La Nave Del Olvido- Marco Antonio Solís
Max Kozhevnikov and Yulia Zagoruychenko (2008 Exhibition)
百人の村の三十人は子供で、七十人が大人。六人で富の59%を所有していて、二十人で富の2%を分け合う。二十年ほど前に話題になった『世界がもし100人の村だったら』が、えがいた世界の縮図である。富の偏りに驚き、気付かされた覚えがある▼世界の新型コロナウイルス感染者が、一億人を超えたという。世界の八十人に一人以上の計算は、百人の村に例えると、感染したことのある人が一人、少し前からいたことになる▼「たったの」ではないだろう。二カ月半あまりで倍増しての数字である。二人目を防ぐ必要に気付くのが、よさそうである▼世界のワクチンの接種率は0・8%という。日本もこれからだ。村には、まだ一人もいない。人口の六割が抗体を持つことで集団免疫は得られるという説もよく聞く。単純な計算は乱暴なのかもしれないが、六十人か。感染で抗体のある人を含めても先は長そうだ▼欧州などでワクチンの供給遅れが問題になっている。村の富のように接種をめぐる格差が生まれないかも気になる。「感染者一億人」が描く世界像は厳しい▼「億万を知らんと欲せば、すなわち一二を審(つまび)らかにす」という故事がある。多くを知りたいのならば、最初の一、二を詳しく知ることである。億に至った感染の始まりも、まだ詳しくは分かっていないコロナ禍である。百人で立ち向かうべき相手であろう。
Evgeniy Smagin - Polina Kazatchenko, Final Samba
Evgeny Smagin - Polina Kazachenko, Final Samba
作家の太宰治と檀一雄が熱海で飲み明かしたが、その代金が払えない。太宰が東京に引き返してカネを借りてくるという。檀は熱海に残ることになる。事実上の人質である▼その太宰が戻ってこない。数日後、東京に帰った檀は井伏鱒二の家で将棋を指していた太宰を見つける。「あんまりじゃないか」。太宰は「待つ身が辛(つら)いかね、待たせる身が辛いかね」と言ったそうだ。檀の『小説太宰治』にある。太宰の『走れメロス』につながる逸話という▼待たせる身の「申し訳ない」という辛さも分かるが、辛さでいえば、やはり待つ身の方が大きかろう。たいへんな辛さを抱えて、少なくとも約一万五千人が待っている。新型コロナウイルスへの感染判明後、入院先や宿泊療養先が決まらず、「調整中」となっている人が緊急事態宣言下の十一都府県で増えているという▼病床不足に加えて、懸命に調整に当たる保健所の能力も限界に近いのだろう。円滑な振り分けができなくなってきた▼自宅で調整を待つ方の不安は大きい。家族に感染させないか。万が一、急変したら…。コロナの症状に加え、心の負担も重くなる▼自宅で亡くなる人も増えていると聞く。「調整中」を「調整済み」に変える態勢を国のリーダーシップで一刻も早く整えたい。待たせているのは行政である。「待たせる身が辛いかね」。そんな反論は一切通らぬ。