Vladimir Karpov - Maria Tzaptashvili, Prague Open 2011, WDSF Int. open latin, final - solo jive
Vladimir Karpov - Maria Tzaptashvili, Prague Open 2011, WDSF Int. open latin, final - solo jive
春夏秋冬に加えて、日本には梅雨というもう一つの季節がある。時折、語られる日本の「五季説」を最初に唱えたのは、一説に、戦後、気象と健康の関係の研究などで知られた医学者、藤巻時男さんという▼「はしり」や中休みがあって、蒸し暑くなったり、冷えたりしながら続く。春とも真夏とも違う季節はたしかに独特で、時に健康や心理に影響しよう▼そんな五季説にこれほど説得力を感じる年もなさそうだ。長い梅雨が各地に水害をもたらした今年である。ようやく九州北部と中国、四国が昨日、梅雨明けし、真夏の明るい光景が伝えられた。猛暑の訪れを意味する景色ではあるが、梅雨明けまであとひと息の地域からみれば、うらやましくも思える▼<白昼のむら雲四方に蕃茄熟る>飯田蛇笏。蕃茄(ばんか)はトマトの漢名という。空の青と雲の白に地上で濃く色づく作物。頭の中に色鮮やかな景色が浮かぶが、今回の長雨は作物から日照時間を奪った▼収穫減などでニンジン、ジャガイモといった野菜が値上がりしている。昨年の倍ほどの値がつくこともあるようだ。トマトの色や生育に影響が出た地域もある。高値はしばらく続きそうだ▼思えば一昨年は梅雨に続き、「災害級」の暑さが訪れた。昨年は台風の災害が十月まで続いた。「災害季」という長い季節が定着していないか。用心をしつつ、普通の季節感が恋しくなる。
サンマはどうやら今年も不漁らしい。先日、北海道の店頭に並んだ初物は一匹、五千九百八十円。繰り返す。五千九百八十円。うなだれる▼こんな時代では落語の「目黒のさんま」もぴんとこないか。当時は下魚扱いのサンマをたまたま口にしたお殿様。その味が忘れられず、サンマを所望するも、家臣は殿の身体に障ってはと蒸して脂を落とし、骨を一本一本抜く。サンマの味は台無しである▼判決次第では高齢者へのおやつは殿様のサンマのように味気ないものばかりになったかもしれぬ。長野県安曇野市の特別養護老人ホームで当時八十五歳の入所者がドーナツを食べて亡くなり、これを配った准看護師が業務上過失致死罪に問われた裁判である。東京高裁は一審判決を破棄し無罪を言い渡した▼ドーナツを喉につまらせ亡くなったとされる。その危険が予見できたかが争点になったが、高裁は准看護師の過失を否定した▼一審の有罪判決に介護の現場は萎縮したそうだ。いろいろなおやつで楽しませたいが、万が一にも…。その心配から喉を通りやすいおやつばかりになれば、今度はお年寄りが寂しかろう▼逆転無罪に利用者を喜ばせたいという空気が介護現場に戻ってくればありがたい。安全第一は当然のこと。だが、ドーナツのささやかな喜びもまた生活には欠かせない。両立のため、現場の人手不足を急いで解消したい。
「出火吐暴威」。学校の漢字の試験にはまず出題されないだろう。これで「デビッド・ボウイ」と読む。英国の伝説的ロックスターである▼世界的ファッションデザイナーの山本寛斎さんが亡くなった。七十六歳。ロックファンならボウイのステージ衣装を担当したことを思い出すか。「出火吐暴威」の漢字は山本さんが考え、一九七三年のツアーでボウイが身にまとった白いケープにあしらった。漢字のかっこよさを世界に広めた一人かもしれない▼袴(はかま)のようなジャンプスーツや和柄。ショーでは歌舞伎の衣装替えの「引抜(ひきぬ)き」も使った。「異端」「奇抜」「革命的」−。そう評される山本さんの作品だが裏側から支えていたのは日本の伝統文化なのだろう。それが当時の欧米を驚かせ揺さぶった▼夕暮れ時の風景が苦手だったそうだ。一時暮らした児童施設から脱走を図ったが、訪ねた先の親戚に追い返されてしまう。その時、列車の中から見た夕暮れの寂しい色▼自分が「きれいで明るくて元気いっぱいの世界」を作りだそうとするのは「あの寂しい風景から逃れるためかもしれない」と書いている▼「だれも見たことのないもの。そんな服を作りたかった」。奇妙、奇天烈(きてれつ)に見えることをおそれず、絶えず新しさを追い求めた。「出火吐暴威」。その生き方を思うとあの漢字が「カンサイ・ヤマモト」と読める気もしてくる。
映画などの本編に対して続編を「パート2」あるいは「パートII」と呼ぶ表現が、広く使われだしたのは一九七〇年代かと記憶する。七四年公開の米映画「ゴッドファーザーPARTII」あたりが火付け役かもしれぬ。山口百恵さんのヒット曲「プレイバックPart2」も懐かしい▼二〇〇〇年代以降はパート2よりもコンピューター用語の「バージョン2・0」や「2・0」という表現を好む傾向がある。ソフトウエアの更新に由来するのだろう。「1・0」を大幅にバージョンアップして「2・0」。機械的な響きがかえって当世風なのかもしれぬ▼「2・0」をめぐるニュースがこのところ、急速に増えてきた。「コールド・ウオー(冷戦)2・0」。米国と中国の対立をかつての米ソ冷戦に比した「2・0」という表現が海外メディアに目立つ。それほど米中関係がのっぴきならないところにまできているということなのだろう▼米国がテキサス州ヒューストンにある中国総領事館の閉鎖を命令すれば、中国は報復として四川省成都の米国総領事館の閉鎖を要求。対立は日を追うごとに先鋭化する▼ポンペオ米国務長官がニクソン政権以来の対中政策の見直しに触れ、対中包囲網を提唱したと聞けば、おだやかではない▼解決の糸口を探りたい。平和や協調に役立たない無用の「バージョンアップ」など世界は望んでいない。
優れた俳人で、東京新聞の記者でもあった折笠美秋が亡くなって三十年となる。五十五歳で他界するまで筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病床から句作した人である。全身の自由が利かなくなると、わずかに動く目と唇を妻が読み取って記した▼<逢(あ)いおれば風匂い生きおれば闇匂い>。見舞った家族と時を過ごせば、生の風を感じる。生に明るさを感じると今度は目の前に死の闇があることに気付かされる。難病を患って生きる多くの人に通じるかもしれない。生とは、死とはと日々続く自問であろう▼妻に告白するような句もある。<なお翔(と)ぶは凍てぬため愛告げんため>。家族との愛情や友人との絆、病ゆえに研ぎ澄まされた感性で、生きる意味を見つめ直した言葉はいまなお胸に迫る▼ALSの女性患者に薬物を投与して殺害したとして、医師二人が嘱託殺人の疑いで逮捕された。主治医などではなく、金銭のやりとりがあったという。容疑者の一人は安楽死を積極的にすすめる言動があったとも報じられている▼難病の人や障害者の命が軽視されることにつながる考えではないか。未解明な点が多い中で、危ぶんでしまうところである▼難病患者の苦悩は確かにある。生と死について絶えず考えなければならない人たちが、なお生きたいと思える世の中に。難しい問題ではあるけれど、事件から受け取りたいことに思える。

