岡本軍医長と兵2名は無事であったが、他の衛生兵は行方がわからず、私はI少尉(予備学生出身)と、他隊のH主計兵曹と3人で岩陰に潜んでいたため、奇跡的に生き残った様である。
私もいつの間に負傷したのか、右の脛(すね)がピリピリと痛む。
見ればズボンが破れて、血がにじんでいる。どうやら、小指の先くらいの傷を負ったらしいが、歩行には支障がなかった。
多分曲射砲の小さな破片によるものであろう。
とにかく、自分で言うのもおかしなことだが、この時点まで生き残っていたとは、まさに奇跡的としか言いようがなかった。
その頃は、もはや指揮系統は全くなく、流言飛語は乱れ飛び、命令らしきものも、疑心暗鬼で、誰かが何かを言うとみな、耳をそばだてて、取るに足らぬことであると、また、不信感が掻き立てられるといったありさまだった。
すでに陸海軍最高司令部は総攻撃の前夜、全員自決されたと聞いていた。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)
私もいつの間に負傷したのか、右の脛(すね)がピリピリと痛む。
見ればズボンが破れて、血がにじんでいる。どうやら、小指の先くらいの傷を負ったらしいが、歩行には支障がなかった。
多分曲射砲の小さな破片によるものであろう。
とにかく、自分で言うのもおかしなことだが、この時点まで生き残っていたとは、まさに奇跡的としか言いようがなかった。
その頃は、もはや指揮系統は全くなく、流言飛語は乱れ飛び、命令らしきものも、疑心暗鬼で、誰かが何かを言うとみな、耳をそばだてて、取るに足らぬことであると、また、不信感が掻き立てられるといったありさまだった。
すでに陸海軍最高司令部は総攻撃の前夜、全員自決されたと聞いていた。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)