翌7月6日午前10時頃、はやくも総攻撃の命令が下った・・・・
『攻撃日時ーーー明7月7日午前3時攻撃地区ーーータナバク水上基地付近の米軍。合言葉は「星にたなばた」陸、海軍、その他で、約50人を一分隊とし、午前2時半にバナデル第二飛行場の北部に集結のこと』
と決まり、総攻撃隊員は約2000名と考えられた。
総指揮官は261空司令・上田猛虎海軍中佐であった。
7月6日---この日は洞窟において終日、総攻撃準備のため全員とも、極めて多忙であった。
工作隊は鉄棒を鋭く研磨して槍を製作して配り、ほかの者は機銃、歩兵銃などの兵器弾薬の整備、そしてまた、手榴弾の使用法の確認などであった。
主計隊からは各人とも二日分の携帯食料(乾パン)と、水の配給をうけた。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)
『攻撃日時ーーー明7月7日午前3時攻撃地区ーーータナバク水上基地付近の米軍。合言葉は「星にたなばた」陸、海軍、その他で、約50人を一分隊とし、午前2時半にバナデル第二飛行場の北部に集結のこと』
と決まり、総攻撃隊員は約2000名と考えられた。
総指揮官は261空司令・上田猛虎海軍中佐であった。
7月6日---この日は洞窟において終日、総攻撃準備のため全員とも、極めて多忙であった。
工作隊は鉄棒を鋭く研磨して槍を製作して配り、ほかの者は機銃、歩兵銃などの兵器弾薬の整備、そしてまた、手榴弾の使用法の確認などであった。
主計隊からは各人とも二日分の携帯食料(乾パン)と、水の配給をうけた。
(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)
徳川おてんば姫(東京キララ社)