徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑮・ああ白昼夢④~

2019-09-25 05:00:00 | 日記
2キロ近く前進して電信山を越える頃には、3人ともに疲労困憊のていで、体力の消耗は極度に達し、軍刀を杖にして歩いていても、その頃から精神状態さえもうろうとして来ていた。
岡本軍医長と訣別してから二日目の午前11時頃、3人とも倒れ込むようにして、ジャングル内で仮眠中、なかば夢の中で英語で喋っている声が聞こえ、私がハッと気が付いて目を覚ますと、木立の間から50メートルほど先に軽機を腰だめにした、数名の迷彩服を着た米兵が近づいてくるのをみた。

私は軍刀以外に武器もなく、反撃する余裕も気力もなかった。
当然、その場で射殺されるものと思っていたが、撃つ様子もなく銃口を向けて、ジャングルから出ろと合図をする。
3人は仕方なくジャングルの外のサトウキビ畑に、這うようにして出て、無抵抗のまま、米海兵隊員に捕らわれの身となってしまった。

私たち3人は、米兵の厳重な監視のもと、ジープと称する小型トラックで、日本軍捕虜収容所に連行され、私とI少尉は将校士官の収容区域に入れられた。
H兵曹は私たちと別の区域に収容されたのか、その日以降、二度と会うことは無かった。

その後、私達は、他の日本人捕虜と共にハワイに送られ、さらに米本土の数か所の収容所を移動しながら、最後にテキサス州のベースキャンプに転送されたのであるが、その間、私たちの最も恐れていた虜囚としての屈辱の日々を送らねばならなかったのである。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)