セミの一生は「七年七日」とは昔からよく聞く。七年の間は幼虫として地中で過ごし、成虫になって地上に出てからの命はわずかに一週間。実際はもう少し長いようだが、それでも短い命である▼こんな言い伝えがある。セミの脚にある赤い斑点のようなものは仏さまの姿であり、セミをいじめてはならない。こんな教えも地上でのわずかな命を哀れに思ってのことだったのかもしれない▼先週のこと。近くの墓地でミンミンゼミの声を聞いた。まだ六月。一匹だけだったが、鳴き声がまだ慣れぬ感じで、つっかえ、つっかえになるのが可笑(おか)しい。手帳を確認すると昨年の初音(アブラゼミ)は七月六日とある。あくまで個人的な「観測」なのだが、六月の初音は平年に比べかなり早い気がする▼時をたがえ、仲間より早く出てきてしまったか。<頓(やが)て死ぬけしきは見えず蟬(せみ)の声>芭蕉。梅雨明け前とは生き急ぐこともあるまいに。ちょっとかわいそうな気になる▼少々早過ぎるセミの声は厳しい夏の到来を予言しているのか。気象庁のむこう三カ月間の長期予報によると、この夏の暑さは平年並みかそれ以上で、やはり厳しい夏になりそうである▼北京では先週、四一・一度と六月としての最高気温を記録した。日本にもまた、猛暑の夏が迫る。週明けは気温が上昇するそうだ。子どものころは待ち遠しかった夏だが、今は身構える。
「タイタニック号のデッキチェアを並べ直す」という英語の慣用句がある。タイタニック号とはもちろん、一九一二年、氷山に衝突し、大西洋に沈んだ豪華客船である▼沈みゆく船の中で、散らばったデッキチェアを今さら並べ直してみたところで役に立たぬ-。慣用句はそんなたとえで大惨事での無益なふるまいという意味で使われる▼縁起でもない書き出しをわびる。海中からの救いを求める「音」に今、世界が聞き耳を立てている。沈没したタイタニック号の残骸を見学する潜水艇「タイタン」が消息を絶った事故である。懸命の捜索作業が続いていたが、カナダの哨戒機が海中から聞こえてくる音をとらえたそうだ▼潜水艇には五人が乗っている。音の正体は分からぬが、潜水艇内の誰かが「タイタニック号のデッキチェアを並べ直す」行為などとあきらめず、必死に鳴らしている音だと信じたい。音をたどり、困難にある命が救出されることを願う。船内の酸素量にも限りがある。時間との闘いに何としても勝利したい▼その一方で、気になるのは潜水艇の安全性の問題である。ニューヨーク・タイムズによるとタイタンが重大な事故を起こす可能性を指摘する意見は以前から出ていたそうだ▼十分な数の救命ボートを用意しないまま航海に出たタイタニック号の悲劇を再び思い出してしまうが、今はタイタンの無事を祈る。
時代小説の魅力は、今を生きる人間を遠い昔へとやすやすと運んでくれることにあるのだろう▼無表情な今の東京にいながら、ページをめくれば、風鈴の音や物売りの声が聞こえる江戸の路地が浮かぶ。苦しいながらも笑い、助け合う人々の暮らしまでが見えてくる。『御宿(おんやど)かわせみ』などの作家、平岩弓枝さんが亡くなった。九十一歳▼「江戸の一日は石町(こくちょう)の時の鐘が暁七ツ(午前四時)を打つ音から始まる。もっとも早起きなのは豆腐屋で…」(『夜鷹(よたか)そばや五郎八』)。書き出しの数行だけで読み手を江戸の町へとぽーんと連れていく鮮やかな筆をお持ちだった。そこに魅力的な人物と、宿屋での騒動が加われば、物語は面白くないはずがない▼『肝っ玉かあさん』『ありがとう』など昭和の人気ドラマの脚本家としても評判を取った。ドラマは師、長谷川伸の勧めだったそうだ。「小説の中の会話が下手だねえ」▼脚本で会話の書き方を学ぶためだったが、やはり師の教えで五十代にテレビから身を引く。「小説が一番と忘れないこと」。おかげでファンにはたくさんの江戸への扉が残されたか▼小器用な小説も面白いだけの小説もどうでもいい。魂をこめて、人間を描く。その道を求めた舟がいく。「大川を威勢よく漕(こ)ぎ下る櫓(ろ)の音が、如何(いか)にも、初夏であった」(『江戸の子守唄』)。舟の中でほほえんでいらっしゃるか。