日没を待って全員が地下壕より脱出し、タポーチョ山を越え、三日がかりで5キロほど離れた集合地点の、地獄谷への大移動がこうして始まった。
その夜半、約150名の261空の隊員が、ラウラウ湾の海岸線に沿って移動しているとき、突如として隊列の中央部に敵巡洋艦の砲弾が降ってきて炸裂し、数名の戦死者と十数名の負傷者が出てしまった。
同時に負傷者のなかには炸裂音で鼓膜を破られ、全く耳が聞こえなくなった者もいた。
恐るべき暗闇での初弾命中である。
これも敵の電探による砲撃と考えられ、それ以降の夜間移動は、数名ずつに分散して移動することとなった。
砲弾の炸裂音によって耳が聞こえなくなった者には、一名ないし二名の同僚に手を握らせて行動させることにしたが、それら聴力を失った兵隊は顔に表情がなく、行動を共にするには非常に困難をきたした。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)
その夜半、約150名の261空の隊員が、ラウラウ湾の海岸線に沿って移動しているとき、突如として隊列の中央部に敵巡洋艦の砲弾が降ってきて炸裂し、数名の戦死者と十数名の負傷者が出てしまった。
同時に負傷者のなかには炸裂音で鼓膜を破られ、全く耳が聞こえなくなった者もいた。
恐るべき暗闇での初弾命中である。
これも敵の電探による砲撃と考えられ、それ以降の夜間移動は、数名ずつに分散して移動することとなった。
砲弾の炸裂音によって耳が聞こえなくなった者には、一名ないし二名の同僚に手を握らせて行動させることにしたが、それら聴力を失った兵隊は顔に表情がなく、行動を共にするには非常に困難をきたした。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)