傾聴セミナーに参加するたびに新たな気づきや学びが得られることに感謝しています。回を重ねるからこそ得られることともありますが、今回は、グループになる方々の出会いがあるからこそ、また新たに発見できることを強く実感できました。
今回は、自分に近い経験や出来事があった方や日ごろから自分に近い距離にいる方との、聴き手としての態度について再度考えさせられましたことについて書きたいと思います。
まず、自分に近い経験や出来事があった方の聴き手になるときの態度です。経験や出来事が近いがゆえに相手の方の感情にとても近づきすぎてしまう感覚や、逆に近い経験をしていてもその方の感じ方の違いや変容を自分と比較してしまい、過去の自分を責めるような感情が途中湧き出てきました。あたかも話し手になったかのように聴こうとしていたのですが、いつの間にか自分軸で聴いてしまっていました。さらに相手の方の情景を浮かべようとしても、自分の感情の情景とリンクしてしまうような想像にとどまってしまい、近い経験だからといって相手の方の語る情景が必ずしも容易に浮かぶわけではないと感じました。近いときほど聴き手としての態度に注意を払いたいと思いました。この時は第2の聴き手であったため余計にそのようになったのかもしれません。第1の聴き手の方は、とても自然の流れのなかで話し手の方に伝え返しされていたので、話し手の方もとても自然に語られているようにみえましたし、その聴き手が語られた情景はご本人さんともかなり一致していたようでした。それでも、話し手の方があとで「聴くこともエネルギーがいるけれども、話すほうもエネルギーいりますね。簡単に人には「話して」と言いがちだけれども、エネルギーがいるものだと理解してかかわっていきたい」と言われた時、そのことにも心を寄せていくことの必要性やだからこそ、余計に「聴いてもらえてよかった」と思っていただけるような聴き手になることの大切さを学びました。
次に、親しい人の聴き手となるときの態度です。親しいとはいえ、グループセッションでは初めて同じグループになりました。知っているだけにそれだけでバイヤスがかりました。聴き手である私に対する期待も勝手に思い込み、そのことで冷静さもなくしました。さらに、今回は、話し手の方は、まだ混沌としている自分の気持ちをそのまま語ってくださったのですが、その方への伝え返しを丁寧にするというよりも、問いかけが中心になってしまいました。問いかけながらご自身の気持ちを確認いただいたり、深めたりしていただければという思いもあったのですが、それが必ずしもよい聴き手の態度ではないことに途中から気づきました。しかし、なかなか修正できませんでした。混沌とされているからこそ、もう少し一緒にその場にとどまっていることも必要だったとあとで思いました。今回の経験は、特に自分の身近にいる人への傾聴の態度をも考えさせられる機会になりました。その方のことをあたかも理解しているような感覚で聴き手として臨んでしまうことが多いし、知っているだけにアドバイス思考も生まれやすくなるのだと思いました。
話し手としては、以前に比べて、随分語りたいことや出てきた感情をことばにすることのプロセスが自然で楽だなぁと感じました。それは聴き手の方の傾聴がとてもうまかったこともありますが、最初に行ったワークが助走になったからでもありました。語っている途中から、ワークで思考したこととつながり、より自分のことを感じながら、そして整理しながら語ることができました。全部がつながっている自分。過去からすべてつながっている自分を感じました。話し終わったあとに、聴き手の方々から思い浮かんだ情景やキーワードを伝えていただいたとき、いつも感じている「不安に感じるもの」の根底にあるものに気づけてとてもすっきりしました。頭で理解していた不安への解消方法の根拠にあたるものに出会えた気持ちになりました。
この傾聴セミナーは、いろいろな出来事に直面したとき、ひとはどういう気持ちになるのか、どういう変化が起こるのか、そのことに寄り添い、学べる機会になります。その対処のしかたもさまざまであり、正解はないものだと思うようになりました。ただ、その時々に誰に寄り添ってもらえたか、出会えたかはとても重要なことですね。
最後に、今回はいつも以上に、終わったあとにセミナーの感想を受講者の皆様と語り合いたい気持ちがとても強くなりました。対面のセミナーの時はそういう時間もあったのですが、ZOOMではそういう時間が持てないのは本当に寂しいです。もちろん、セミナーのブログで受講者の皆様の感想は拝読できるのですが、やはりはお互いに語り合う会が1週間後ぐらいにあると、自身の気づきや学びがより深くなるのではないかと感じました。セミナー直後に感じたことと、しばらく立ってまたじんわりと出てくる思いもあるでしょうし、同じ時間を共有していても、多様な思いや考えに触れ、そこからまたエネルギーがわいてくる感じがします。ZOOMでのセミナーがまだ続くのであれば、そういう機会も得ることができたらと思いました。また、皆様とご一緒に傾聴セミナーでお会いできることを楽しみにしています。
傾聴のセミナーがオンライン形式になって2回目の参加でした。前回のセミナーで、オンラインでも傾聴を十分に学べるという体験を踏まえての参加でしたが、今回は、改めて、直接お会いして相手の方の存在をリアルに感じながらお話をすることができない難しさを感じた気がしました。なんだろう、この感覚は...と思いながら過ごしていたその後の日々の中で実は、セミナーの本当の意味が実感できたのは、時間が経過してからのことでした。傾聴のセミナーに10回以上参加させていただいている中で新しい学びでした。それは、セミナーに参加した時間の中で体験したことがその場でもしくはその直後には分からなかった意味が、時間を経て、後からじわじわと理解できるという感覚でした。
セミナーの3日後、私は、地元の言語聴覚士養成校で毎年担当させていただいている吃音の講義に伺うことになっていました。それまで知識として吃音を学んできた学生さんに、対人援助職としての言語臨床を学んでもらえるような実践的な講義を行うのが私の役割なので、毎年、ロールプレイを交えたり、学生さん同士の話し合いを取り入れたりして、言語聴覚士は人を相手にする仕事なのだという、当たり前のようで学生さんが実感できていないことを認識してもらえるように努めてきました。現在、養成校の学生さんたちは感染症対策のためオンラインによる講義を余儀なくされており、講師はおろか学生さん同士も直接のコンタクトがないままに過ごしてきています。今回は幸運にも長野の感染拡大が少しおさまってきたタイミングでの講義だったため、学校で対面の講義ができることになりました。そのような中、今回はちょうどセミナーの直後に講義に伺うということもあり、それまで準備していた内容をがらりと変えて、ことさら傾聴を意識した内容の講義に挑戦してみようと考えました。
まず、学生さんには2人1組になってもらい、保護者役・ST役に分かれてのロールプレイを通して来談者の思いにしっかりと傾聴するという経験をしてもらいました。「吃音の原因って何ですか?」と、来談者に問われた専門家が、その問いにどのように対応するかという設定です。傾聴のセミナーの様にまず、一人の学生さんに協力してもらって私と学生さんとでデモを行い、その後、学生さん同士でロールプレイに挑戦してもらいました。
来談者から投げかけられる問いや不安にただ情報を提供するだけでなく、なぜそのような不安を抱いているのか、どうしてそれを知りたいのかという、事情や背景に思いを巡らせ、しっかりと傾聴しながら相談に乗る。伝え返しや共感的に聴くということについても演習を通して経験してもらいました。これは、傾聴のセミナーに参加している社会人の人たちにとっても難しいことなので、学生さんたちにとってとてもハードルが高い課題であることは言うまでもありません。はじめのうち、久しぶりに会うクラスメートとのロールプレイに照れてしまっているのか笑いが止まらないペアもありました。戸惑っているのか、真剣に取り組めないのか、沈黙のままただニヤニヤと笑っている...といった学生さんもいました。しかし、ロールプレイの意味を伝え、回数を重ねていくと徐々に、時間が足りないくらいにしっかりと話し合いができるようになっていたり、真剣に役になりきって話し合いをしていたり、しっかりとうなずきながら話を聴いていたり、一生懸命伝え返しをしようとしていたりする姿が見られるようになりました。
最後に学生さんたちに「みなさんがこれからなろうとしている言語聴覚士という仕事は、毎日がこのような来談者との真剣勝負の対話の連続です。そこには大変さも、責任もあるけれど、とても大きな役割があり、そして楽しさもやりがいもあります。」と伝えました。講義後、学生さんが感想を書いてくださったのですが、演習の意義を感じてくださったことが伝わってきて、この形式を取り入れて本当に良かったと感じました。
セミナーの直後には思い至らなかったことが、1週間経った今、じんわりと意味を成してきているように感じます。もしかしたら私だけではなく、セミナーに参加された方々の中にも私のように、時間をおいてから少しずつ気づきや学びがある方もいらっしゃる方もおられるのではないかなと思いました。私はそんな皆さんのお声を聴きたいです。
今回は、自分に近い経験や出来事があった方や日ごろから自分に近い距離にいる方との、聴き手としての態度について再度考えさせられましたことについて書きたいと思います。
まず、自分に近い経験や出来事があった方の聴き手になるときの態度です。経験や出来事が近いがゆえに相手の方の感情にとても近づきすぎてしまう感覚や、逆に近い経験をしていてもその方の感じ方の違いや変容を自分と比較してしまい、過去の自分を責めるような感情が途中湧き出てきました。あたかも話し手になったかのように聴こうとしていたのですが、いつの間にか自分軸で聴いてしまっていました。さらに相手の方の情景を浮かべようとしても、自分の感情の情景とリンクしてしまうような想像にとどまってしまい、近い経験だからといって相手の方の語る情景が必ずしも容易に浮かぶわけではないと感じました。近いときほど聴き手としての態度に注意を払いたいと思いました。この時は第2の聴き手であったため余計にそのようになったのかもしれません。第1の聴き手の方は、とても自然の流れのなかで話し手の方に伝え返しされていたので、話し手の方もとても自然に語られているようにみえましたし、その聴き手が語られた情景はご本人さんともかなり一致していたようでした。それでも、話し手の方があとで「聴くこともエネルギーがいるけれども、話すほうもエネルギーいりますね。簡単に人には「話して」と言いがちだけれども、エネルギーがいるものだと理解してかかわっていきたい」と言われた時、そのことにも心を寄せていくことの必要性やだからこそ、余計に「聴いてもらえてよかった」と思っていただけるような聴き手になることの大切さを学びました。
次に、親しい人の聴き手となるときの態度です。親しいとはいえ、グループセッションでは初めて同じグループになりました。知っているだけにそれだけでバイヤスがかりました。聴き手である私に対する期待も勝手に思い込み、そのことで冷静さもなくしました。さらに、今回は、話し手の方は、まだ混沌としている自分の気持ちをそのまま語ってくださったのですが、その方への伝え返しを丁寧にするというよりも、問いかけが中心になってしまいました。問いかけながらご自身の気持ちを確認いただいたり、深めたりしていただければという思いもあったのですが、それが必ずしもよい聴き手の態度ではないことに途中から気づきました。しかし、なかなか修正できませんでした。混沌とされているからこそ、もう少し一緒にその場にとどまっていることも必要だったとあとで思いました。今回の経験は、特に自分の身近にいる人への傾聴の態度をも考えさせられる機会になりました。その方のことをあたかも理解しているような感覚で聴き手として臨んでしまうことが多いし、知っているだけにアドバイス思考も生まれやすくなるのだと思いました。
話し手としては、以前に比べて、随分語りたいことや出てきた感情をことばにすることのプロセスが自然で楽だなぁと感じました。それは聴き手の方の傾聴がとてもうまかったこともありますが、最初に行ったワークが助走になったからでもありました。語っている途中から、ワークで思考したこととつながり、より自分のことを感じながら、そして整理しながら語ることができました。全部がつながっている自分。過去からすべてつながっている自分を感じました。話し終わったあとに、聴き手の方々から思い浮かんだ情景やキーワードを伝えていただいたとき、いつも感じている「不安に感じるもの」の根底にあるものに気づけてとてもすっきりしました。頭で理解していた不安への解消方法の根拠にあたるものに出会えた気持ちになりました。
この傾聴セミナーは、いろいろな出来事に直面したとき、ひとはどういう気持ちになるのか、どういう変化が起こるのか、そのことに寄り添い、学べる機会になります。その対処のしかたもさまざまであり、正解はないものだと思うようになりました。ただ、その時々に誰に寄り添ってもらえたか、出会えたかはとても重要なことですね。
最後に、今回はいつも以上に、終わったあとにセミナーの感想を受講者の皆様と語り合いたい気持ちがとても強くなりました。対面のセミナーの時はそういう時間もあったのですが、ZOOMではそういう時間が持てないのは本当に寂しいです。もちろん、セミナーのブログで受講者の皆様の感想は拝読できるのですが、やはりはお互いに語り合う会が1週間後ぐらいにあると、自身の気づきや学びがより深くなるのではないかと感じました。セミナー直後に感じたことと、しばらく立ってまたじんわりと出てくる思いもあるでしょうし、同じ時間を共有していても、多様な思いや考えに触れ、そこからまたエネルギーがわいてくる感じがします。ZOOMでのセミナーがまだ続くのであれば、そういう機会も得ることができたらと思いました。また、皆様とご一緒に傾聴セミナーでお会いできることを楽しみにしています。
傾聴のセミナーがオンライン形式になって2回目の参加でした。前回のセミナーで、オンラインでも傾聴を十分に学べるという体験を踏まえての参加でしたが、今回は、改めて、直接お会いして相手の方の存在をリアルに感じながらお話をすることができない難しさを感じた気がしました。なんだろう、この感覚は...と思いながら過ごしていたその後の日々の中で実は、セミナーの本当の意味が実感できたのは、時間が経過してからのことでした。傾聴のセミナーに10回以上参加させていただいている中で新しい学びでした。それは、セミナーに参加した時間の中で体験したことがその場でもしくはその直後には分からなかった意味が、時間を経て、後からじわじわと理解できるという感覚でした。
セミナーの3日後、私は、地元の言語聴覚士養成校で毎年担当させていただいている吃音の講義に伺うことになっていました。それまで知識として吃音を学んできた学生さんに、対人援助職としての言語臨床を学んでもらえるような実践的な講義を行うのが私の役割なので、毎年、ロールプレイを交えたり、学生さん同士の話し合いを取り入れたりして、言語聴覚士は人を相手にする仕事なのだという、当たり前のようで学生さんが実感できていないことを認識してもらえるように努めてきました。現在、養成校の学生さんたちは感染症対策のためオンラインによる講義を余儀なくされており、講師はおろか学生さん同士も直接のコンタクトがないままに過ごしてきています。今回は幸運にも長野の感染拡大が少しおさまってきたタイミングでの講義だったため、学校で対面の講義ができることになりました。そのような中、今回はちょうどセミナーの直後に講義に伺うということもあり、それまで準備していた内容をがらりと変えて、ことさら傾聴を意識した内容の講義に挑戦してみようと考えました。
まず、学生さんには2人1組になってもらい、保護者役・ST役に分かれてのロールプレイを通して来談者の思いにしっかりと傾聴するという経験をしてもらいました。「吃音の原因って何ですか?」と、来談者に問われた専門家が、その問いにどのように対応するかという設定です。傾聴のセミナーの様にまず、一人の学生さんに協力してもらって私と学生さんとでデモを行い、その後、学生さん同士でロールプレイに挑戦してもらいました。
来談者から投げかけられる問いや不安にただ情報を提供するだけでなく、なぜそのような不安を抱いているのか、どうしてそれを知りたいのかという、事情や背景に思いを巡らせ、しっかりと傾聴しながら相談に乗る。伝え返しや共感的に聴くということについても演習を通して経験してもらいました。これは、傾聴のセミナーに参加している社会人の人たちにとっても難しいことなので、学生さんたちにとってとてもハードルが高い課題であることは言うまでもありません。はじめのうち、久しぶりに会うクラスメートとのロールプレイに照れてしまっているのか笑いが止まらないペアもありました。戸惑っているのか、真剣に取り組めないのか、沈黙のままただニヤニヤと笑っている...といった学生さんもいました。しかし、ロールプレイの意味を伝え、回数を重ねていくと徐々に、時間が足りないくらいにしっかりと話し合いができるようになっていたり、真剣に役になりきって話し合いをしていたり、しっかりとうなずきながら話を聴いていたり、一生懸命伝え返しをしようとしていたりする姿が見られるようになりました。
最後に学生さんたちに「みなさんがこれからなろうとしている言語聴覚士という仕事は、毎日がこのような来談者との真剣勝負の対話の連続です。そこには大変さも、責任もあるけれど、とても大きな役割があり、そして楽しさもやりがいもあります。」と伝えました。講義後、学生さんが感想を書いてくださったのですが、演習の意義を感じてくださったことが伝わってきて、この形式を取り入れて本当に良かったと感じました。
セミナーの直後には思い至らなかったことが、1週間経った今、じんわりと意味を成してきているように感じます。もしかしたら私だけではなく、セミナーに参加された方々の中にも私のように、時間をおいてから少しずつ気づきや学びがある方もいらっしゃる方もおられるのではないかなと思いました。私はそんな皆さんのお声を聴きたいです。