徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑬・燃える燐光2~

2019-09-05 05:00:00 | 日記
ある夜間、敵の黄燐焼夷弾をうけた熱傷の幼児を抱きかかえた女性が、治療のため私たちの場所を探してやって来た。
傷口を診ると、暗闇の中で紫色の燐光を発し、皮膚に燃え広がっていく。
消毒液で清拭するが、燃え上がる黄燐はなかなか除去出来ず、傷口をヨードチンキで拭くと燐光はすぐ消滅したが、幼児は疼痛のため一段と泣き叫ぶ。
母親は夢中で胸に抱きしめ、乳房を吸わせる・・・ こうして、まさに文字通り、阿鼻叫喚の地獄谷となってきた。

7月2日。
地獄谷付近にも砲弾の落下が、いよいよ激しくなってくる。
この日司令部から、「わが海軍機のパナデル第二飛行場への緊急着陸が行われるかも知れぬから、その時に備えるため、261空の全員は飛行場近くの洞窟に移動すべし」という命令がきて、深夜、負傷者と医務隊員はトラック3台に分乗、他の者は徒歩でひそかにその洞窟へ移動する。

7月3日の午前3時頃、一行は指定された洞窟に到着した。
洞窟は、周囲が熱帯の樹木に覆われており、入口は径3メートルほどもあり、そこから約5メートルくらい斜めに梯子で降りると、内部は広く奥行きも7~80メートルはある。見れば、かねてより海軍の工作隊の手が加えられていたと見えて、木材で数段の床が張られており、早速そこに負傷者を収容し、医務隊、主計隊その他が駐留することになり、命令を待つことにした。暗闇の中にロウソクと灯油の光が点在し、それぞれ光の周辺に数人ずつが集まっている。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)