tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

今月読んだ本と観た映画(2013年7月)

2013-07-31 23:00:00 | 今日の出来事
気に入ったものはリンクあり。


<今月読んだ本> 4冊 

10(水) ■高村薫 『冷血(上)』
      ※下巻は途中で放棄。筆致のクドさに閉口。

24(水) ■吉田修一 『愛に乱暴』

29(月) ■橘玲 『不愉快なことには理由がある』

30(火) ■水道橋博士 『藝人春秋』


<今月観た映画> 15本

12(金) ●ピーター・フォーク 『刑事コロンボ 死を呼ぶジグソー』

13(土) ●ルーカス・ブラック ナタリー・ケリー 『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』
     ●ピーター・フォーク 『刑事コロンボ 犯罪警報』
     ●中谷美紀 大森南朋 『スイートリトルライズ』 

14(日) ●マット・ディロン ジャン・レノ 『アーマード 武装地帯』
     ●ジェニファー・ティリー ジーナ・ガーション 『バウンド』
     ●堀北真希 高良健吾 『白夜行』

15(月) ●ピーター・フォーク 『刑事コロンボ 4時02分の銃声』 
     ●ブラッドリー・クーパー エド・ヘルムズ 『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』

18(木) ●ジーン・ハックマン ウィレム・デフォー 『ミシシッピー・バーニング』

27(土) ●ピーター・フォーク 『刑事コロンボ 殺意の斬れ味』
     ●ウィル・スミス ブリジット・モイナハン 『アイ,ロボット』
     ●原田芳雄 大楠道代 『大鹿村騒動記』

30(火) ●ピーター・フォーク 『刑事コロンボ 復讐を抱いて眠れ』
     ●リチャード・ジェンキンス ヒアム・アッバス 『扉をたたく人』

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美濃路・木曽路 3日目(馬籠・妻籠) 

2013-07-22 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
今日は馬籠から妻籠まで歩く。妻籠までは9km。まっすぐ向かえば午前中には歩き終えてしまうだろうから、まずは反対方向・中津川方面に2km歩き、木曽路と美濃路の境に位置する、島崎藤村の「是より北 木曽路」の碑からスタートしようと思う。
8:26 馬籠宿を抜けると、農村の里が広がる。陽射しが厳しい。

そこが登校の待ち合わせ場所になっているのだろうか、四辻の東屋に中学生が集い、揃ったので出て行く。

杉並木の日陰がありがたい。それは古の旅人も同じ思いだったはずだ。諏訪神社。

道端の畑に、肥えたカボチャがごろんと。

なんとも優美な田んぼの景色。急過ぎず・のっぺりし過ぎずの傾斜、高過ぎず・低過ぎずの遠景の里山が、なんとも絶妙。田舎暮らしをするなら、こういう景観のところでしたいと思う。

中津川の町を遠望。

9:04 「これより北 木曽路」の碑。木曽路の入口。ここからあらためて馬籠・妻籠へ向けて歩き出す。

一里塚。土を盛った塚が道の両側に。塚の上には榎または松を植えて、旅の行程や駄賃・運賃の目安としたという。一里=3.92km。

この旅では随所で見かけた。軒先に整然と詰まれた薪。「どうせいずれ燃やしてなくなるものだし、テキトーな大きさに伐って、テキトーに積んでおけばいいじゃん」とはならないのだ。「物の用」が作り出した美、とでも言うのかな。機械の動作ではなく人の所作が、狙ったわけではなくおのずと、作り上げる美。

置いたり吊ったり懸けたり、和のガーデニングは派手ではないのに変化に富んでいる。

前方の山の中腹に馬籠宿が。戻ってきた。

宿場の入口の農協の売店で買った「ひがしみの茶」。

9:46 宿場の坂の下にある水車。てっきり観光用のわざとらしいしつらえかと思っていたので昨日から素通りしていたけど、なんと、これでちゃんと発電もしているのだという。お飾りではないのだ。

石畳の坂道を登っていく。平日の昼、訪れる観光客は少なく、宿場の宿泊客もすでに旅立っている時間帯、静かだ。

道端に色鮮やかなキキョウが。

宿場のはずれ、恵那山を望む展望台。山頂は夏の雲に隠れている。ところで、今歩いているのは木曽路。木曽地方と言えば長野県のはずなのに、ここは岐阜県中津川市。何か違うな…と思っていたら、ここに建つ「越県合併記念碑」でその理由がわかった。2005年、いわゆる「平成の大合併」で、ここ馬籠を擁していた長野県山口村は、県を越えて岐阜県中津川市と合併したのだという。つまり元々は長野県だったのだ。しかし、さらに遡った古代は、このあたりは美濃国であったそうだから、今は「本来の所属先に戻った」というところなのかも知れない。

十返舎一九の碑。ここ、峠の集落は栗こわめしが名物だったというが、「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」と、ずいぶん失礼な内容。

碑のそばに東屋があり、腰かけて休む。馬籠宿を過ぎてから頻繁に休んでいる。距離も、傾斜も、昨日の恵那山登山ほどではないのに、強烈な陽射しが効くようだ。ふと後ろを振り返ると、腰の曲がったおばあさんが畑の畝に鍬を入れていた。少しずつ土を耕しては、地面に刺したままの鍬にもたれかかって休む。畑の脇には背負い籠とともに杖が置かれていて、あの杖をついてここまで来たのかなと思う。田舎のお年寄りはよく体を動かしているよなあ。東京の僕の地元のバスでは、特に体が不自由そうに見えなくとも、停留所2つ3つ、わずか数百メートルの区間でバスを使う年寄りがいる。同じ年寄りでも「人種」はずいぶん違う。体を動かすことではなくデスクに向かうことが「仕事」と思っていて、かつ、サービスが身の回りに溢れていてそれを存分に享受するのは当然のこと、と思っていると、後者の老人になってしまうだろう。

峠の集落を行く。神社の境内の草を刈っていたり、ガレージの中で収穫した芋の仕分けをしていたり、暑さにめげず、本当にお年寄りがよく働いている。

10:58 馬籠峠。標高801m。木曽路の入口から高低差306mを登ってきた。ここを越えると長野県。妻籠宿(標高430m)には371m下っていく。

山道を下る。

樹齢300年のサワラ(椹)の大樹。サワラ材は耐水性が高いため、風呂桶に使われるという。胴回り5.5m、樹高41mのこの木からは、「風呂桶が300個作れます」と説明書きに。カッコーン。

男滝。木陰と水辺の涼しさが嬉しい。

そのすぐそばの女滝。滝を落ちる水を眺めていると、水滴がストップモーションになる瞬間があり、でもそれはすぐに割れて砕けて消えてゆき、見ているうちに釣り込まれそうになる。

大妻籠の集落が見え出す。

急な坂道の途中に建つ牛頭観音。重い荷物を運んで街道を行き来した黒牛の供養塔。

12:38 妻籠宿へ入ってきた。

階段で道がジグザグに。枡形。

石垣と白壁が印象的な光徳寺。

その門前から宿場を見下ろす。

かつては役場だったという観光案内所でパンフレットを眺めていると、雨が降ってきた。結構な降り方で、30分ほど足止め。雨がしのげる場所にいてよかった。

雨がやんだので再び歩き出す。

問屋場(人馬会所)。公用の旅客に人馬を提供するための施設。人足の指示や荷物の割り振りを行い、宿場の中で最も賑やかな場所だったという。

13:38 この茶店の店先の縁台で休憩。

白玉あんみつ。

宿場を眺めながら。町並みを守り続ける志は本当に素晴らしいと思うけど、欲を言えば、路面はアスファルトじゃないほうがいいなあ…。

歩き出したと思ったら、5分もしないうちにまた別の店に入る。

これ目当てに。五平餅。この店の自家製というゴマダレが美味しい。タレだけでも舐めたくなるくらい。

タレはボトルに詰められお土産として売っている。店内の貼り紙のこのレシピの豊富さが決め手となり(料理をしない僕でも手軽にいろいろ使えそうだ)、1つ購入。

歩き出すと、再び篠突く雨が。この熊谷家住宅で雨宿り。

家の前には大岩「鯉岩」が。緑に覆われて輪郭はわかりにくいが、鯉が身を捻って水面を跳ね上がるさまのようにも見える。雨の降り方に負けず蝉時雨が一帯に広がっている。人の気配はない。この辺りで妻籠宿は終わり。まだ時間はあるので、ここからさらに4km先の南木曽まで歩こうと思っている。それでも余裕がありそうなので、のんびり休んでいる。

座敷の席順。座敷側に主人と長男、奥に妻と長男の嫁、手前に長男以外の子ども。

奥の緑が見通せる。…雨はやみそうにないので、ほどなくして歩き出す。

街道をいったん逸れ、妻籠城址へ続く山道を登る。

14:39 妻籠城址。妻籠宿を見下ろす。今回の旅は、3日間毎日、城跡(どれも山城)を訪ね、宿場を歩いた旅だった。

途中、枝分かれする道を歩いて民家の庭先に出てしまい、戸を開け放った座敷で新聞を広げて読んでいたおばあさんと目が合ったりしながら(会釈して切り抜けた。そのまま歩き続けると再び元の道に合流した)、街道を行く。馬籠から妻籠までは外国人も含め何組かの人とすれ違ったが、もう歩く人とは出会わない。雨はやんだ。

木曽川畔の南木曽の町が見えてきた。

かつて中央本線を走ったというD51が展示されていた。置かれている線路は中央本線の旧線だという。

中央本線。山を貫く堂々たる複線。「幹線」の風格。この後、線路沿いを伝って南木曽駅前に出るが、まだ時間があるので歩き続ける。

ダンプやトレーラーが疾走する国道19号と川幅のある木曽川を跨いで、立派な吊り橋が。

15:33 木曽川の水力発電開発に力を注いだ電力王・福沢桃介が、大正11年に発電所建設の資材トロッコ運搬路として架けた「桃介橋」。床部分には栗と松が、トラス部分には杉と檜が使われていたという(平成の復元時は別の木材を使用)。全長247m。木製の補剛トラスを持った吊橋としては、日本有数の長大橋だという。

橋の真ん中、木曽川の流れ。

南木曽駅へ。今日歩いたのはおよそ18km。ここから東京への帰途となる。旅ももう終わるという淋しさと、無事に行程を終えられた安堵感と。

ホームの隣には木材の集積場が。

南木曽駅。
【南木曽16:00―(ワイドビューしなの17号)→16:53塩尻】

塩尻駅。
【塩尻17:07―(スーパーあずさ28号)→19:11立川】
小仏トンネルをくぐり東京都に入ると、雨が降り出した。


<旅の会計> 47882

■1日目 31023
JR 東京都区内~名古屋~吉祥寺 乗車券 10190
※行き・帰りで分けて買うより、ほぼ1周のこの片道切符の方が割安になる。
 恵那~南木曽の未乗車区間を入れても、1200円ほど安い。
 本当は「東京都区内~東京都区内」で買いたかったが、それはできないそうなので、
 都区外最初の駅、吉祥寺までの切符とした。
JR 東京~名古屋 新幹線特急券 3980
明知鉄道 恵那~岩村 470
レモンスカッシュ 120
菓子パン 116
明知鉄道 岩村~明智 360
烏龍茶 38
明知鉄道 明智~恵那 670
レンタカー 6825
ミルクティー、烏龍茶、マンゴープリン、アイス、菓子パン 563
夕食(ビビンバと冷麺) 1491
ホテル 6200

■2日目 10419
おにぎり 315
ガソリン 639
北恵那交通バス 中津川駅~馬籠 540
旅館 8925

■3日目 6440
お茶 100
白玉あんみつ 600
五平餅 250
駅弁(とりめし) 820
JR 南木曽~塩尻~立川 特急券 4670

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美濃路・木曽路 2日目(恵那山登山・中津川)

2013-07-21 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
「枕が変わると眠れない」のセオリー通り、ゆうべはなかなか寝付けなかった。ホテル特有のあの「ピシッと張られた掛け布団シーツ」が馴染めなくて、柔らかくしようとして何度も大きく寝返りを打った(やりすぎると寝相次第でシーツと布団がバラバラになり鬱陶しくなるので、頃合いが難しい)。そうして午前3時過ぎまで眠れなかったのに、わずかの後に目覚めた。目覚めてしまったのなら、もう寝ようとは思わず、出発することにする。今日は恵那山に登る。ガイドブックによれば、歩程は8時間40分。下山後、中津川駅前でレンタカーを返し、16:30に出る馬籠行きのバスに乗りたい。逆算するとあまり余裕がない。早めに発つに越したことはない。
5:11 中津川のホテルの部屋の窓から恵那山方面を望む。山には雲がかかっている。少しどんよりとしている。

2車線のバイパス国道から県道、集落を抜ける道、行き違いが困難なほど細く急カーブが続く山道…と24km走ってきて、神坂峠(ずっと「かみさか」と思っていたが下山後に「みさか」と読むと知る)の登山口へ。早朝にもかかわらず、あまり広くない駐車スペースにはすでに何台かが停まっており、僕の車でちょうどスペースが埋まった。
6:34 歩き出す。しっとりと霧に包まれている。ここの標高は1569m。頂上(2191m)との高低差は622m。

登る。生まれたての朝、爽やかな山歩き…と言いたいところだけど、小虫がブンブン飛んで顔にたかってきて、煩いこと。手で払いのけながら歩く。こういう、虫が賑やかな山なんだろうか、それとも、暑くなる前のこの時間帯だから動きが活発なんだろうか。

尾根上に出る。

6:50 ガイドブックには“第一のピーク”とある地点。前方に恵那山がどっしりと横たわる。

東側、南アルプスの山並みを望む。まだ柔らかい朝の陽射しが美しいが…虫たちのブンブンは続く。

北側、1つだけ突き出た頂は御嶽山だろう。

ピークを越えると下り道が続き、なんと、ここの標高はスタート地点の神坂峠より低いという。7:08 鳥越峠。
アップダウンが多いのがこのルートの特徴で、それゆえ、復路(下山)も往路と同じくらい時間がかかる、とガイドブックにある。

7:41 大判山(1696m)。前方の恵那山もだいぶ迫ってきた。

虫のブンブンもそろそろ落ち着いてきたので、朝食。昨晩中津川のバローで買った菓子パン。気圧差で袋がパンパンに膨らんでいる。

ひたすら歩き続けているが、ふと見上げると、ほっそりとした木立の緑が美しい。

北側、歩いてきた峰のさらに向こうに、木曽駒ケ岳などの中央アルプスが見える。

そこから少し西寄りに目を転じれば、孤高の御嶽山の頂も雲海の向こうに。いずれの山も未踏。いつか登りに行こう。

空には飛行機雲。天気は下り坂かな。

ここまでいくつかの登り下りを越え、いよいよ恵那山本体に取り付いたかな、と思う。駐車場に車があったから意外ではないが、何人かの早朝登山者の下山ともすれ違う。

頂上へ連なる尾根上に出る。南側、木々がなぜか立ち枯れている。

9:39 山頂小屋。その裏の岩の上から。奥の木立に隠れている赤い屋根はトイレ。汚物を自然に分解・蒸発させる仕組みになっているという。

9:48 恵那山頂(2191m)。木立に囲まれ眺望は利かない。櫓に上ってみてもそれは変わらなかった。櫓はまあ気休めみたいなものかな。来た道を引き返す。

10:53 天狗ナギ。ナギ=薙。山の一部が崩れて、横に切りはらったようになっている所。山の用語は、耳にしているようで、その意味をちゃんと知らなかったりする。こうして実地で学び直す。

「下山路」ながら、前方にはまだ越えるべき峰が聳える。なるほど、「往路も復路と同じくらい時間がかかる」わけだ。

12:28 “第一のピーク”まで戻ってくる。恵那山を振り返る。雲に隠れている。

“第一のピーク”は周囲がよく開けていて気持ちいい。今朝コンビニで買ったおにぎり3個の昼食。

さて、もうひと歩き!

12:53 登山口のアスファルトが見えてきた。下山。日本百名山、46座目を踏破。

神坂峠からは、対向車が来たら嫌だな…と思いながら幅のない山道を下り、それでも2度3度は行き当たってしまい、こっちが下がったり、向こうが下がったりで譲り合い、集落の道、県道、2車線のバイパス国道と走り、中津川駅前へ。馬籠行きのバスまでまだ2時間ある。中津川の見どころを探そうとビルの中の観光案内所に入るが、地図付きの観光パンフレットは英語・中国語のものしかなく、日本語のがない。係員もいない。やむなく、ロータリーに立っている観光案内のイラスト看板で当たりをつけ、やってきた。
14:33 苗木城跡。まあ、こんな風な石垣がちょこっと残ってるくらいでしょ、と思いながら歩いていくと…

おっ!前方に急峻な崖が現れ、その上に石垣が。あれは面白そうだ。

崖を登っていく。自然の大きな岩と人工の石垣を組み合わせてできた城。

頂上の櫓が見えてきた。陽射しが強く、先ほどの登山以上に大汗をかいている。

かつての天守閣の代わりに立つ櫓の上からの眺め。直下と言ってもいいくらい急角度の崖の下には木曽川が流れ、正面には恵那山の堂々たる姿が。神坂峠の「窪み」など、自分が先ほど歩いてきた稜線がよく見え、あらためて「あの山に登ってきたのだ」という実感が湧く。これは嬉しい眺め。来て良かったなあ。駅前で見た雑駁なイラスト看板だけで、よくぞここを探し当てたと思う。

櫓のすぐ下にある周囲45mの大岩「馬洗岩」。名前の由来が面白い。かつて苗木城が敵に攻められ水の手を切られた時、この岩の上に馬を乗せてその体を米で洗い、水が豊富であるかのように敵を欺いたのだという。なるほど、キラキラ光る米粒は遠目には水に見えたかも知れない。戦略のユニークさと、武士の痩せ我慢と。

15:15 レンタカーを返し、再び中津川駅前へ。「栗きんとん発祥の地」の碑。碑を建てる理由はいろいろあるものだなあ。水戸には「納豆の碑」もあったしなあ。苗木城の城主も栗の実を将軍家に献上していたとか。この辺りは煎茶も盛んだったため、地元の人たちの自慢のお茶うけが、いつしか土地の名産になっていったのだという。

恵那と同じく、中津川も中山道の宿場町。馬籠行きのバスの時刻まで1時間、町を歩くことにする。宿場の入口、高札場。

町を横切る中山道は商店街となっている。商店街と言っても、この炎天下、人出はほとんどないが。帽子屋さん。

矢印に従い細い路地を抜けると…

「桂小五郎隠れ家跡」が。かつてこの場所には料亭があり、長州藩士・桂小五郎(後の木戸孝允)は、江戸から京都へ向かっていた長州藩主・毛利慶親の行列をここで待ち受けていた。料亭での3日間の密談の結果、長州藩は朝廷方につくことを決断し、やがて討幕運動の中心勢力となっていく。いかにも「隠れ家」らしい密やかなアプローチの奥に、こんなにも歴史を大きく動かした場が存在したとはね。

「岐阜新聞・岐阜放送 中津川支局」が。一見民家のようで、住居と一体となっているんだろうか。「新聞社の通信局」というやつに僕はとてもシンパシーを覚える。火曜サスペンス劇場でやっていた水谷豊の「地方記者・立花陽介」シリーズ、ああいう人生に憧れたんだよなあ。

人通りのない商店街に、街灯のスピーカーからイージーリスニングが流れる…地方都市にありがちな光景。

商店街のあちこちに貼られていたポスター。そうか、リニア新幹線はこの町を通るのか。名古屋まで10分、品川まで50分だって。中山道の時代はもとより、昨日僕が東京から電車を乗り継ぎやって来た行程を振り返っても、なんとも暴力的なまでの短絡だなあ。そんなに東京を近づけちゃっていいんだろうか。

曽我家住宅。江戸時代は村の庄屋、宿の脇本陣で、明治時代は医院、そして今でも現役の住宅として使われているという。張り出したうだつ、統一感のある色調など、デザインがカッコいい。

うだつ。類焼を避けるための防火壁。昨日、明智の旧三宅家でも「火事が起きたら…」を想定した家の構造を見たけど、昔の家作りにとって、火事は本当に大問題だったんだな。

昨日から岩村、恵那、中津川と宿場を歩いて、宿場には決まった様式があるのだとわかった。入口に高札場があり、本陣、脇本陣、旅籠、木賃宿、問屋場があり、そしてこれがある。枡形。宿場の両端で道をクランク状に曲げた箇所。敵に容易に攻め込まれないための工夫だという。道の形状は今もそのままで、車がくるくるとハンドルを切って走っていく。この枡形に面して造り酒屋が。銘柄はズバリ「恵那山」。

酒屋の軒先には屋根付きの杉玉が。
来た道を折り返し、駅の方へ。

木の格子にシンプルな緑の鉢植えはよく似合う。

井戸。ポンプを押したらちゃんと水が出た。

四ツ目川。恵那山は雲に隠れている。

時代劇のセットのような「表面だけ」の建物が並んでいる一角。奥に進むと…

人感センサーに反応して蔵の窓から招き猫が現れた。運勢を占って喋るらしいのだが、スピーカーの音が雑音交じりで、2回やってみたが、何と言っているのか聞き取れない。「石や物を投げないでください」の貼り紙がなんだか痛々しい。この蔵はトイレになっていて、ちょうど便意を催したのでありがたくお借りする。すっきりしてバス乗り場に向かう。

16:55 中津川からバスで25分、馬籠へ。

石畳、この坂、このカーブ(この鍵曲がりはもちろん「枡形」)、この家並み…いいなあ。

通りを練り歩く観光客ももう撤収する時刻。落ち着いている。

通りに面したこの旅館に今日は泊まる。

入浴後、時間になって夕食の部屋に下りると、なんと僕以外の宿泊客はすべて外国人の個人客だったので驚いた。「ナカセンドー マゴメジュク」、日本人でも知らない人は多いだろうに、こんなにも外国人に愛されていたとは。なんだか胸を打たれた。
18:48 食事の係の人が「外で流しそうめんをやりますよ」と言うので食後に出てみると、通りの傾斜に沿って長い長い竹の管が。僕は宿の夕食でお腹いっぱいだったので見るだけだったけど、子どもたちは夢中で、水流に箸を突き立てて、そうめんが流れてくるのを今か今かと待ち構えていた。宿泊客というより地元の子どもたちみたいだ。

通りを登ってみる。明日もこの街道を妻籠まで歩くつもりだけど、昼の道、夕方の道、何度歩いても楽しめそうな魅力的な道。流しそうめん会場が途切れると静かになる。聞こえてくるヒグラシの鳴き声が夕涼みの雰囲気にふさわしい。

宿場の端まで歩く。登ってきた道を振り返る。ここでも宿場の様式通り、僕の後ろには高札場が。

家々に街灯が灯り始めた。

恵那山も次第に闇に沈む。


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美濃路・木曽路 1日目(明知鉄道沿線の町)

2013-07-20 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
【東京8:40―(のぞみ17号)→10:11名古屋10:24―(中央本線快速)→11:27恵那駅】
名古屋から乗った中央本線はロングシートでがっかりしたが、8両も連なってガラガラだったので、いちばん車端部の席で壁に寄りかかるように斜めに座って外を眺めた。名古屋から春日井、多治見、土岐、瑞浪、恵那と、通るのは全部「市」だが、決して市街地ばかりではなく、特に愛知・岐阜県境では長大トンネルと山深い渓谷沿いを走ったりもして、意外と変化に富むのだなと思った。
恵那駅から出る明知鉄道に乗る。切符の自動券売機はなく、1つしかない窓口で駅員に行先を告げて買う。駅員は切符を何かの機械に通した上で(日付を印字しているのか、パンチ穴を開けているのか)、あらためてパチンと鋏を入れる。いまどき珍しい悠長さ。出発時刻(11:38)は過ぎているが、乗客が全員切符を買い終わるまで発車を待っている。

硬券の切符。決して記念切符ではない。この切符で列車に乗り降りするのが明知鉄道の日常なのだ。あれば買おうと思ったが、「全線1日乗車券」のようなものはないみたい。どこまでも実直というか、融通が利かないというか。

12:08 路線の中ほど、昔ながらの町並みや城跡がある岩村で下車。ここで対向の列車と行き違う。線路脇には「腕木式信号機」が。平成16年まで実際に使われていたという。

駅舎の内部の様子。すぐに町に歩き出してしまうのが惜しいような居心地の良さ。

駅前はきれいさっぱり整備されている。

家々と田んぼが緩やかな傾斜地に広がっている。新幹線に乗り、電車を乗り継いで…と朝から慌しく動いてきたけど、ようやく「旅先」に来たかなと、息をつけた気がする。

昔ながらの町並みが残る通りに出る。昼下がり、路上にはひと気がほとんどない。

材木や年貢米を扱い、岩村藩内でも有数の商家だったという勝川家の内部。

中庭に面した縁側の雰囲気がいい。通りから奥まった所に秘められたふんだんな緑。邸の隣の建物はギャラリーになっており、廃材の電線を用いた、素人のかくし芸のような脱力ダジャレ系の作品が展示されていた。なんとものどか。

岩村の町の古い建物は、観光客向けのつくり物ではなく、町の人のための現役の商店として使われているところが素敵だ。履物屋さん。

その向かいの薬屋さん。

通りを抜けると、徐々に道に勾配が出てくる。太鼓楼。城下に時を報せたという。

岩村城は「日本三大山城」の1つだそうだ。その城へ向かう道。山道の様相を呈してきた。セミの鳴き声の合唱が濃くなる。

二の丸、本丸の石垣が見えてきた。

13:16 標高717mという本丸跡。江戸諸藩の府城の中で最も高い所にある城だという。1185年に源頼朝の重臣・加藤景廉が築城。高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧が湧きやすいため別名は「霧ケ城」。今は霧はなく視界は良好。山並みを望む。明日登る恵那山もどこかに見えているのだろうか。

頂上の様子。麓の城下町は木々に隠れて見えないが、もしかすると僕が乗るかも知れなかった明智行きの列車の汽笛が聞こえてきた。次の列車の時刻に合わせ、岩村での滞在は1時間にするか2時間にするか迷っていたのだが、町を歩いていると、慌てて去ってしまうのは惜しいような気持ちになり、列車を1本見送ることをもう決めていた。

14:01 再び町へ下りてくる。自販機でレモンスカッシュを買い水分補給。「町の食料品店」の佇まいながら、中に入ると意外なほど惣菜売場が充実している店でクリームとチョコの二色パンを買う。お釣りの1円玉を切らしているとかで、4円のところを5円玉、1円おまけしてもらった。地元の画家の作品を展示するギャラリーになっている古商家では、係の女性の方が丁寧に案内してくださる。町並みは今年3月に電線の地中化工事が終わり、すっきりとした景観になったのだという。

岩村駅へ。丸型ポストが現役。その隣に、地元出身の江戸の儒学者・佐藤一斎の格言の碑が。通りに面した家では、1軒1軒にこの佐藤一斎の格言が書かれた木札が吊るされていた。

岩村駅のホーム。青地に白抜きの平仮名駅名票、駅舎から張り出した屋根、それを支える色褪せた木の柱、まっすぐ伸び行く線路…こういう眺め、「旅をしている」という実感が湧いてくるね。

恵那から岩村まで乗ってきたのと同じ列車がやってきた。「valor」という、何と読むのかちょっとわからないスーパーの広告電車。14:20発。

14:40 終点・明智着。「ディーゼルカーの運転体験」ができるそうで、いかにもぎこちない感じでディーゼルカーが側線を行き来している。

恵那市の旧明智町は、町全体が大正時代の面影を残しているといい、別名「大正村」。板塀の細い路地。

山に取り付く急な階段が見え、登れば町が見渡せるかなと、上がってみる。八王子神社。明知鉄道の「ディーゼルカー運転体験」で鳴らしているのだろうか、とってつけたような汽笛がたびたび駅の方から響いてくる。

祭りがあるらしい。通りには赤い提灯の下がる笹が掲げられている。先ほど、神社の鳥居でも、男たちが脚立に上って電球のコードを取り付けていた。

明治39年に建てられた旧町役場庁舎。中は資料館。靴を脱いで上がるのだが、履いているのは登山靴。どうしても脱ぎ履きが億劫になってしまう。奥には入らなかった。暑さのせいか、物を丁寧に見ようという気力もちょっと失われている。日本の最高気温記録(40.9℃)を叩き出したのもここ岐阜県(多治見市)。そりゃ暑いはずだよなと思う。

緩やかな坂から石段を登りつめた正面にある、明治10年に建てられた旧小学校。中では、なぜか9.11アメリカ同時多発テロを題材にした絵が展示されていた。

山に抱かれた古民家。元禄元年(1688年)に普請されたという旧三宅家(移築)。ボランティアの人が虫除けのために囲炉裏に薪をくべているのは先日訪ねた日本民家園と同じ。家の中には厩があるのだが、壁の柱の下半分が途切れている。これは、火事が起きた時に土壁を壊して広げて馬を逃がせるよう、敢えてこの部分だけ柱を地面まで通していないのだという…係の男性がそんな解説をしてくれる。

三宅家を出たところ。町を見下ろす。右手には、“バブル時代の遺物”のような仰々しい洋館(「大正ロマン館」)が建っているが、素通り。

明治8年に開局したという旧郵便局(左:現在は「逓信資料館」)と、隣り合わせの現郵便局。

なかなか風格ある建物だが…カラオケスナックのようで、おばちゃんの演歌の歌声が遠慮なく通りに漏れ出している。「土曜の午後」って感じだね。

「空き店舗を改装してギャラリーにしました」という「街角ギャラリー」。ガラス戸越しに覗き込んでみると、薄暗い土間にプラレールの線路が敷かれ、車両が並んでいた。

町並みが続く。大勢の観光客が練り歩くような通りではなく、静かだ。

左は木曽路。三河地方から塩や織物を運んだという南北街道。まっすぐは伊那路。飯田地方から繭や薪を運んだという中馬街道。その交差点。右手後方、岡崎方面に至る道に入る。

生糸生産の盛んな頃、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んだという「うかれ横丁」。なんとも楽しげなネーミング。今は店はないが。家の渡り廊下が通りを跨いでいる。考えてみれば、渡り廊下というのもなかなか楽しい建築だ。「空中廊下」という別名もいい。

夏によく目にする植物。ノウゼンカズラ。

小川を渡る。十六銀行という銀行が見える。「ナンバー銀行」を見かけると、地方に来たなあと思う。十六銀行は岐阜が地盤の銀行。

観光案内所。広場には祭りの櫓が立ち、提灯が連なっている。広場の向かいには広告電車のスーパー「valor」が。読みは「バロー」だって。登記上の本社がここ恵那にある、岐阜県を本拠とするスーパー。プライベートブランドの500mlペットボトル烏龍茶が38円と驚異的。それで喉の渇きを潤す。

明智駅ホーム。乗ったこの列車、残念ながらロングシートだった。
16:07発。何かのスポーツ教室にでも通うのか、エナメルバッグを提げた女の子が1人乗っている。シートに浅めに腰掛けている感じ、手足の伸ばし方のぎこちなさ、いかにも子どもっぽいなと思う。列車の吊革は年間5000円で広告が付けられるみたいだけど、ずらっと並ぶうち、広告が付いているのは、どこかのジャズバーのが1つだけだった。

前面展望。路線はなかなか起伏が激しいようだ。高度計測機能のある僕の腕時計も、数値がよく変化する。ディーゼルカーの走りは車のそれに似ていて、峠を登る時はエンジンの唸りを高鳴らせ、峠を越えると途端に惰行に入ってすっと音が消える。

行きの列車でも「視界の歪み」が明らかだったので目を引いた。33‰(1000分の33)、「勾配日本一の駅」だって。飯沼駅。この画像、車内から見た車両ドアの枠のラインとホーム待合室の壁のラインの傾き方の違いでそれが伝わるだろうか?(車両=線路は向かって右側、恵那方向に下がっている)。

飯沼駅から先、客席側に半分開いた構造の運転席で、運転士は隣に立った父子連れと終点の恵那駅のホームに停まるまでずっとお喋りをしていたので、ずいぶん「自由」だなと思った。「走行中は運転士に話しかけないで下さい」ってものかと思ってたもんな。これぞ、素人にディーゼルカーを運転体験させる鉄道の文化なのかも知れない。
16:56 恵那駅着。

恵那ではレンタカーを借りることにしているが、その前に町を見ておこうと思う。恵那は中山道の宿場町。昔の街道を歩く。

橋の欄干に歌川広重の「木曽海道六拾九次」の絵が。日本橋から46番目のここ、大井宿の絵。往時を偲ぶには季節感がずれすぎてるな。

絵に描いたような「角の煙草屋」。今回の旅、見かけた郵便ポストは全部この「丸型」だったような気がする。

いいなあ、この凛とした佇まい。

大井宿本陣跡。

18:05 レンタカーを借りて恵那市中心部からおよそ4km、恵那峡へ。大正13年、木曽川をせき止めて造られた日本初の発電ダムである大井ダムによってできた人造湖。すっかり陽も傾き、湖畔のホテルから浴衣を着た人が散歩に出てくる。もうそういう時間帯だよなあ。

対岸にある遊園地の観覧車と、恵那峡大橋。

立派な膨らみの蓮の蕾が。左側のこれ、そうか!これがいわゆる「蓮口」ね(花が散った後の花托)。ジョウロの先に付いてるあれ。

天然記念物のキノコ岩…もとい、「傘岩」。粗粒の黒雲母花崗岩が雨水の侵食や風化で削られたもの。高さ4.5m。頂部の周囲が10mを超えるのに対し、いちばんくびれた部分は2mしかないという。

千畳敷岩。恵那峡には奇岩・怪石が多いのだという。

千畳敷岩の真ん中から湖を望む。日が沈む。誰もいない。今日も1日歩き回ったなあ…さあ、ホテルへ。


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旅の持ち物リスト

2013-07-19 18:31:29 | 旅と散歩と山登り
前回の旅日記をまだ書き切れていないのに、また旅に出たくなった。
夏のこの時期、「山が呼んでいる!」という気分も強い。
「旅に出ずして、自分は何のために生きているのか」とも思う。

明日から旅に出る。今回も慌しいプランニングで、出発前日の今日、切符や宿を手配した。

旅の持ち物を準備する時に毎回、「忘れ物がないようにリストを作っておくべきなんだよな…」
と思っていたが、やれずにいた。そのリストを作った。

***************************

・着替えシャツ
・下着
・靴下
・ベルト
・ポケッタブルパーカー

・コンタクトレンズ
・コンタクトレンズケース
・コンタクトレンズ洗浄液
・メガネ

・タオル
・ティッシュ
・ウェットティッシュ
・折り畳み傘
・熊よけの鈴

・ガイドブック、地図類
・自作の日程表メモや、時刻表、案内図などのコピー類(クリアファイルに挟んで)
・ノック式ボールペン

・デジカメ
・デジカメの充電器

・財布
・携帯電話
・腕時計
・保険証
・免許証

(夏季のみ)
・キャップ
・日焼け止め

(車の旅で、持ち物を絞り込まなくてもいいのなら以下を追加)
・サンダル
・ホテル用の部屋着

***************************

衣類の部に、「持ち物」と呼ぶには違和感のある「ベルト」を敢えて書いているのは、
意外と忘れがちだから。
ズボンを穿き忘れることはないが、ベルトを締め忘れることはある。
以前、締め忘れて臨んだ登山で、ズボンが始終ずり落ちてきて難儀したことがある。
その時は、下山後すぐ、旅の残りの日程のため、ロードサイドの100円ショップで買い求めた。
(100円ショップというのは本当に何でも置いてあるものだ。そして、どこにでもある)

下着・靴下は、なるべくボロめの物を選び、旅先で捨ててくる。
これは「掃除好き・綺麗好き」で知られる松居一代が、
「家の不用品の始末の仕方」としてテレビで話しているのを聞いて、なるほどと思い、実践している。
登山靴が泥だらけになったら、これらを雑巾代わりにして拭い、天寿を全うさせてやる。

1週間くらいまでの旅、まして山に入る旅なら、ヒゲは剃らなくてもいいかと思い、
シェーバーは持っていかない。
(恥ずかしながら、ホテルにも置いてある安全カミソリは怖くて使えない)
ちょっとワイルドな風貌になる自分は嫌いではない。

熊よけの鈴は、もはや僕にとって「山の旅の相棒」、あるいは「旅のお守り」。
山を歩く時はあの音を聞きながらでないと落ち着かない。

クリアファイルは、現地で手に入れたパンフレット類をまとめておくのにも便利。

保険証、免許証は財布には入れず、旅にいつも持っていくアメニティポーチのポケットに入れる。
予備のクレジットカードと1万円札何枚かもここに入れる。
財布を落とした時のリスクに備えて。

…入念に考えたつもりでも、何か洩らした気がしてしまう。
そして、リストを作っても、チェック漏れをすることもありえる。
自分は天性のおっちょこちょいなので、そしてそれは多分直らないので、
せめて、忘れ物に気づいても動じない精神力を、経験から身につけないといけないな。

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