ほぼ3週間ぶりくらいに髭を剃る。鼻の下、口の下、顎からもみあげの下にかけて。
髭を毎日剃らなくてもいい、文字通り無精な髭を生やして構わないのは、育休中の特権である。
上手に手入れできる人なら生やし方もコントロールできるのだろうが、僕の場合はただ漫然と伸ばして放置しているだけ。
それでも意外と男前に見えるのは新発見で、気に入った。妻もこのワイルドさが嫌いじゃない様子。
今日からまたしばらく生やそう。再度剃るのが大変にならない程度に。長くなった髭はシェーバーで始末しづらい。
刃が毛を噛んでしまって「剃る」のではなく「引き抜く」感じになり、ところどころ血が滲む。
生後100日、「お食い初め」。
妻の買い物メモ通りに赤飯や鯛の尾頭付き(金目鯛。1500円くらいした。奮発)を買ってきたが、
実は鯛は店で鱗やはらわたを取り除いてもらうのが正解らしかった。
さばかれていない一尾まるまるの魚を買うのは初めてだから知らなかった。
妻が台所で、ネット検索で知った方法らしく、半分に切った人参を用いてゴリゴリと鱗を取り始める。
素人は包丁の背などではなく、水分のある柔らかめの素材で擦るのが魚に傷をつけなくていいらしい。
部屋中に魚の生臭い香りが立ち込め始める。そして、そこら中に削られた鱗が飛び散る。
(ネット情報によれば、これも致し方ないことらしい)。
さらに、苦戦してはらわたを取り除く。かれこれ1時間半もかかる。
ようやく魚焼きグリルに入れれば、ぎりぎりいっぱいの大きさ。
片面をしばらく焼いて、あまりにも大変そうだから手伝おう…などと僕が余計な手を出したのが間違いだった。
表裏をひっくり返そうと引き出したグリル皿を、見事に落っことしたのだ。
尾頭付きなのに、ぱっくり頭がもげてしまう鯛。胴体の一部も砕け散る。
…絶句する妻。ひたすら謝る僕。
それでもなんとか写真映えする程度には“修復”でき、赤飯、お吸い物、紅白なますとともに、
お宮参りで授与された漆の器に載せて、「食べたふり」儀式にこぎつける。
実は今日は日中から、坊の足型を絵の具でスタンプして残すという妻と、
嫌がる坊に無理矢理そんなことをさせるのは親のエゴでしかないという僕とでギクシャクしていて、
ずっと後味の悪さを引きずっていたのだが、そういう空気が結実してしまったかのような厄の降りかかりようだった。
まさか、剃らずにいた髭がジンクスになっていたわけでもなかろうが。
髭を毎日剃らなくてもいい、文字通り無精な髭を生やして構わないのは、育休中の特権である。
上手に手入れできる人なら生やし方もコントロールできるのだろうが、僕の場合はただ漫然と伸ばして放置しているだけ。
それでも意外と男前に見えるのは新発見で、気に入った。妻もこのワイルドさが嫌いじゃない様子。
今日からまたしばらく生やそう。再度剃るのが大変にならない程度に。長くなった髭はシェーバーで始末しづらい。
刃が毛を噛んでしまって「剃る」のではなく「引き抜く」感じになり、ところどころ血が滲む。
生後100日、「お食い初め」。
妻の買い物メモ通りに赤飯や鯛の尾頭付き(金目鯛。1500円くらいした。奮発)を買ってきたが、
実は鯛は店で鱗やはらわたを取り除いてもらうのが正解らしかった。
さばかれていない一尾まるまるの魚を買うのは初めてだから知らなかった。
妻が台所で、ネット検索で知った方法らしく、半分に切った人参を用いてゴリゴリと鱗を取り始める。
素人は包丁の背などではなく、水分のある柔らかめの素材で擦るのが魚に傷をつけなくていいらしい。
部屋中に魚の生臭い香りが立ち込め始める。そして、そこら中に削られた鱗が飛び散る。
(ネット情報によれば、これも致し方ないことらしい)。
さらに、苦戦してはらわたを取り除く。かれこれ1時間半もかかる。
ようやく魚焼きグリルに入れれば、ぎりぎりいっぱいの大きさ。
片面をしばらく焼いて、あまりにも大変そうだから手伝おう…などと僕が余計な手を出したのが間違いだった。
表裏をひっくり返そうと引き出したグリル皿を、見事に落っことしたのだ。
尾頭付きなのに、ぱっくり頭がもげてしまう鯛。胴体の一部も砕け散る。
…絶句する妻。ひたすら謝る僕。
それでもなんとか写真映えする程度には“修復”でき、赤飯、お吸い物、紅白なますとともに、
お宮参りで授与された漆の器に載せて、「食べたふり」儀式にこぎつける。
実は今日は日中から、坊の足型を絵の具でスタンプして残すという妻と、
嫌がる坊に無理矢理そんなことをさせるのは親のエゴでしかないという僕とでギクシャクしていて、
ずっと後味の悪さを引きずっていたのだが、そういう空気が結実してしまったかのような厄の降りかかりようだった。
まさか、剃らずにいた髭がジンクスになっていたわけでもなかろうが。
昼食は昨日残しておいた生姜焼き。
食べながらテレビのスイッチを入れると、TBS『ひるおび』はゴールデンウィークの振り返り。
高速道路の渋滞の事前予測が外れたとか、ディズニーランドの混み具合がどうだったなどと話題にしているが、
そもそも、今日のこの時間に『ひるおび』を見ている視聴者など、
(自分も含めて)ゴールデンウィークに関係なく休めている人だろう。
そういう人に「ゴールデンウィークの過ごし方」の情報を提供することの無意味がおかしかった。
チャンネルを変えればフジ『バイキング』は今日もまた小室圭を話題にしていて、
「何日か前の録画再放送?」と思えてしまうほどの、同じ内容の繰り返しのしつこさが馬鹿らしかった。
単に「婚約が中断しているだけ」の人になぜそんなに興味が湧くのか。そのレポートにどれだけの意義があるのか。
育休を取ってわかったことだが、昼間の情報番組はどれも、題材を軽めに取材してつないだだけのVTRを流し、
それをスタジオトーク(愚にもつかない「有識者」たちの)で受けて薄く薄く引き伸ばし、
中身のない内容をダラダラ垂れ流しているだけ、ということだ。
こういうのを漫然と見て時間を潰すような日々を送っていると、人間はとことんダメになるだろうなと思う。
僕は育休の裏テーマは「定年退職後のリハーサル」だと思っているが、こういう定年退職後になってしまったら最悪だなと思う。
午後は妻が区役所の子育て講座に出向いたので、坊の面倒は僕がひとりで見ていた。
「面倒を見る」と言っても、結局は「抱っこしている」ということなんだけど。
かつては抱っこのし過ぎは「余計な抱き癖がつく」などと言われて避けるべきこととされていたようなんだけど、
今は「どんどん抱っこしてあげて」がセオリーらしい。ありがたいことだ。坊を見ているとついつい抱っこしたくなってしまうから。
腕が痺れるまで抱っこする。落ち着いたら、布団に寝かせて添い寝する。
こうなると僕自身ができることは限られてしまい、
録画のテレビ(漫然と点けるのではない、意識して見たいと思って選んだ番組を、だ)を見るか、
本を読むかくらいしかできなくなるけれど、それでいい。今は赤ん坊を抱っこすることこそが僕の一番の仕事なのだ。
食べながらテレビのスイッチを入れると、TBS『ひるおび』はゴールデンウィークの振り返り。
高速道路の渋滞の事前予測が外れたとか、ディズニーランドの混み具合がどうだったなどと話題にしているが、
そもそも、今日のこの時間に『ひるおび』を見ている視聴者など、
(自分も含めて)ゴールデンウィークに関係なく休めている人だろう。
そういう人に「ゴールデンウィークの過ごし方」の情報を提供することの無意味がおかしかった。
チャンネルを変えればフジ『バイキング』は今日もまた小室圭を話題にしていて、
「何日か前の録画再放送?」と思えてしまうほどの、同じ内容の繰り返しのしつこさが馬鹿らしかった。
単に「婚約が中断しているだけ」の人になぜそんなに興味が湧くのか。そのレポートにどれだけの意義があるのか。
育休を取ってわかったことだが、昼間の情報番組はどれも、題材を軽めに取材してつないだだけのVTRを流し、
それをスタジオトーク(愚にもつかない「有識者」たちの)で受けて薄く薄く引き伸ばし、
中身のない内容をダラダラ垂れ流しているだけ、ということだ。
こういうのを漫然と見て時間を潰すような日々を送っていると、人間はとことんダメになるだろうなと思う。
僕は育休の裏テーマは「定年退職後のリハーサル」だと思っているが、こういう定年退職後になってしまったら最悪だなと思う。
午後は妻が区役所の子育て講座に出向いたので、坊の面倒は僕がひとりで見ていた。
「面倒を見る」と言っても、結局は「抱っこしている」ということなんだけど。
かつては抱っこのし過ぎは「余計な抱き癖がつく」などと言われて避けるべきこととされていたようなんだけど、
今は「どんどん抱っこしてあげて」がセオリーらしい。ありがたいことだ。坊を見ているとついつい抱っこしたくなってしまうから。
腕が痺れるまで抱っこする。落ち着いたら、布団に寝かせて添い寝する。
こうなると僕自身ができることは限られてしまい、
録画のテレビ(漫然と点けるのではない、意識して見たいと思って選んだ番組を、だ)を見るか、
本を読むかくらいしかできなくなるけれど、それでいい。今は赤ん坊を抱っこすることこそが僕の一番の仕事なのだ。
朝は6時前に目覚めてしまい、布団に寝転がったまま吉田修一『橋を渡る』を読む。
再読のはずで、記憶にある細かいシーンはいくつかあったものの、ストーリー自体はほとんど覚えていなかった。
そんなわけで、こういう展開の話だったか!と、初読のように驚かされる。
連休最終日にふさわしい、室内での休息を誘う曇天。
今日が有効期限の15%オフクーポンを使いたさに自転車でドラッグストアに行き、妻の授乳ケア用品を買う。
その他に商店街で肉や野菜など。
録画の『ザ・ノンフィクション』。歌舞伎町42歳崖っぷちホスト。
特段”いい奴”でもなさそうな主人公が、それでもSNS動画を活用したらなんとなく浮上してきました、というちょっと浅い話。
ホストのような人気商売は、こういう取材自体が「話題作り」ひいては「宣伝」になるわけで、
こうなるとドキュメンタリーも、「真に迫る」というよりおのずと「馴れ合い」の産物になるだろう。
「こんな取材を受けてこの人はいったい何の得があるの?」というものにしか、ドキュメンタリーの真実などないということだ。
歌舞伎町ホストはこの番組が(というよりこの番組の視聴者が)いかにも好みそうなネタではある。
夕食は豚の生姜焼きを作った。ここ最近で2度目。我ながらどの料理も1度目より2度目は手際が良くなっている。
付け合わせのキャベツの千切りは包丁ではなくスライサーでやるのが食感的にベター、という今さらながらの発見。
再読のはずで、記憶にある細かいシーンはいくつかあったものの、ストーリー自体はほとんど覚えていなかった。
そんなわけで、こういう展開の話だったか!と、初読のように驚かされる。
連休最終日にふさわしい、室内での休息を誘う曇天。
今日が有効期限の15%オフクーポンを使いたさに自転車でドラッグストアに行き、妻の授乳ケア用品を買う。
その他に商店街で肉や野菜など。
録画の『ザ・ノンフィクション』。歌舞伎町42歳崖っぷちホスト。
特段”いい奴”でもなさそうな主人公が、それでもSNS動画を活用したらなんとなく浮上してきました、というちょっと浅い話。
ホストのような人気商売は、こういう取材自体が「話題作り」ひいては「宣伝」になるわけで、
こうなるとドキュメンタリーも、「真に迫る」というよりおのずと「馴れ合い」の産物になるだろう。
「こんな取材を受けてこの人はいったい何の得があるの?」というものにしか、ドキュメンタリーの真実などないということだ。
歌舞伎町ホストはこの番組が(というよりこの番組の視聴者が)いかにも好みそうなネタではある。
夕食は豚の生姜焼きを作った。ここ最近で2度目。我ながらどの料理も1度目より2度目は手際が良くなっている。
付け合わせのキャベツの千切りは包丁ではなくスライサーでやるのが食感的にベター、という今さらながらの発見。
昨日のK公園探訪が気分良かったので、今日も新しく公園を開拓してみようと思った。
川を上流に行って右にそれたところにあるM公園に行ってみる。
ご飯を炊いておにぎりをつくる。具は鮭、梅干し、昆布。
おかずはシュウマイ、大根とこんにゃくの煮物、レタスとキュウリとトマトのサラダ。
妻の授乳が終わってから、昼食には遅めの1時頃出発。
川の上流域は柵の内側に絶壁状のコンクリート河岸が続く「ドブ川」状態で、
沿線に並木もなく、家々の裏側の壁が狭い歩道ギリギリまで迫ってきているので、あまり歩き心地はよくない。蚊柱をなす小虫も多い。
しかも、ゴミ収集車の駐車場とか、倉庫とか、墓場とか、いかにも「町の裏側」然としたものばかりが川の方を向いている。
途中、箸を持ってこなかったことに気づいたので、スーパーに寄ってから揚げを買い、箸をつけてもらう。
M公園は昨日のK公園と同じく原っぱが中心の公園だが、K公園のようには大きな樹木がなく、日影が少ない。
「工場跡地の荒れた更地を公園化しました」といった体。テーブル付きのベンチも少ない。
それでも空いたベンチを見つけて、持ってきた食事を広げる。
おかずを作り過ぎた(しかもから揚げまで買い足したし)と思ったが、難なくすべて平らげてしまった。
今日は端午の節句。妻は昨日までせっせと布地で鯉のぼりを作っていた。
その鯉のぼりをベビーカーにぶら下げて連れてきていた。通り過ぎる子どもたちがそれをちらっと眺めていく。
元来た道を帰る。暑い日で、家に着いてリュックサックを下ろすと、シャツの背中に汗のしみが広がっていた。
坊にこれもまた妻手作りの布の兜をかぶせて、玄関先で記念撮影。
ただし、着せている服(これも妻手作り)がサイケデリックな洋装なので、
武士の兜というよりナポレオンの帽子に見えてくる。
夜、茶碗を洗う際、洗い桶の洗剤の泡の下に包丁を沈めていたのを忘れて不用意に手を突っ込んでしまい、
右手の親指を刃でえぐってしまう。仕方がないので茶碗洗いを妻に代わってもらった。
指のちょっとした切り傷だけで、もういろいろなことがしづらくなる。不快感が澱となって積もる。
体は大切にしなきゃいけない。
川を上流に行って右にそれたところにあるM公園に行ってみる。
ご飯を炊いておにぎりをつくる。具は鮭、梅干し、昆布。
おかずはシュウマイ、大根とこんにゃくの煮物、レタスとキュウリとトマトのサラダ。
妻の授乳が終わってから、昼食には遅めの1時頃出発。
川の上流域は柵の内側に絶壁状のコンクリート河岸が続く「ドブ川」状態で、
沿線に並木もなく、家々の裏側の壁が狭い歩道ギリギリまで迫ってきているので、あまり歩き心地はよくない。蚊柱をなす小虫も多い。
しかも、ゴミ収集車の駐車場とか、倉庫とか、墓場とか、いかにも「町の裏側」然としたものばかりが川の方を向いている。
途中、箸を持ってこなかったことに気づいたので、スーパーに寄ってから揚げを買い、箸をつけてもらう。
M公園は昨日のK公園と同じく原っぱが中心の公園だが、K公園のようには大きな樹木がなく、日影が少ない。
「工場跡地の荒れた更地を公園化しました」といった体。テーブル付きのベンチも少ない。
それでも空いたベンチを見つけて、持ってきた食事を広げる。
おかずを作り過ぎた(しかもから揚げまで買い足したし)と思ったが、難なくすべて平らげてしまった。
今日は端午の節句。妻は昨日までせっせと布地で鯉のぼりを作っていた。
その鯉のぼりをベビーカーにぶら下げて連れてきていた。通り過ぎる子どもたちがそれをちらっと眺めていく。
元来た道を帰る。暑い日で、家に着いてリュックサックを下ろすと、シャツの背中に汗のしみが広がっていた。
坊にこれもまた妻手作りの布の兜をかぶせて、玄関先で記念撮影。
ただし、着せている服(これも妻手作り)がサイケデリックな洋装なので、
武士の兜というよりナポレオンの帽子に見えてくる。
夜、茶碗を洗う際、洗い桶の洗剤の泡の下に包丁を沈めていたのを忘れて不用意に手を突っ込んでしまい、
右手の親指を刃でえぐってしまう。仕方がないので茶碗洗いを妻に代わってもらった。
指のちょっとした切り傷だけで、もういろいろなことがしづらくなる。不快感が澱となって積もる。
体は大切にしなきゃいけない。