情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

取り調べの完全可視化が必要な理由~私が検察官だったらこうして小沢をはめる

2010-01-25 22:23:05 | メディア(知るための手段のあり方)
 石川議員の手帳の5000万円を受け取ったとされる日の欄に、渡したとされるゼネコン幹部が渡した場所として説明しているホテル名が記載してあったとの情報を、今日(1月23日)、各社が報道した。そろそろ、そんな頃かな~と思っていた。5000万円を渡したとする側の日付と場所は、年末、一部新聞が報道し、年明け後に各社が報道した。その間、陸山会などの大々的な捜索押収劇が演じられた。

 とくれば、次には、その授受を裏付ける物証があったとリークされる可能性は十分にある。

 【この記事をアップしようとして確認したところ、手帳は05年の別の月のもので、5000万円とは関連がないらしいという情報…。しかし、読売夕刊1社トップには、「関係者によると、特捜部が押収した手帳には、10月15日の欄にこのホテル名が記されていた」と明記されているのだが…。読売は朝刊で訂正するのか?まぁ、取り調べの可視化の必要性の一つの例え話として、読売の記事を前提としたままアップすることとしました】

 ここで、物証があると思われるものを整理しよう。もちろん、これらの存在の真偽は不明だが、報道によると、このようなものがあるようだ。


 2004年10月18日、5000万円が睦山会の口座に入金された。

 2004年10月29日、土地代金として、3億3000万円が支払われた。

 石川議員の手帳に10月15日、ホテル名の記載がある。【どうもこれが誤報のようだが…】

 
 5000万円関連では、肝心なのはこれだけだ。

 供述としては、ゼネコン幹部が、10月15日に石川議員の手帳に記載のあるホテルで5000万円を渡した(15日の次の銀行営業日が18日)と話しているらしい。

 そして、陸山会事務所が捜索押収されたのは、報道されているだけで、2009年3月と2010年1月13日の2回。

 さぁ、問題は、これらの供述物証をどうパズルに組み込むか、だ。

 
 検察側のパズルの当てはめは、

①ゼネコン関係者が10月15日に5000万円を石川議員に渡したと供述。

②2010年1月13日、事務所捜索押収で石川議員の手帳押収

③その手帳にホテル名の記載があった

というものだ(Aパターン)。


 しかし、このパズル、こうも組み替えられる。

①検察、陸山会の金の動きをチェック。5000万円が2005年10月18日、陸山会の口座に入金されていたことを把握。

②2009年3月の捜索押収で、2005年10月15日の欄にホテル名の記載のあった手帳を確保

③ゼネコン幹部に、5000万円を2005年10月15日、手帳に記載のあるホテルで渡したと、(スキャンダルなどをネタに脅したりして)供述させる。(Bパターン)
 

 現段階ではどちらとも分からない。

 検察などから漏れてくる情報は、まるで、検察側のパズルの当てはめを裏付けるかのような順番で出てきている。そう、まるで、チェックメイトと言いたげに。

 しかし、本当にチェックメイトなら、情報を漏らしてまで世論をあおる必要はない、と思いませんか?

 また、なぜ、2010年1月13日に再度、捜索したのだろうか。その捜索の直前には、ゼネコン幹部が5000万円をホテル内で手渡したとの報道がなされている。

 いかにも、ホテルに関するゼネコン幹部の供述が、手帳の押収よりも先行したかのようなイメージを与えるが、それが事実かどうかは明らかにされていない。

 そして、もうひとつ。なぜか、ゼネコン側から(検察からではなく)、5000万円の授受に関する情報が出ているような報道がある。仮に検察に自白したとしても、自ら、そのような自白をしたことを漏らすだろうか…。不思議に思いませんか?

 だからこそ、取り調べの可視化が必要になる。

 「無実の人間」に物証に合わせた供述をさせるためには、物証の存在を知らない「無実の人間」を誘導する必要がある。誘導していないふりをしても、自ずから無理が生まれる。したがって、取り調べのビデオを見れば自ずから事実が明らかになるだろう。

 ここで、皆さんに覚えていただきたいことがある。

 ひとつは、ゼネコン幹部が渡したとされる5000万円に関する物証は、当日、銀行から5000万円を下ろしたというものではなく、その前に何度かに分けて下ろしたものをどこかに貯めておいたものではないか、ということ。

 もうひとつは、手帳が押収された日は、2010年1月ではなく、2009年3月ではないか、ということ。

 仮に、後になって、この二つが事実だということが明らかになったなら、Bパターンの可能性が大きいだろう。

 しかし、本当は、「後になって」、という問題ではない。問題は、いま、不当な取り調べが行われているかもしれないにもかかわらず、それを予防する方法がとられていないことだ。

 ただちに、取り調べの可視化法を成立させるべきだと思う。

 

 

  

 



 
 



  
 




【PR】






★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

鹿児島では記者クラブの会見が開放され、黒板協定がない~系列化していないことが原因?

2010-01-25 06:15:58 | メディア(知るための手段のあり方)
 昨日(1月24日)、鹿児島大学の第5回マスコミ講座公開シンポジウム「政治は身近になったか 政権交代とマスメディア」で、「政権交代がメディアに与える影響~権力監視機能は回復するのか」と題する基調講演をさせてもらった。放送行政の独立行政委員会の不存在、クロスオーナーシップ規制の不存在などに関する原口大臣のタイムリーな発言などに触れつつ、マスメディアの構造とそれを前提にしていかに知る権利にかなうマスメディアにするかということについて話してきた。

 パネリストに地元の南日本新聞社の政経部長、南日本放送の報道部長が参加しており、雑談中に、お二方から非常に注目すべき実態を聞くことができたので、紹介したい。

 まず、記者会見が開放されているということ。事前の打ち合わせで、両者が例のブログ市長の記者会見から排除されているということがパネルディスカッションで触れられることになったので、そのテーマに続いて、記者会見の閉鎖性の問題に触れてはどうかと提案した。聞いている側にすれば、ブログ市長の行為は、記者会見を閉鎖的に運用する記者クラブそのものと重なって見えると思ったからだ。

 すると、お二人からは、鹿児島県庁クラブの会見は、報道目的の方であれば、基本的にだれでも参加できる、すなわち、妨害などのおそれがない限り、また、明らかに報道目的でない限り、参加を認めてきたという答えが返ってきた。記者クラブで配布される資料もクラブ以外のマスメディアが希望すれば、広報課が渡すのだという。

 驚いていると、お二人はさらに、鹿児島県庁クラブには、黒板協定もないと説明し始めた。
 
 黒板協定とは、行政が発表する予定をクラブの黒板に書き込んだ時点で、その予定については解禁されるまで(=通常発表翌日の朝刊、当日の夜のニュースあるいは翌日の朝のニュース)、報道しないという約束が成立するというものだ。明らかに、特落ち(一社だけ掲載できないこと)を避けるための「談合」で、この存在が記者会見や記者クラブの開放を妨げる原因の一つともなっている。

 このマスメディアにとって、便利な制度は、官庁、行政の記者クラブのほとんどで採用されているはずだ。ところが、鹿児島県庁記者クラブにはそのような協定はなく、黒板は、単なる予定表としての意味しかないというのだ。

 転勤してきた他社の記者が、黒板に掲載された事項が報道された翌日、協定破りだなどと抗議してくることがあり、黒板協定がないことを説明すると驚く…お二人はそう説明した。

 いつからそうなっているのか、については、お二人は正確には知らなかったが、どうも伝統的にそうなっているようだった。

 で、ここから、私の推測です。
 鹿児島は、県紙南日本新聞と最大手のテレビ局南日本放送の間に資本関係がなく、ライバルとしてしのぎを削ってきたようだ。そこで、記者クラブが黒板協定のような談合が成立する馴れ合いの場ではなく、純粋に報道の拠点となったのではないだろうか。それゆえに、報道目的であれば、誰でも記者会見に参加でき、また、黒板協定が生まれなかったのではないだろうか。

 つまり、鹿児島は、クロスオーナーシップがない場合に、いかに、記者クラブが健全に機能するかというモデルケースではないか、と推測したのです。

 鹿児島モデル、ちょっと、調べる必要ありそうです。情報お持ちの方は、ぜひ、コメント欄に残してください。コメント欄は現在、非公開となっていますが、いただいた情報は適宜、ご紹介したいと思います。


※冒頭の画像は、講演で使ったパワーポイントより




【PR】






★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。