「傾聴」による気づきと学びのセミナー

対人援助と自己援助を考えるセミナー、から「傾聴」による気づきと学びのセミナー、と改名いたしました。

残暑お見舞い申し上げます。

2021年08月22日 08時28分14秒 | 傾聴セミナー
 8月も後半に向けて時を刻み始めています。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 各地で起こっている水害や土砂崩れ、家屋の倒壊や道路の寸断、避難所生活をされている方々のご苦労は大変なものだと想います。加えて感染拡大に歯止めがかからず、いまや医療・保健体制の危機に瀕しています。

 こんな時だからこそ自分に何ができるのだろうか、いますべきことはいったい何なのか、と考えたりします。答えはすぐに見つかりません。ただ、少なくとも目の前にあるものを淡々とやり続けることはしようとしてきました。

 感染拡大が始まって私の暮らしは確実に変わってきました。当たり前に出来ていた人との交流が途絶え、旅によって出会う様々な自然物や事物、人との交流、発見が大きく減少しました。ときめきや魅力を感じるセンサーが鈍り始めているようにも感じます。
 
 外食をしなくても家で十分食事を楽しめると感じるようになってしまっていること、オンラインによる集いの参加や人との交流が当たり前になり、移動の面倒さがない分、楽だと感じていること、趣味にしているものにあまり気持ちがこもらなくなってしまっていること、新たなことを始める思い切りに足踏みをしているように感じること、手っ取り早く済ませられるような選択をして面倒さを強く感じるようになってしまっていること、そんな自身の変化を感じます。もちろん年齢による心身の変化、すなわち自身の器質と環境による変化の両面からこれまでと違ってきていることを感じます。

 自身との対話やそれを後押ししてくれる様々な書物から受ける刺激、じっくりと自他をみつめる時間があることは喜ばしいのですが、これまであたり前にあった生身の人が大勢入り込んで作り上げてきた私のこれまでの時(とき)との違いを感じています。

 オンラインでの対話は、聞く・訊く人と話す人がそれぞれ1人に限定されてしまうことが特徴です。何百人・何千人いようと音声言語でのやり取りは常に2者に限定されてしまい、横の人とちょっとひそひそ話をというわけにはいきません。チャットを駆使して個人間のやりとりはできても漂う空気感が実際とは異なります。そうしたオンライン・システムの限界のなかで何とか交流を深めようとしてきました。

 じかに合って対話することで感じる「相手から流れ出してくる感じ」と、それらを受けて「自身で感じていることを感じる」ことによって流れ出だしていくものが相手に伝わっていきます。オンラインではこうした肌で感じられるもの、五感を通して感じてきたものが制限されてしまいます。(分かってもらえた)(きちんと伝わっている)(大事に思ってもらえている)(本当の自分を感じる)(充足感)といった、人と作り上げてきたこれらの感覚に難しさが生じてしまいます。

 オンラインでの人との交流やコミュニケーションはまだまだこれからも続いていくでしょうし、もはやスタンダードになりつつあります。
 オンラインでありながらも、相手にしっかりと寄り添うための方法や話の聴き方を少し専門的に学んでみられるのはいかがでしょうか。
 傾聴セミナーでは、オンラインだからこそ集中して話せる・聴けるという利点を活かしながら確かな技術を習得していただけるのではないかと思います。
 9月に開催されます傾聴セミナーで、これまでずっとご一緒させていただいてきた方々と、初めてご一緒してくださる方と、また新しい「時」をご一緒に作り上げていきたいと思います。ご参加をお待ちいたします。
コメント
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