二歳になる男の子の双子が窓から転落し、亡くなるという痛ましい事故があった。事故を聞いて、大半の人がこうした悲劇が起こり得るという現実に恐怖し、子を失った家族の痛みを感じるだろう▼こうした反応をするのは人間ばかりではないらしい。海外での最新研究によると魚も同じで、他の魚の恐怖を理解しているそうだ。その恐怖を自分のことのように考える▼脳内のオキシトシンというホルモンの働きによるものだそうだ。試しに実験用の魚からオキシトシンを除去すると共感力のようなものはなくなり、「反社会的」な動きを見せたという▼魚類がこの世に登場したのは約四億五千万年前だが、人間は進化上のご先祖様の時代から、そんな優しい能力を身に付けているのか。半面で他人の恐怖をまったく理解できない人もいるようだ。ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領が七月にもベラルーシに戦術核兵器を配備すると表明した▼ロシアにとっては目障りな欧米によるウクライナ支援を、核をちらつかせることでけん制しようという狙いらしい▼他人の恐怖を理解できないと書いたが、逆かもしれない。核への人間の恐怖を知り抜いた上でそれを冷酷に利用しているのだろう。核の拡散を許せば核使用のリスクはさらに高まりかねない。核配備に向かう、恐れ知らずの「怪魚」を落ち着かせる方法はないのか。
スイスの銀行をネタにしたこんな笑い話がある。米国人がスイスの銀行に大金を預けにいったそうだ。「百万ドルを預けたいんだが」。金額が大きいので自然、ヒソヒソ声になる▼応対した銀行員。客に「もっと大きな声で話してもらっても構いませんよ」という。「貧しさはスイスでは決して不名誉なことではありませんから」▼巨額な資金を扱うことが常のスイスの銀行において日本円で一億円そこそこでは懐が寒いとみられてしまうか。そんなジョークが成立するスイスの銀行の買収にしては買い取り価格が少々寂しい気もするが、やむを得ないことなのだろう。経営悪化が伝えられたスイスの金融大手クレディ・スイスである▼同じスイスの大手金融のUBSが買収を決めた。その額、三十億スイスフラン(約四千三百億円)。創業百六十六年の名門でかつての株式時価総額が十二兆円を超えた大銀行も、その額で売るしかなかったか▼クレディ・スイスの経営悪化が世界の金融不安につながらぬように動いたスイス政府の説得でその額を受け入れたと伝わる。経営悪化は米銀行の破綻の影響もあるが、あの笑い話でいえば不名誉なのは買収額ではなく、ここに至った経営のまずさと相次いだ不祥事だろう▼買収するUBSのトレードマークは三つのカギ。信頼、安全、慎重さの意味と聞く。これで金融不安にカギがかかればよいが。
あるラジオ局が政治家に「クリスマスに願うことは」というインタビューをした。一人のある政治家は高価なものは願わない方が無難だろうと、「スリッパ」と答えた▼その政治家、ラジオを聞いた。アナウンサーが言った。「政治家Aさんは地に平和、人には善意と答えました。Bさんはすべての戦争の停止を願いました。Cさんの答えはスリッパでした」▼作家の池沢夏樹さんのエッセーにあった小咄(こばなし)を少々、短くさせていただいたが、英国での実話らしい。岸田首相がウクライナのゼレンスキー大統領に「必勝」と書いたしゃもじを贈呈したと聞き、この小咄を思い出したが、やはりそのお土産、スリッパと同じくらい場違いで不適当な答えではなかったか▼しゃもじは首相の地元、広島の特産品で「召し(メシ)捕る」のしゃれとなり、日露戦争の時代から勝利祈願の縁起物である▼ロシアのウクライナ侵攻は無論、許せぬ。ウクライナの抗戦をしゃもじで祈るというのも分からないでもない。それでも落ち着かなくなるのは「召し捕る」のしゃれがひどく好戦的で、もっと戦えとウクライナのお尻をそのしゃもじでたたいているように見えてしまうせいか。少なくとも、そう感じる人がいる▼ウクライナの平和を祈るのなら土産は同じしゃれでもナンテン(難転)の鉢植えぐらいが気は利いていたか。ご地元とは無関係でも。
池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』のファンの方なら、かつての盗賊の世界で使われた「口合人(くちあいにん)」という言葉に覚えがあるだろう▼「一人ばたらき」の盗っ人を大仕事をたくらむ盗賊一味に紹介し、あっせん料をいただく。池波さんによると「口合人」の大半が「嘗役(なめやく)」も兼ねていた。盗みに適当な商家を探し、情報を一味に売る▼かつての「口合人」の仕事にSNSで人を集めて、強盗などの犯罪を行わせる闇バイトを連想する。政府は犯罪対策閣僚会議で闇バイトの根絶に向けた緊急対策を決定した。現代の「口合人」の退治はできるか▼闇バイトを集めるSNS上の投稿の削除などで人を悪事に誘い込む「声」をまず封じ込めようという戦術である。効果に期待したい▼加えて、大切なのは悪魔のささやく声に惑わされぬ「耳」を若者に持ってもらうことだろう。闇バイトの仕事にかかわれば危険な上に逮捕され、人生を台無しにしかねないことを強調したい▼『犯科帳』の「殿さま栄五郎」という話に、「鷹田の平十」という「口合人」が出てくる。荒っぽい仕事をする盗賊一味には人材のあっせんをためらうようなところもある人物だが、闇バイトにはそんな情けも容赦もあるまい。危険だろうと逮捕されようとおかまいなし。一度、口車に乗れば、抜けるのは難しくなる。いくらもらえても、その「バイト」は割に合わない。