ここ何年か感じているのだが、路上で「人がいても平然と歌を歌える」若者が増えてやしないか?
いわゆる路上パフォーマーのことではない。
僕からすると「奇行」としか思えないのだが、
路上で自転車に乗りながら、また、歩きながら、歌を歌っている若者とよく遭遇するのである。
その歌というのも、鼻歌のレベルではない(それぐらいなら僕だってする)。
遠くからだと「何か叫んでいるのか?」と誤解しそうなほどの堂々たる「発声」である。
しかも、周囲に人がいると気づいたら、少しは恥じ入って歌うのをやめてもよさそうなものだが、
彼らは決して歌をやめない。
一心不乱に念仏を唱える和尚のような集中力で、朗々と歌い続けながら去っていくのだ。
こういうシチュエーションで歌を歌う人種というのは、たとえば、
鯔背を気取って杉良太郎を口ずさみながら自転車を漕いでるそば屋の出前のおっさんとか、
ある種の「周囲への自己キャラクターアピール」を属性として持っている人々だと僕は思っていた。
ところが、「歌う若者たち」はそうではない。
彼らは、周囲のことなど一切「我、関せず」なのである。
「私は堂々と歌を歌っていますけど、それが何か?」といった風情。
もしも呼び止めでもすれば、「あなたはなぜ私の個人的領域に立ち入って来るのか?」
と迷惑がるような怪訝な表情を浮かべるに違いない。
彼らはまさしく「傍若無人」なんだと思う。
字面通り、「傍に人無きが若し」。
周囲の人間の存在を、完膚なきまでに黙殺できるのだ。
周囲に人がいようがいまいが知ったこっちゃないし、
公共空間での唐突な歌声の現出に戸惑いを覚える人がいようとも、知ったこっちゃない。
僕はこのような人たちとまともなコミュニケーションが取れそうな気がしないし、
差別でも侮蔑でもなく、彼らは何らかの障害や疾患を抱えているのではないかと
本気で思っているのだが、
果たしていったい、彼らは何なのだろうか?
とりあえず、今後はすれ違いざまに「うるさい!バカ!」と怒鳴りつけてみようと思っている。
公道上と自宅の居間では振る舞い方が異なるということを、彼らは理解できるだろうか?
いわゆる路上パフォーマーのことではない。
僕からすると「奇行」としか思えないのだが、
路上で自転車に乗りながら、また、歩きながら、歌を歌っている若者とよく遭遇するのである。
その歌というのも、鼻歌のレベルではない(それぐらいなら僕だってする)。
遠くからだと「何か叫んでいるのか?」と誤解しそうなほどの堂々たる「発声」である。
しかも、周囲に人がいると気づいたら、少しは恥じ入って歌うのをやめてもよさそうなものだが、
彼らは決して歌をやめない。
一心不乱に念仏を唱える和尚のような集中力で、朗々と歌い続けながら去っていくのだ。
こういうシチュエーションで歌を歌う人種というのは、たとえば、
鯔背を気取って杉良太郎を口ずさみながら自転車を漕いでるそば屋の出前のおっさんとか、
ある種の「周囲への自己キャラクターアピール」を属性として持っている人々だと僕は思っていた。
ところが、「歌う若者たち」はそうではない。
彼らは、周囲のことなど一切「我、関せず」なのである。
「私は堂々と歌を歌っていますけど、それが何か?」といった風情。
もしも呼び止めでもすれば、「あなたはなぜ私の個人的領域に立ち入って来るのか?」
と迷惑がるような怪訝な表情を浮かべるに違いない。
彼らはまさしく「傍若無人」なんだと思う。
字面通り、「傍に人無きが若し」。
周囲の人間の存在を、完膚なきまでに黙殺できるのだ。
周囲に人がいようがいまいが知ったこっちゃないし、
公共空間での唐突な歌声の現出に戸惑いを覚える人がいようとも、知ったこっちゃない。
僕はこのような人たちとまともなコミュニケーションが取れそうな気がしないし、
差別でも侮蔑でもなく、彼らは何らかの障害や疾患を抱えているのではないかと
本気で思っているのだが、
果たしていったい、彼らは何なのだろうか?
とりあえず、今後はすれ違いざまに「うるさい!バカ!」と怒鳴りつけてみようと思っている。
公道上と自宅の居間では振る舞い方が異なるということを、彼らは理解できるだろうか?