忘れずにいたいと思います。
今年は本当に色々なことがあった1年でした。4月に異動があり、受け持ったクラスが大変な中で妻の病気や入院があり、更には息子に発作や入院も重なってしまい苦しい時期もありました。息子の発作が落ち着かず、妻の病気が再燃し、クラスも落ち着かない中で吃音に関係する活動も続けたい、、、常にモヤモヤがあり精神的に苦しい状況の中でも何とかやれているのは傾聴による力が大きいことを感じています。自分の声を聴くことを大切にできています。
堅田先生が演習を通して、一人二役で自己との対話をしている様子を拝見することができました。自分の声に丁寧に耳を傾けること、自分の気持ちを確認しながら聴く過程を見ることができたことも大きかったです。今までも傾聴セミナーで学んだことにより、自分との対話や自分の声を聴くことを大切にしていますが、堅田先生の自己との対話の様子を身近で見ることができたことで、良いイメージを抱くことができました。自分の声を聴く時間がより大切なものになりました。
傾聴セミナーを繰り返し受けることの意義を再確認できました。光景を伝える難しさ、ズレを恐れないこと、寄り添いが大前提であること、カウンセリングマインドは意識せずとも自分の身につけることができるよう繰り返していくこと、その上で3つのサイクルを今は意識的に切り替えることが自分には必要であると感じています。今回も大変多くの気づきと学びがありました。有難うございました。
今回、傾聴セミナーアドバンスコースに参加させていただきました。何回も参加させていただいている中で改めて実感したのは、継続的にくり返し傾聴を学び続けることの大切さです。
セミナーの演習の中では、「練習」と思ってかなり意識的に話し手から発せられるひとつひとつの言葉の意味を丁寧に考えていきます。この言葉・表現はどんな思いから発せられたものだろうか、その背景にある意味をより深く知ろうとすると、ひとつ、またひとつ、「問い」が浮かんできます。確認のため、それらの問いを投げかけると、話し手の方の意図と一致していることもありますが、微妙にずれていることもあり、その一致もずれのどちらもが、話し手が本当に伝えたかったことの核心に迫っていく大切な材料となります。時には、話し手の方自身も話し始めた時には気づいていなかったご自分の気持ちにたどり着くこともありました。聴き手としての自分の気持ちも、話を聴く中で変化をしていきます。そのような自分自身の気持ちの変化に気付くことも「聴く」という作業の大切な一部なのだと、セミナーに継続的に参加させていただく中で理解できるようになりました。
セミナーの時間の中でも気づくこと、学ぶことがたくさんあり、良質の時間を過ごすことができますが、セミナーのすごさを本当に実感できるのは、実は、翌日からの仕事の中においてです。相談に来られた方のお話に、良い意味でこれまでとは少し違った視点で、より深く、より丁寧に耳を傾け、ただ聴くだけではなく、あたかも相手になったかのような思いで話を聴こうする中で、自分自身の気持ちにも気づくことができます。対人援助職として来談者の話を聴くスキルの質を高めることで、専門性に基づいた情報提供や助言にも信頼性や深みが加わることも感じます。実は、日曜日にセミナーに参加した後の月~金の1週間はそうした学びの成果を実感できた喜びもありましたが、正直ヘトヘトにもなりました。それくらい、「人の話を聴く」ということは、大きなエネルギーを使うことなのだと改めて実感し、引き続き学び続けていきたいという思いも新たにしました。ヘトヘトにはなりますが、それは心地よい、充実感のある疲れです。この疲れを感じなくなったら、ちゃんと話が聴けていないという黄色信号かもしれません。常に、「うわ~、真剣に話を聴くって疲れるなぁ」という感性を歓びとして持ち続けられる自分でいたいと思います。今回もどうもありがとうございました。
前回、ベイシックコースを受講させていただき、とても感銘を受けた思いがあります。「傾聴」のルール・傾聴姿勢・相手に軸足を置く、教えていただいたこれらのことが、その後対人援助をする上で常に頭にありました。しかし、意識していたものの、「相手に寄り添った傾聴」ができていないことをいつも突き付けられていました。また、話を聴く中で相手を追い詰めてしまっているような状況を体験し、あらためて「傾聴」の難しさに苦悩していました。そこで、アドバンスコースを受講させていただき、「傾聴」についてより深く学びたいと思ったのです。
堅田先生からのご講義では、わたしが求めていた「追い詰めていかない」傾聴についてのご説明がありました。「今を精一杯生きている」方や「精神的に疾患がある」方への傾聴は、「今を認めること」「健康な部分の発言や考えにシフトしていくこと」に注意していかなければいけないことを教えていただきました。また、Rogersのカウンセリング理論につきましても、「傾聴」の基盤をご講義いただき、自分のカウンセリングマインド等を振り返る機会となりました。自分のカウンセリング時の傾向(癖)にあらためて気づくことができ、自戒に至りました。
このような理論的な内容以上に、このセミナーでの学びは、体験にありました。「伝え返し(リフレクション)」「問い」を演習で学ばせていただいたことは大変貴重でした。「言葉になりきれていないものも伝え返す」「言葉の背景にある意味を感じ取る」ことは、非常に難しく、わたしには永遠の課題のように思われました。そこには「間の取り方」「豊かな想像性」が必要であることを実感したのです。堅田先生のデモンストレーションを拝見し、深く考えさせられました。傾聴の神髄、奥深さを目の当たりにさせていただきました。感動的でした。
実際自分が「話し手」や「聞き手」になると、その難しさをまさに体感しました。最後の振り返りで、参加者の方々が語られていた「間」「寄り添い」「専門性」がわたしにはまだまだその域に達していないことを痛感しました。学びが必要です。
ただ、わたしの話を聞いてくださった方からの「伝え返し」で、自分でも気づいていなかったわたし自身の気持ちに気づかされる経験できたことは、喜びでした。「わたしはそう思っていたんだ」と、次への一歩を踏み出せそうな感じを持ちました。これが傾聴の醍醐味なのでしょうか。このような傾聴を相手の方にできるようになりたいと心から思いました。
セミナーを通して出会えた方々に感謝します。どうもありがとうございました。堅田先生のお話と同じくらい、参加者の方々のご意見ご感想はとても勉強になりました。これからも、「真の傾聴」ができるように学んでいきたいと思います。
今まで何度かセミナーを受けてきて、日々の生活の中で傾聴をしようと考え、実践してきたつもりでした。ただ、今回また感じたことは、改めてやってみると普段の自分の「聞く」と比べるとあまりにも違う『聴く』だったということです。いつもはどこかで、自分の気持ちを押さえながら、『今はまだ言わない、我慢、我慢』と思っていたように思います。今回堅田先生が何度も言われていた「徹底的に聴く」とはあまりにも違うものでした。とても無私ではなく、なんとか口を挟まずに、聞いていただけでした。相手の広場に出て行って、一緒にベンチに座りながら、相手の見ている景色を一緒に見る。まだまだできていないと痛感します。伝え返しするとき、まだ、なんて言おう、何を返そうと考えています。徹底的に聞いていたら、『ここについてもう少し教えてください』『こんな気気持ちになってきました』と自然に言葉が出てくると聞いて、また参加者の方でもその経験をされた方もいて、私はその経験はまだしていないと感じました。
ペアになった方とは、お互いに十分ではないかもしれませんが、ある程度試行錯誤で傾聴をしあえたと思います。初めてお会いした方でしたが、さすがベーシックコースを終えられてきているので、そうじゃないんだよな・・・というもどかしい感じはまったくありませんでした。ぐるぐる回っているような私の話にも、私のペースで寄り添って、付き添って下さる感じがしました。自分自身、普段は相手の様子を伺いながらで、人に話しながらじっくり自分の気持ちに時間をかけて向き合うことがないので、話し手としてとても安心できる場でした。そして、ぐるぐる考えが巡っているようでも、途中で渦の中心部分にたどり着くような、見ないようにしてきたというか、受け止めきれていなかったことに、自分で気づけるというか、大事なのはやっぱりここだんだなぁと自分で認識するというところまで至ることができました。きっと人に言われたらわかってはいるんだけど・・・、と思ってしまっただろうと思います。
今回特に印象に残っていることは、伝え返しは「まとめる、整理することじゃない」「徹底的に聴く」です。相手の話を、自分が理解できるように、相手と同じ点についてお話するために、まとめたり、整理したりしていました。西尾先生の伝え返しは全く違っていて、情景を伝えられて、はっと、自分の思いから、相手の気持ちの立つことができました。自分自身がふと浮かんでくる伝え返しができる時がくるのか・・。継続していきたいと思います。ありがとうございました。
〈ベーシックス・アドバンス〉
今回は、貴重な機会をいただきありがとうございました。
「傾聴」は学生の頃から気をつけていたテーマだったのですが、日々の臨床業務に追われるなか、一方的なアドバイス主となり、相手が納得していないのを分かっていながら時間を言い訳に強引に助言終了としてしまっていた自分がいました。相談の内容によってはそれでもなんとかなっていたので気づかないふりをしていたのですが、この1年、それでは成り立たない相談を受けることが増え、自分の面接の在り方を変える必要性を感じていたところで今回のセミナーを知り、申し込ませていただきました。
ベーシック前半、午前中は、指定されたルールを守れず、自分軸で話をしてしまうことも多々あり、話しはじめてからそれに気づく状態でした。相手の話を聞いて映像を浮かべるという作業も、相手の話す「ことば」に気を取られ全くイメージできませんでした。しかし、自分の話を聞いてもらう経験の中で、話しながら自分で解決手段を見つけ出す手応えが得られ、ご一緒させていただいた方からのフィードバックを通して、相手の話から映像を導き出す感覚も徐々に得られるようになっていきました。
そして二日目のアドバンスでは、映像をもとに相手の方と話をすることで、課題だと感じていたことが自分の中で整理されていき、問題が軽くなっていく感覚が顕著に得られました。ことばにしようとすると「何か違う」と違和感がつきまといますが、それを映像や色にすることで共感しやすくなると分かりました。これは、相手が真摯に聞いてくださり、イメージを示してくださったことによるものだと思います。また、話を聞いてもらうことで心が洗われ楽になり、話しはじめの5分で自然に涙があふれてきました。「答えが欲しいわけではない」「聞いてもらうだけで心が軽くなる」ということを実感できた時間でした。「この場では、この人には、自分の話を聞いてもらえる」という時間があれば、それだけで人の心の負担は軽くなるのだと分かりました。一方で、観察者として他の方の演習を見聞きする中で、「話し手の気がかりはそこではないと思う…」「その聞き方では相手をより混乱させるのでは?」と批判的になる自分がいました。「正解」は話し手の中にあるのに、観察者の自分が「話し手の求めていることはここだろう」と決めつけている部分があるのではないかと思いました。無意識に「正解」を探し、それを示そうとする自分がいるのだと思います。
自分の思考の癖・傾向を知り、根本に立ち返ることができるよう、定期的に確認の機会を持つことは本当に必要だと思います。目標は、相手軸に立って、相手が自分で解決していけるような話の聞き方をしていくこと。しかし、自分一人ではそれができなくなっていくことが容易に想像されるため、自分自身が話を聞いてもらう経験をすることで、それを周囲に還元できる状態を作っていきたいです。臨床家として、周りの方々の協力を得ながら歩みを止めずにいられるといいと思います。今回は本当にありがとうございました。
ふり返りをお寄せいただいています。
ふり返りを読ませていただくことで、学びのシェアになっています。
ありがとうございます。
〈ベーシックス〉
セミナーから早くもひと月が経とうとしています。その後、学期末の保護者会で保護者と話をしたり、忘年会で同僚と話をしたり、年末年始に家族と過ごしたり、様々な話す、聴く機会がありました。勤務先の玄関で、保護者の話を長く聞くこともありました。悩みや不安、不満を聞くことが多く、「傾聴ができているかな」と問いかけている自分がいました。いつもなら話の内容にとらわれてしまうことも多いのですが、少し離れた距離感でいられたように思います。
セミナーで学んだ「映像を結ぶ」ことは、まだ実践できていませんが、その体験も相手との適度な距離感につながっているように思います。相手が大人でも子どもでも、相手を尊重して向き合いたいと思っています。でも、何かしら言いたくなる自分がやはりいます。口を挟むような意見だったり、自分のことだったり。立場上言わなければいけないと、自分で思い込んでいることもあるかもしれません。そんな自分を客観視して、慢心せず謙虚に自分に問い続ける気持ちを忘れないように努めていきたいと思います。
これまで、相手軸で話を聞くことを心がけて、すぐ言葉を返さないようにしたり、聞く ことに徹底したりしてきたが、話を聞きながら話をまとめていたり、次の言葉を考えてい たりすることは自分軸だということに気づいた。まさしくこれまでの自分のことである。 また、その時の自分の視線や動きが相手に伝わっていたかもしれないと思うととても後悔 した。とにかく「聴く」ことに専念していきたい。
3人のグループで演習をしたが、私は聞き手→話し手→観察者の順で体験してみた。聴き手では、沈黙も焦らず大切にと思っていたが、このまま沈黙が続いた場合、どのような 問いかけがあると話し手は話しやすいか…と考えてしまった。特に言葉は思い浮かばず、 話し手に気を使わせてしまったように感じた。聞き手の難しさを体感した。 話し手では、聞き手が一生懸命に聴いてくれる心地よさ、安心感、もっと話したいという気持ちになり、なにか解決したわけでもないが元気になった気がした。 最後の観察者の時には、話し手が伝えている言葉ひとつひとつを頭で浮かべながらどん な光景であるか考えた。3回目の演習の時に初めて光景が浮かび、会話が進むと、出てくるアイテムも増えた。不思議な経験だった。 セミナーの1日、頭はフル回転でしたが満足感でいっぱいです。 50歳を超えても今の自分のままではなく、また学びながら進んでいきたいなと思いました。 本当にありがとうございました。
〈アドバンス〉
今回の傾聴セミナーは自分の中で、「3つのサイクルを意識して相手の話を聴く」ことを意識して臨みました。これまでの傾聴セミナーを受ける中で、あたかも相手になりきり、相手に軸足を置くことの難しさを強く感じていました。軸足を相手に置くことを意識している時点でそれは自分軸に立っていること、、、なかなか自分軸から脱却できないでいるのですが、午後のセミナー開始後にそこの部分を確認してもらえたことで、思い出してから演習に臨むことができました。
午後の演習で聴き手になった際、話をしてくださる方の隣で同じ方向を見て、同じ道を歩く感覚になりました。自然に湧き出てくる疑問を言葉にしたり、伝え返しをしたりしていました。徹底的に聴くことで自分では気づいていなかったのですが、観察者の方が客観的な視点での気づきを共有して頂く中で少しではありますが、相手軸に立って話を聴けていたのかもしれないという手応えのようなものを感じることができました。話し手の方と一体になった不思議な感覚を忘れずにいたいと思います。
今年は本当に色々なことがあった1年でした。4月に異動があり、受け持ったクラスが大変な中で妻の病気や入院があり、更には息子に発作や入院も重なってしまい苦しい時期もありました。息子の発作が落ち着かず、妻の病気が再燃し、クラスも落ち着かない中で吃音に関係する活動も続けたい、、、常にモヤモヤがあり精神的に苦しい状況の中でも何とかやれているのは傾聴による力が大きいことを感じています。自分の声を聴くことを大切にできています。
堅田先生が演習を通して、一人二役で自己との対話をしている様子を拝見することができました。自分の声に丁寧に耳を傾けること、自分の気持ちを確認しながら聴く過程を見ることができたことも大きかったです。今までも傾聴セミナーで学んだことにより、自分との対話や自分の声を聴くことを大切にしていますが、堅田先生の自己との対話の様子を身近で見ることができたことで、良いイメージを抱くことができました。自分の声を聴く時間がより大切なものになりました。
傾聴セミナーを繰り返し受けることの意義を再確認できました。光景を伝える難しさ、ズレを恐れないこと、寄り添いが大前提であること、カウンセリングマインドは意識せずとも自分の身につけることができるよう繰り返していくこと、その上で3つのサイクルを今は意識的に切り替えることが自分には必要であると感じています。今回も大変多くの気づきと学びがありました。有難うございました。
今回、傾聴セミナーアドバンスコースに参加させていただきました。何回も参加させていただいている中で改めて実感したのは、継続的にくり返し傾聴を学び続けることの大切さです。
セミナーの演習の中では、「練習」と思ってかなり意識的に話し手から発せられるひとつひとつの言葉の意味を丁寧に考えていきます。この言葉・表現はどんな思いから発せられたものだろうか、その背景にある意味をより深く知ろうとすると、ひとつ、またひとつ、「問い」が浮かんできます。確認のため、それらの問いを投げかけると、話し手の方の意図と一致していることもありますが、微妙にずれていることもあり、その一致もずれのどちらもが、話し手が本当に伝えたかったことの核心に迫っていく大切な材料となります。時には、話し手の方自身も話し始めた時には気づいていなかったご自分の気持ちにたどり着くこともありました。聴き手としての自分の気持ちも、話を聴く中で変化をしていきます。そのような自分自身の気持ちの変化に気付くことも「聴く」という作業の大切な一部なのだと、セミナーに継続的に参加させていただく中で理解できるようになりました。
セミナーの時間の中でも気づくこと、学ぶことがたくさんあり、良質の時間を過ごすことができますが、セミナーのすごさを本当に実感できるのは、実は、翌日からの仕事の中においてです。相談に来られた方のお話に、良い意味でこれまでとは少し違った視点で、より深く、より丁寧に耳を傾け、ただ聴くだけではなく、あたかも相手になったかのような思いで話を聴こうする中で、自分自身の気持ちにも気づくことができます。対人援助職として来談者の話を聴くスキルの質を高めることで、専門性に基づいた情報提供や助言にも信頼性や深みが加わることも感じます。実は、日曜日にセミナーに参加した後の月~金の1週間はそうした学びの成果を実感できた喜びもありましたが、正直ヘトヘトにもなりました。それくらい、「人の話を聴く」ということは、大きなエネルギーを使うことなのだと改めて実感し、引き続き学び続けていきたいという思いも新たにしました。ヘトヘトにはなりますが、それは心地よい、充実感のある疲れです。この疲れを感じなくなったら、ちゃんと話が聴けていないという黄色信号かもしれません。常に、「うわ~、真剣に話を聴くって疲れるなぁ」という感性を歓びとして持ち続けられる自分でいたいと思います。今回もどうもありがとうございました。
前回、ベイシックコースを受講させていただき、とても感銘を受けた思いがあります。「傾聴」のルール・傾聴姿勢・相手に軸足を置く、教えていただいたこれらのことが、その後対人援助をする上で常に頭にありました。しかし、意識していたものの、「相手に寄り添った傾聴」ができていないことをいつも突き付けられていました。また、話を聴く中で相手を追い詰めてしまっているような状況を体験し、あらためて「傾聴」の難しさに苦悩していました。そこで、アドバンスコースを受講させていただき、「傾聴」についてより深く学びたいと思ったのです。
堅田先生からのご講義では、わたしが求めていた「追い詰めていかない」傾聴についてのご説明がありました。「今を精一杯生きている」方や「精神的に疾患がある」方への傾聴は、「今を認めること」「健康な部分の発言や考えにシフトしていくこと」に注意していかなければいけないことを教えていただきました。また、Rogersのカウンセリング理論につきましても、「傾聴」の基盤をご講義いただき、自分のカウンセリングマインド等を振り返る機会となりました。自分のカウンセリング時の傾向(癖)にあらためて気づくことができ、自戒に至りました。
このような理論的な内容以上に、このセミナーでの学びは、体験にありました。「伝え返し(リフレクション)」「問い」を演習で学ばせていただいたことは大変貴重でした。「言葉になりきれていないものも伝え返す」「言葉の背景にある意味を感じ取る」ことは、非常に難しく、わたしには永遠の課題のように思われました。そこには「間の取り方」「豊かな想像性」が必要であることを実感したのです。堅田先生のデモンストレーションを拝見し、深く考えさせられました。傾聴の神髄、奥深さを目の当たりにさせていただきました。感動的でした。
実際自分が「話し手」や「聞き手」になると、その難しさをまさに体感しました。最後の振り返りで、参加者の方々が語られていた「間」「寄り添い」「専門性」がわたしにはまだまだその域に達していないことを痛感しました。学びが必要です。
ただ、わたしの話を聞いてくださった方からの「伝え返し」で、自分でも気づいていなかったわたし自身の気持ちに気づかされる経験できたことは、喜びでした。「わたしはそう思っていたんだ」と、次への一歩を踏み出せそうな感じを持ちました。これが傾聴の醍醐味なのでしょうか。このような傾聴を相手の方にできるようになりたいと心から思いました。
セミナーを通して出会えた方々に感謝します。どうもありがとうございました。堅田先生のお話と同じくらい、参加者の方々のご意見ご感想はとても勉強になりました。これからも、「真の傾聴」ができるように学んでいきたいと思います。
今まで何度かセミナーを受けてきて、日々の生活の中で傾聴をしようと考え、実践してきたつもりでした。ただ、今回また感じたことは、改めてやってみると普段の自分の「聞く」と比べるとあまりにも違う『聴く』だったということです。いつもはどこかで、自分の気持ちを押さえながら、『今はまだ言わない、我慢、我慢』と思っていたように思います。今回堅田先生が何度も言われていた「徹底的に聴く」とはあまりにも違うものでした。とても無私ではなく、なんとか口を挟まずに、聞いていただけでした。相手の広場に出て行って、一緒にベンチに座りながら、相手の見ている景色を一緒に見る。まだまだできていないと痛感します。伝え返しするとき、まだ、なんて言おう、何を返そうと考えています。徹底的に聞いていたら、『ここについてもう少し教えてください』『こんな気気持ちになってきました』と自然に言葉が出てくると聞いて、また参加者の方でもその経験をされた方もいて、私はその経験はまだしていないと感じました。
ペアになった方とは、お互いに十分ではないかもしれませんが、ある程度試行錯誤で傾聴をしあえたと思います。初めてお会いした方でしたが、さすがベーシックコースを終えられてきているので、そうじゃないんだよな・・・というもどかしい感じはまったくありませんでした。ぐるぐる回っているような私の話にも、私のペースで寄り添って、付き添って下さる感じがしました。自分自身、普段は相手の様子を伺いながらで、人に話しながらじっくり自分の気持ちに時間をかけて向き合うことがないので、話し手としてとても安心できる場でした。そして、ぐるぐる考えが巡っているようでも、途中で渦の中心部分にたどり着くような、見ないようにしてきたというか、受け止めきれていなかったことに、自分で気づけるというか、大事なのはやっぱりここだんだなぁと自分で認識するというところまで至ることができました。きっと人に言われたらわかってはいるんだけど・・・、と思ってしまっただろうと思います。
今回特に印象に残っていることは、伝え返しは「まとめる、整理することじゃない」「徹底的に聴く」です。相手の話を、自分が理解できるように、相手と同じ点についてお話するために、まとめたり、整理したりしていました。西尾先生の伝え返しは全く違っていて、情景を伝えられて、はっと、自分の思いから、相手の気持ちの立つことができました。自分自身がふと浮かんでくる伝え返しができる時がくるのか・・。継続していきたいと思います。ありがとうございました。
〈ベーシックス・アドバンス〉
今回は、貴重な機会をいただきありがとうございました。
「傾聴」は学生の頃から気をつけていたテーマだったのですが、日々の臨床業務に追われるなか、一方的なアドバイス主となり、相手が納得していないのを分かっていながら時間を言い訳に強引に助言終了としてしまっていた自分がいました。相談の内容によってはそれでもなんとかなっていたので気づかないふりをしていたのですが、この1年、それでは成り立たない相談を受けることが増え、自分の面接の在り方を変える必要性を感じていたところで今回のセミナーを知り、申し込ませていただきました。
ベーシック前半、午前中は、指定されたルールを守れず、自分軸で話をしてしまうことも多々あり、話しはじめてからそれに気づく状態でした。相手の話を聞いて映像を浮かべるという作業も、相手の話す「ことば」に気を取られ全くイメージできませんでした。しかし、自分の話を聞いてもらう経験の中で、話しながら自分で解決手段を見つけ出す手応えが得られ、ご一緒させていただいた方からのフィードバックを通して、相手の話から映像を導き出す感覚も徐々に得られるようになっていきました。
そして二日目のアドバンスでは、映像をもとに相手の方と話をすることで、課題だと感じていたことが自分の中で整理されていき、問題が軽くなっていく感覚が顕著に得られました。ことばにしようとすると「何か違う」と違和感がつきまといますが、それを映像や色にすることで共感しやすくなると分かりました。これは、相手が真摯に聞いてくださり、イメージを示してくださったことによるものだと思います。また、話を聞いてもらうことで心が洗われ楽になり、話しはじめの5分で自然に涙があふれてきました。「答えが欲しいわけではない」「聞いてもらうだけで心が軽くなる」ということを実感できた時間でした。「この場では、この人には、自分の話を聞いてもらえる」という時間があれば、それだけで人の心の負担は軽くなるのだと分かりました。一方で、観察者として他の方の演習を見聞きする中で、「話し手の気がかりはそこではないと思う…」「その聞き方では相手をより混乱させるのでは?」と批判的になる自分がいました。「正解」は話し手の中にあるのに、観察者の自分が「話し手の求めていることはここだろう」と決めつけている部分があるのではないかと思いました。無意識に「正解」を探し、それを示そうとする自分がいるのだと思います。
自分の思考の癖・傾向を知り、根本に立ち返ることができるよう、定期的に確認の機会を持つことは本当に必要だと思います。目標は、相手軸に立って、相手が自分で解決していけるような話の聞き方をしていくこと。しかし、自分一人ではそれができなくなっていくことが容易に想像されるため、自分自身が話を聞いてもらう経験をすることで、それを周囲に還元できる状態を作っていきたいです。臨床家として、周りの方々の協力を得ながら歩みを止めずにいられるといいと思います。今回は本当にありがとうございました。