「傾聴」による気づきと学びのセミナー

対人援助と自己援助を考えるセミナー、から「傾聴」による気づきと学びのセミナー、と改名いたしました。

傾聴セミナー5

2022年03月06日 18時26分02秒 | 傾聴セミナー
〈ベイシックス〉
 
 貴重な体験をさせていただきありがとうございました。同じグループのメンバーの方々に助けていただいて、たくさん学ばせていただきました。

 今まで、自分が言いたいことを最後まで話せた経験やしっかり話を聴いてもらえた経験があまりなかったので、話しながら、ちょっと泣きそうになりました。
 話しながら、自分の気持ちや、今一番気にしていることに気付きましたし、しっかり聴いてくださる人がいることで、今まで知っていたけれど大っぴらに言えなかった自分の嫌なことも話せました。話をきいてもらうことは幸せなことだと感じるとともに、相手の話をしっかり聴くこと、相手軸のまま確認しながら聞き続けることがとても難しいことだということもわかりました。かなり集中力が必要でしたし、途中で、自分が感じたことから聞き方が自分軸に代わりそうなタイミングがありました。普段の会話や相談場面ではそれにも気づかないまま進んでしまいそうだと感じました。逆に、これまでこういう聞き方をしてきたんだということにも気づきました。
対人援助職として、軸足を相手に置くこと、舞台を想像すること、忘れないようにしていきたいです。
 本日はありがとうございました。

〈ベイシックス〉

 今回セミナーでの気づきや反省、学んだことについて振り返っていきたいと思います。

1、 自分自身が聴き手となっている時に、話し手の映像や景色が見えない事について
 数回セミナーへ参加していますが、この事については回数を繰り返してもリアルタイムに見ることができませんでした。その理由が今回やっとわかった気がします。
 私は聴き手をしている時に「何か良いことをいわなければいけない」「伝え返しを正確にしなければならない」など、よく言えば「一生懸命に聴こう」としていたのだと思います。そのため、相手の気持ちに「ずれが無いように」と考えながら話し手の話を聴いていた為、話し手の映像や景色がを見る事が出来なかったのではないかと思います。つまりそれは「自分軸」で話を聴いていたことになります。普段の私自身の話の聴き方の癖と、傾聴の技術を学ぼうとする余りに一番大切な事を見失っていたように感じます。
大切な事は、「あたかも相手の立場になって話し手の世界に一緒に踏みとどまって、そこに一緒に居させてもらう事。その場で何が見えてくるのか」というを感じる事、深くその気持ちを分かち合う事(相手の気持ちに寄り添えるか)であると改めて感じました。「何を言うか」というのはあまり重要ではなく、ずれを恐れてはいけないという気付きもありました。また、2、3に記したことも話し手の景色を見ることが出来なかった理由だと感じています。

2、 伝え返しについて
 話し手のへの伝え返しも「すぐに(早く)伝え返しをしないと」という焦りもありました。それは、「時間が決まっているし、その間に少しでもいい方向へ進むようにしなければいけない」という思いだったのではないかと思います。
 今振り返ってみると堅田先生のデモンストレーションを思い浮かべた時に、聴き手としての「間」の大切さを感じました。その「間」は、あたかも話し手になったかのように話の光景を浮かべられ、それらについて感じられていた「大切な時間」であったのではないかと感じます。私が聴き手として、話し手の光景が浮かべられなかったのはこの「間」を持つことが出来なかったからだとも思いました。伝え返す内容についても、話し手に合わせて声のトーンや速度なども合わせていくとより「わかろうとしてくれている」という気持ちが伝わると感じました。また、話し手の「間」の後こそ、大切な本音が出てくることがあると学び、「待つ」事の大切さも学ぶことができました。

3、 アドバイスをしたくなる思いについて
 仕事柄指示(アドバイスなど)を伝える場面が多いためか、相談事や悩み事=解決してもらいたい、アドバイスが欲しいと思っているのだろうと日々感じていました。そのため、普段からアドバイス志向になりがちな事があり、それが私自身の癖となっていると強く感じていました。
 今回のセミナーで「アドバイスをしたいのは、話し手の苦しみや辛さの話しから、私自身(聴き手)が逃げ出したくなったからである」という事を学びました。
正直驚きでした。人から悩みや相談を受けた時に、「人のため、助けたい、元気になってもらいたい」と思っており、自分自身が逃げているという感覚は全くなかったからです。
このように感じているのは、自分の勝手な判断である事。安易なアドバイスは、相手にとって余計に苦しくなってしまう事も起こりえるという事を心に留めておく必要があると思いました。それは、相手の思いのずれが修正されないまま、伝わる可能性があるからだと思いました。大切な事は、相手の世界や景色に一緒に居続ける事。そこで感じたことを、伝えながら、話し手の気持ちを一つ一つ分かちあう事であると学びました。そして、その気持ちが通じ合った時に「この人は私の気持ちをわかってくれている」という気持ちにつながる。そこから、自分の感じている奥深くの気持ちに向き合うきっかけとなる、自分自身でも気が付かなった気持ちも表出できるようになるのだと学びました。

 自己理解は他者理解であること。結果的に、自分の心の声も丁寧に聴いてあげられるように、これからも、演習を繰り返しながら、ほんものの傾聴ができるようになりたいと思います。グループでご一緒させて頂いたみなさん、堅田先生、事務局のテッセンソンさんいつも多くの学びをありがとうございます。

〈アドバンス〉

 相手の風景をイメージすることが難しいと感じ、今回のアドバンス受講には不安を抱えた気持ちで臨みました。午前中はその不安について話すことができました。ペアになった方から丁寧な伝え返しをしていただき「風景を見にいって見えないのか、まだ見に行こうと相手の広場へいっていないのかどちらですか」という質問をしてくださって今の自分は「広場へ行けていない。自分の家から出てもいない。なんなら靴も履いていなくて、常識や価値観といった荷物は置いていくべきなのに、荷物なしでは不安で何をもっていこうか荷物を探していた」状態ではないかと気づくことができました。心の拠り所として、お守りとして荷物が欲しいという私に「なぜよりどころが必要なのか」という質問が。相手と違う景気を伝えてはいけないと、間違えてはいけないという思いがあったからではないかと気づくことが出来ました。今日のセミナーの中で私が思っていた「まちがい」は間違いではなくズレであって、ズレがあるからこそ深まっていくものであり、だからこそ浮かんだイメージを伝えることが大切であることが今回一番学べたことではないかと思います。  また、よく似た境遇のお話ですと「そうそう、そうだよね」と「共感」している自分に対して、これは自分軸で話を聞いていることになるのではないか、いけないことではないかという思いも浮かんできました。堅田先生から「思うことは悪いことではないが、同じ経験をしたからといって自分と同じ思いでは決してなく、違いが必ずある事、そのズレを確認していくこと」も教えていただけました。そうそうと思っている自分がいてもいいけれども・・・というところです。  

 午後からは私の今の状態を「ダンボールに入った荷物」に例えていただき、お相手の方と同じ方向から荷物を抱えて四苦八苦している自分を見ているような 感覚になりました。冷静に自分を客観的に見られているような状態でした。風景を返していただくことが話し手にとってどのような状態になるかという事を身をもって実感することが出来ました。  
 
 私が聞き手の時には自分の中で浮かんでくる思いや言葉に対して、これはどういうことだろう、思い浮かんでいいのだろうか、どうなのかと、自分と対話しているような状態です。相手軸ではない瞬間がかなりあることにも気付けました。  

 今日は今までよりも、自分が思ったり感じたりしていることはどういうことなのか、ということについてヒントや答えをたくさんいただけたと感じます。そしてその中でやはり自分をなくすということが大変難しく感じました。  
 これからは相手の広場へ出かけること  自分の感じたことを分析していくのではなく感じた事を伝えていくこと  このことから始めていきたいと思います。  相手軸に立つ、ということの難しさを今更ながら実感できた研修セミナーでした。  
 ありがとうございました。
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傾聴セミナー4

2022年03月05日 07時25分00秒 | 傾聴セミナー
〈ベイシックス・アドバンス〉

 今回の傾聴セミナーに参加するにあたっては、話し手の方が自分自身のこころの声を聴ける、こころの内側を探っていただくための確認や問いかけができるよう、話し手のそばに居続けること、言葉にならないものについても一緒に思いを馳せる聴き手でありたいな、さらに話し手のときには、自分のこころの内側を丁寧に探ってあげられたらいいなと思ってのぞみました。

 ベーシックスでの堅田先生のデモンストレーションでは2つの例を実際に示してくださいました。1回目では、聴き手はそんなに威圧的でもないし、アドバイスしているわけでもなく、一見、話し手に寄り添って話を聴いているようにみえても、話し手はなにかおさまりが悪い、しっくりきていないような表情に変化していきました。その様子をみて、話し手の話を分析し、整理し、まとめるといった聴き手からは、こういうふうに考えたらどうですか、こういうふうに感じてもらえたら、深めませんが案にアドバイスされているように話し手は感じ取ってしまうかもおそれがあると思いました。話し手が「いやそうではないんですけど…」と自分の気持ちを確認し、伝えられる方ならまだしも、そうかもしれないと思い込む方だと自分の本当の気持ちにコミットするのが難しく、聴き手の軸に巧妙に操作されてしまうかもと気づき、怖いと思いました。振り返ると、私自身、話を分析し、整理し、自分の気づいていない観点を伝えてくれる先輩に長い間憧れていたのですが、優しいことばで伝えていてもそれは単にアドバイスであり、相手の方に自分の本当のお気持ちにコミットする状況さえも作り出せていないこともあったのではないかと改めて反省もしました。2回目は、聴き手は話し手からふと浮かんだ光景について結構伝えられていました。そうすることで話し手の方もより自分のお気持ちにも向き合いながら新たなき気づきにつながり1回目とは違い、表情も和らいでいくのが伺えました。
 午後の演習では、聴き手の方から浮かんだ光景を伝えていただき、自分もその光景に身を置いてみることで、おっしゃってくださった通りのところもあれば、そこは違う感じがするとか、はっと気づいたこともあって、表してくださった光景そのものを使っていろいろと気づくという経験ができたのがとても新鮮でした。さらにその時にこうしてズレについて語り、しっかりそのズレが出てきた気持ちを聴いてもらうことで、より自分のこころにコミットできているような気持ちになり、そのことが楽しいとか嬉しいという思いにつながりました。表してくださった光景に自分を合わせようとしなくていいのだ、自分なりの解釈で伝えることでかえって思考が広がるとも感じました。光景で伝えてもらえる良さをさらに感じた1日になりました。

 しかし、アドバンスの午前中のセッションでは、話し手の方が混沌としたお気持ちを探っておられることに寄り添っている途中で、ふと浮かんだ光景を今伝えることがご本人が自分のお気持ちにコミットしている時間を奪ってしまう、邪魔してしまうことになるのではないか、その方の本来もっている思考を止めてしまうのではないかとか、この光景も結局、自分軸で想像したものに過ぎないのではないかと不安な気持ちが出てきて(こう考えている時点で自分軸でもあったのですが)、次第に光景を伝えるタイミングを失い、言葉で捉えたものをそのままに言葉で伝え返ししたり、問いにしたりすることが中心になってきました。途中、これって自分軸で深めようとしているかもとふっと思いながらも、それでも話し手の方には自分のお気持ちにしっかりコミットいただけているような気にもなっていました。しかし、セッションがおわったとき、たまたま観察者でこられていた堅田先生から、「一見しっくりうまくできたような感覚になっているかもしれないが、高度なようにみえて、実際には話を分析し、整理し、まとめるといった専門職としての癖がかなり出ている。あえて言葉で捉えたり、言葉だけで返したりしないで光景にしてみることにチャレンジされたらどうか」と言われました。私はカウンセリングマインドをベースに正直な気持ちで聴き手のそばにいたつもりでしたのである意味ショックでもありました。そこで、堅田先生には、これまでは光景にして伝えることができていたのに、今回は先ほどいったような感情が沸き起こったことをお伝えすると、「自分勝手な映像を作っていないのなら伝えても大丈夫。正直な自分として話を聴いていてこんな光景が浮かんだのですと伝えて聴き手に確認してもらうということ、それが寄り添いになる」「セミナーだからこそ、あえて言葉で捉えないで映像にしてみる、像にしてみることにチャレンジすることで幅が広がるのではないか」と話してくださいました。
 昼食時間には、もしかしたらベーシックスに1回目のデモでもみたことと同じことをしてしまっていたのかと話し手の方にも申し訳ない気持ちにもなりました。そういえば、前日のベーシックスで自分が話し手になったときには光景に置き換えて伝えてもらえる良さを十分に感じていたのにと、とかまだまだ話を分析して整理してまとめるという長年の癖が出てしまうのだと情けない気持ちにもなりました。しかし、観察者に指摘されなければ気づけなかったと思いました。
 そこで、午後のセッションでは気持ちを切りかえて、あえて言葉で捉えずに、言葉で返さずにふと浮かんだ光景をお伝えしていくように心がけました。そうしたところ、私の想像以上に話し手の方自身が気づいていくものの大きさや深さを実感できました。これまでいかに自分は言葉でイメージをふくらませ、言葉にたよりすぎていたかにも気づくことができました。最後の振り返りの際にも堅田先生から「日ごろ、言葉で整理して伝えるということを仕事としていると、出てきた映像をポンといきなり人に伝えるのが伝えにくかったり、タイミングを意識してしまったりするが、一緒にそこにとどまって一緒にその光景をみているという状況のなかでは、ポンといきなり出した光景が大きな展開、大きな気づきをもたらすチャンスになることもある」と伝えていただきました。

 今回も、「ほんものの傾聴」についてセミナーに参加されている皆様と一緒に深めていく時間となり本当に有意義な2日間となりました。また、よいセッションというのは、話し手と聴き手と双方でつくっていくものであると思いました。これからも演習で取り組んでいる内容の意味について自覚的になりながら傾聴の幅を拡げていきたいと思います。2日間ありがとうございました。
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傾聴セミナー3

2022年03月04日 20時54分23秒 | 傾聴セミナー
〈ベイシックス〉

 今回初めて参加させていただきました。このセミナーの存在は数年前から知っており、参加したいとは思っていましたが日程が合わずに今年まで伸びてしまいました。
 実際に参加してみた素直な感想は「期待と不安」です。ロールプレイで話し手として参加したときに、とても「話を聞いてもらえた」「自分で別の考えにたどり着けた」という感覚がありました。言葉で表現しにくい、とても充実感のある時間でした。しかし、聞き手に回って、いざ自分が傾聴の姿勢でいると、自分の聞き手としての技量に目が向きすぎてしまい話し手の人に「申し訳ない」という気持ちになりました。この申し訳ないという気持ちも、セミナーで話されていた「自分軸」なのだと終わってから気が付きました。この傾聴のテクニックを身に着けていくことで、多くの方の力になれるかもしれないという「期待」と、このテクニックを身に着けていくことの難しさを感じた「不安」とが入り混じったセミナ−でした。
 セミナー後、実際に仕事でこのテクニックを試してみたところ、やはりとても難しさを感じました。いつもの自分のテクニックが顔を出してくるのです。常に意識し、経験を積んでいくことが必要だと改めて理解しました。研鑽を続けていきたいと思います。
この度はセミナーの運営などご尽力いただきありがとうございました。また参加させていただけたらと思います。

〈ベイシックス・アドバンス〉

「相手に軸足を置く」聴き方について学びを深めたいという意識で参加させて頂きました。
初めて傾聴セミナーに参加させて頂いたときは、自分の話をしっかり聴いてもらえたことによる心地よさ、何とも言えない温かさを感じました。傾聴について考えを深めていく中で、良い聴き手の存在があったこと、相手軸に立って話を聴くことの大切さに気づきました。ふり返る中で、傾聴の大切さを漠然と理解していた自分、あたかも相手になりきることの意味がよくわからずにいたこと、相手軸に立つことで聴き方が変わるけれど自分はできていないことに気づけました。今回そこの部分で新たな気づきを得られることを目標にしていました。

 相手に軸足を置こうと意識するあまり、「ズレ」が生じないようにしていた自分がいました。話し手の感情や情景を想像し、自分が感じたことを伝える際に、(ズレていたらどうしよう)(全然違うことを言ったらどうしよう)と不安になることがありました。伝え返す際に慎重になりすぎていました。そうした意識そのものが、相手に軸足を置けていないこと、自分軸で話を聴いていたことに気づけたことは大きな学びです。
 良いことを言おうとしなくていい、相手が求めていることやそもそも存在しない「正解」を探さなくてもいい、わかろうとする姿勢が大切だということを感じました。対話を重ねる中でズレが生じるのは自然なことで、むしろその先に発見や気づき、別の展開があることも少なくないこと教えて頂けました。伝え返しを行い、確認しながらズレを修正する中での発見についてはまだぼんやりとしているので、学びを続ける中で自分の中に落とし込んでいきたいと思います。

 相手に軸足を置くことの理解を深めたいと臨んだ1日目を終えた時に感じたことは、「相手に軸足を置いて話を聴くことは難しい」ということでした。
 2日目の演習で、難しいと感じるのはどうしてだろうかと考えるきっかけを頂きました。どうして難しいと感じたのか、、、まだ自分軸だったことに気づきました。自分軸で話を聴いているから難しいと感じるのであり、話し手とベンチに座り、隣で同じ光景を眺めながら話を聴くイメージを持ち「あたかも相手になりきって」という意識で話を聴かせていただくと、難しいという感じはしませんでした。自然と問いが浮かんできて素直な気持ちで教えてほしいと感じ、質問させていただきました。ズレが生じるので修正しながら話を深めていく中で気づくこともあったように思います。相手軸に立てるようになりつつある中で、「間」が気にならないことも感じました。必要な「間」は自然と訪れるものであり、無理に場を繋いだり何か言おうとしたりする必要がないことを感じるので、沈黙が平気でした。ふり返る中で感じたこととして、ペアを組ませていただいた相手の方も「間」を大切にしてくださったのだと思いました。ペアを組ませて頂く中で聴き手の質というかレベルというか、そうしたものの高さを改めて感じることができました。
自分が話し手になった際は、自己の吃音について10代20代の頃に感じていたことをお伝えしました。当時お世話になった方々への感謝の気持ちに気づき、現在、体験を語る際に誤解されないか心配していた自分に気づきました。努力の方向により吃音が悪化し苦しい時期を過ごしてきたとはいえ、その時々で精一杯やってきたことは否定したくないこと、当時の自分の気持ちや周囲の方々の支えを大切にしたいという素直な気持ちを整理することができました。
重松清さんの「きよしこ」を読んで感じたこと、悩んでいた時期に読んだ感情と今改めて読んでの感情の変化を考えることもできました。当時は共感して苦しくなり泣けて読めなかったこともありましたが、今読むと「懐かしい」という表現が当てはまり不思議な感覚でした。
 過去をふり返る中で、連発の話し方を受け入れられないときは苦しい過去だと認識し、様々な出来事や体験から目を背けていたのかもしれないことに気づきました。受け入れられたことで楽しかった日々や自分なりに吃音と付き合いながら、乗り越えてきた時間を思い出すことができました。ここ3~4年の自身の変化を俯瞰して眺めることが出来たことで時には辛い経験も、姿形を変えてくれました。「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」という言葉を思い出すと同時に、それに続く「自分が変われば過去も変わる」という言葉に出会い直しました。自分が変わったことで、過去の経験の捉え方が変化したように思います。有難うございました。過去を丁寧にふり返る時間、そこから気づくこともあるかと思うので自分に傾聴する時間を今後もつくっていきたいです。

 対人援助や理論的基盤の解説をお聴きする中で感じたこととして、カウンセリングマインドと寄り添いを土台にアセスメントや解説・助言があるということがあります。お悩みをお聴きし、相談に乗らせて頂く立場として、自分が大切したいことが明確になりました。「やり方より在り方」という言葉を思い出しました。対人援助職としてやり方や方法、助言や指導といった専門的な知識は必要ですが、姿勢や態度、自分がどう在るべきかという点を大切にしていきたいと感じました。傾聴力は人間力。学び続ける中で自分を磨いていきたいと改めて思いました。傾聴力を磨きつつ、誠実な姿勢や態度はすぐに意識し変えられるところでもあるので早速やっていきます。気軽に「わかります」とは言わず、わかろうとする姿勢や誠実さを持ち続けていきます。大切な気づきをありがとうございました。

 教育相談を受ける際に活かせる学びもありました。研修や経験を積む中で有益な情報やお伝えしたい内容が増えてくることがあり、だからこそ吟味する必要があることを教えて頂きました。今、必要なことを最小限に抑えてお伝えすること、選択すること(何を言わないのか、なぜ言わないのか)を意識していきたいと思います。相手に寄り添っているからこそ自分軸ではなく、言わないという選択ができることは大きな気づきでした。自分を残しつつ話を聴くこと、分析や勝手な解釈はしないにせよ必要な情報はきちんとお伝えするという点が今後の自分の課題になるかと思います。
聴き方の癖に気づくこと、立脚点の転換、問いと確認を繰り返すことなど、自分の中に落とし込み切れていない部分があるので今後も意識していきたいと思います。

〈ベイシックス・アドバンス〉

 今回は傾聴セミナーを開催して下さりありがとうございました。ベイシックス、アドバンス両日受けさせて頂く中で様々な気づきや学びがありました。今まで傾聴セミナーを受講させて頂き、様々な方とグループにさせて頂く事でこの方のこういう聞き方は素敵だなと感じ、振り返るに、私自身質問をして、このようにお話をお聴きしたのですがどうでしょうかと確認をする事、「その時のご自分にどう声をかけてあげたいと想われていますか」と深める部分が足りていないように思っていました。今回はその2点に重きを置いてセミナーに参加させて頂きました。
 ベイシックスでは、確認を中心に話を聴かせて頂けたように思います。また、久々のセミナーということもあり、上手くいくだろうかとやや緊張しておりましたが、グループの方々が本当に温かく、一日を通して自分の心を聴いてもらえているような、元気を頂ける会となりました。今回も学ぼうとする姿勢はありましたが、あまり肩に力を入れすぎず、ズレてしまうのではないかという事を意識しすぎず、取り組む事ができたお陰でベイシックスの一日は気持ちの良い一日となりました。
 ベイシックスが終わったその日は心地よい疲れでした。しかし、時間が経つにつれ、翌日アドバンスを迎えるに当たり、今までのような話の聴き方で良かったのだろうか。という疑問がわいてきました。2月は、他の研修などで話の深め方のとても上手な方などの姿を見せて頂いていたのでよりそういった思いが出てきたのだと思います。答えはきっとテクニックのようなものではない。そう思いながら、その答えのようなものを知りたいという気持ちが強かったように思います。
 アドバンスでは、堅田先生がデモを行って下さった際に、風景や景色に例えられていた事もあり、今日は今まで通り、景色や風景に例えてみて、さらにお気持ちの部分に触れることを目標としようと思い取り組ませて頂きました。すると自分でも不思議なほどに、景色が思い浮かんできました。以前は“色”や“形”を想像しながらお話をお聴きする事が多かったように思うのですが、今回は風景を思い浮かべながらそれを確かめながらお話をお聴きすることが出来たように思います。それも無理に映像にしなくてはと思わずとも、相手の方のお話をお聴きすると浮かんできました。明確に自分の中で手応えのようなものがありました。時間は十分にあったと思うのですが、ペアの方のお話を聴かせて頂いていると時間はあっという間に経っていたことにも驚きました。また、カウンセリングマインドのお話はそういうことだったのだなと理解することが出来ました。
 今回、2日連続してセミナーを開催して頂く事で、1日目に思った事やこうしてみたいなと感じた事を2日目に実践することが出来ました。そして、振り返ると自分自身が自分の中の声を聴いてくれていると感じました。
 傾聴セミナーを初期の頃に受講した際には分からなかった部分が回数を重ねる事に分かるように感じる自分がいます。そして、色々な方とグループをご一緒させて頂く中で、こういう所が素敵だなと気づく事が出来、また実践する事が出来ます。また是非次回も参加させて頂きたいと思います。2日間ご一緒頂けた皆様に感謝致します。ありがとうございます。
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傾聴セミナー2

2022年03月03日 09時47分36秒 | 傾聴セミナー
〈アドバンス〉
 参加させていただいてありがとうございました。初めてのアドバンスコースでしたが、ベイシックコースからさらに深い学びを得られた貴重な機会となりました。
 これまでベイシックコース、エンカウンターセミナーに参加した際は、自分の話しをじっくり聴いていただけた充実感・安堵感と自己肯定感の高まりを感じました。一方で、自分は相手の話しを十分に聴けていなかったのではないか、聴き手が自分ではなくて他の人だったらもっと相手の話しは深まったのではないかと、聴き手側としてのスキルの低さに焦りを感じていました。傾聴の技術で自分に不足しているのは、映像を思い浮かべる想像力の低さにあるのだろうと思っていました。
 今回のアドバンスセミナーで、映像を思い浮かべることは一つの手段であり、より大事なのは相手に軸足をおき集中して話しを聴くことということを改めて認識しました。浮かんだ光景を伝えることで相手の考えとの一致やズレを確認すること、確認することで話し手自身が本当に話したかったことや本当の思いに気づいていくこと、その繰り返しによって話しが深まっていくことを実感しました。思い浮かんだことが相手とズレていても大丈夫と思えたことで、聴き手であるときの緊張感やプレッシャーが和らぎ、より相手の話しに集中できるようになってきました。相手の悩みの深さに一緒に迷いこんでしまう怖さ、答えが見えてこない不安に自分の気持ちを持っていかれそうになっても、それを一旦止めて相手の話しに耳を傾けるということが少しずつ分かってきたように思います。話しを聴くことに徹することで、相手の方がもともと持っている力に救われた(「こういう気持ちだった」と相手自身が気づいてくださった)と思う瞬間もありました。セッションを通して相手も自身の持つ力を改めて認識されたようにも見え、話しを聴くことができて良かったと私自身も思うことができました。
 今回は自分にあまり負い目を感じずにセミナーを終えることができました。参加回数を重ねるごとに自分の成長を少しずつ感じることができ嬉しい気持ちです。また次回新しい学びと、自身への発見が生まれることを楽しみにしています。
 ありがとうございました。


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傾聴セミナー

2022年03月01日 12時04分44秒 | 傾聴セミナー
 今回の傾聴セミナー、ベイシックス・アドバンスともに内容が大きく前進したように感じます。ベイシックスは約半数の方が初めてのご参加でした。聴き手が寄り添いながら話し手の話を聴いていても生じてしまう「ずれ」は、実のところ次の展開のチャンスになりうることや、深めるための手立てになる可能性についてスポットを当てみました。聴き手が(ずれないようにしなくては)と頑張りすぎてしまうことはかえって自分軸で話を聴いてしまうことになることを確認できたように思います。
 アドバンスでは、話し手が話す内容の分析・整理・まとめをあえてしないでどこまで留まれるかという練習になりました。それぞれの方が、丁寧で深い深傾聴姿勢の力量を高めておられました。また、話し手としてじっくりと聴いてもらえる体験を通じて自己理解が進み、それは他者理解へと還元されるものであること、自己理解と他者理解は表裏一体の関係にあることを体験を通じて確認できました。
 以下、参加者の皆様の「ふり返りシート」のなかかで、掲載を了承されている方の文面です。

〈ベイシックスコース〉

 ベイシックコースに参加しました。ありがとうございました。目から鱗だよと紹介され参加しました。その方の普段の何気ない一言にいつも励まされていただけに、これはと思い参加しました。まさしく目から鱗でした。デモの最初のパターンはこれまでの自分。聞き役の時も、そうそう、わかる、私もねと言いそうになるのを止めるのに必死になって、結果真っ白の沈黙。気持ちに寄り添うことの難しさを痛感しました。目から鱗の体験は話を聞いてもらっているとき、少しずつ視界がひらけあかるくなり、自分が立ち上がって動かなければという気持ちになったことでした。自分がいる映像を上から見下ろしているような感じ、さながら幽体離脱のようでした。そうすると不思議なことに、見えていなかった情景だけでなく、蓋をしていた気持ちも見えてきました。まだまだ普段にいかすところまではいきませんが、この体験は貴重でした。一緒に参加してくださったかた、事務局、そして堅田先生に感謝いたします。


 久しぶりの参加でしたが、とても気持ちの入った充実した時間をすごせました。長時間であるにもかかわらず、その時間があっという間に過ぎていく感覚というのを体験させていただけて、参加できた喜びに今は浸っています。
 2020.12月以来の傾聴セミナーで、また初心者の気持ちで臨みましたが、まずは今回の参加にあたり、前回の振り返りで送らせて頂いた感想文を読み返し、書いてある反省点について今回はそこに課題をおいて臨めれば・・・という気持ちで参加しました。参考資料を見ながら、忘れかけていたことを思い出しながらではありましたが、自分の中で以前よりも傾聴への理解を深めていけたのではないかと思っています。傾聴というものの奥深さに今回またしっかり向き合えて、とても貴重な時間であったことに感謝いたします。
 傾聴において本当に大切にしなければならないこと、それはいくつもあり、それを念頭に置きながら、話し手、聞き手の二者を体験しながら学ぶこのセミナーの意義はとても大きいことだなあと思います。それらを演習を通じて身に沁みて感じました。


 今までは相手の発することばで答えを出そうと、分析したり、まとめたりする癖があったのですが、今回のセミナーを受講することで全く違った観点を知ることができました。傾聴のルールにある「相手に軸足をおく」「光景を思い浮かべる」という部分で相手の感情を感じることの大切さを学びました。自身のネガティブな経験を伝える機会がないので、今回話すことができて同じような立場で聞くには、自分自身の感情も大切に伝えることで、相手の立場に立つことも出来るのかなと感じました。
 その他、「Zoomならではのフレーミングのお話」「難しいと思うと思考停止」ということはとても腑に落ちる内容でした。


 今日は、とにかく相手軸に立つ練習をしたいと思い、相手の話を映像としてイメージすることに注力しました。でも、それも私の勝手な妄想のような気もしてきて、本当に相手軸にたてたかな・・と思います。そして、それに集中すると、問いや確認がこれでいいのかな・・と心配になりました。まだまだだなと思いました。また、自分の話が一番難しく、自分のことってうまく話せないんだな‥とあらためて思い、相談に来られる人もきっとそうだろうなあと思いました。うまく話せないけれど、それを確認してもらったり、問いかけてもらうことで、言いたかったことや気になっていた漠然としたものが、確かなものになって、安心しました。また、自分では気づかなかった視点ももらって、本当に勇気をもって話してよかったなと思いました。
 傾聴とは別ですが、グループワークの時に一人の人の話の中で「自分の経験を通して何を伝えられるか」という話題があり、それも私にとって学びになりました。


 初めての参加で、初めての経験を通して、気づきや学び、感じることがたくさんありました。
 まずは堅田先生、テッセンソン様、同じグループだった2名の方々に心から感謝いたします。
 気づきや学びという点からは、観察者の体験を通して、自分以外の人たちの思いに深く心を寄せることを意識したり、話し手の体験を通して、意識下にあった思いに気づかされることがありました。
 イメージを膨らませる体験はとても楽しいものです。色や映像は比較的浮かぶ方なのですが(観察者として、話し手と聞き手の方の様子を拝聴し、例えばブランコを揺らすイメージや、階段を上がるイメージが浮かびました)、音をイメージすることは普段あまりないように思います。ですが今日は、「音、音」と思いながら聞いていますと、色々な音が聞こえてきました。
他者の声をじっくり聴き、イメージを膨らませることを通して、自分自身の声を聴く方法を学べたと思います。印象的だったことは、聞き手の方に「20分の中でお話されたことは、いわば前半戦で、これから後半戦が始まるような印象でした」といわれたことです。確かにそうだと思いましたので、後半戦は、ひとりで自分の内を見つめてみようと思います。
 本日は、有難うございました。


 大変貴重な学びをどうもありがとうございました。
 「聴く」という日常生活の中で行われる行為ですが、「傾聴」と言う視点で、大変奥が深く、あらためて感じ入ることが多くありました。基本を学びたいと参加させていただいた私には、とても有意義な時間でした。
 堅田先生からのご講義で、「傾聴」のルールにおいて、私自身がこれまで至らなかった点に気づくことができました。特に、「間を大切にすること」、そして「アドバイス志向を止めること」は、今の私にとても必要なことだと痛感しました。(相談を受けていると、どうしても、「沈黙をしてはいけないのではないか」「何か答えを導かさなければいけないのではないか」と思ってしまい、自分のペースで話を進めていたことに気づきました。)堅田先生がおっしゃった、相談において、相手が自分で考えることを奪ってはいけない(依存性を作り出さない)ということは、私も大切に思ってきました。しかし、実際、私の「聴き方」では、真逆だったのではないかと、深く反省しました。
 今回、一番心に刻まれたことは「相手軸において話を聴く」ことでした。演習を通して、相手の軸足に置くことの難しさを痛感しました。今後の課題にしたいと思います。また、とても印象に残ったことがあります。それは、「傾聴」ということが、相手を一生懸命知ろうとすることに原点があるのだと気づかされたことです。もちろん「傾聴」の技術も必要ですが、目の前にいる人を「いっぱい知りたいな」と思って寄り添うことができれば、どんなに素敵なことでしょう。私はそう在りたいと思います。このところ、悩みや困り事の相談を受けていると、まるで私自身の心の内を話してくれているような感覚を覚えることがあります。この方がおっしゃっていることは、私のこれまでの苦しさや悲しさだ・・・、といような感じなのです。セミナーの最後に「他者理解」は「自己理解」とのお話をいただき、はっとしました。このようなご教示をいただきましたこと、とても嬉しく思います。どうもありがとうございました。
 最後になりましたが、事務局の皆様、堅田先生、そして同じグループであたたかい「傾聴」をいただきました方々に、心からお礼申し上げます。今後も「傾聴」について学んでいきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。



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